ノイズ
かつてノイズについて語ったことがありますが、ノイズは写真において極めて重要な要素であって、鑑賞者の感動にアクセスする手段のひとつであると言いました。
感動の仕組みの記事でも述べていますが、これはノイズによる不鮮明さや不確かさの部分に、鑑賞者の経験に基づく過去の感情が補完されるためです。
鑑賞者の過去の記憶や経験からノイズに対して映像補完が行われることで、鑑賞者はリアリティを感じます。
つまり写真からノイズを除去する考え方を、私は真っ向から否定しています。
私がかつて感動の仕組みを探る上で、3DCGや絵画、写真を比較し、写真の持つ最も大きなメリットはノイズであると結論付けました。
ノイズを消すぐらいなら3DCGで十分です。
写真のノイズは粒状感とも言い換えることができますが、私のノイズの定義はもう少し幅が広く、例えば黒潰れ寸前の暗部もノイズのひとつです。
というわけで私は暗部を明るく合成するHDRも否定しています。
撮影するときに完全な黒潰れは避けるようにしていますが、ほぼ見えないがデータ上は残っているような黒潰れは、積極的に残しています。
ノイズに対する考え方に結論を出したのは、かれこれ30年前です。
写真が3DCGや絵画に対して、最も有利な要素がノイズなのです。
したがって私が公開している写真にはテスト撮影時以外ほぼ全て、現像時に何らかのノイズを載せてあります。わざわざ載せてあるのです。
ノイズは、鑑賞者に感動を生ませるためのリンクと言っても良いでしょう。
それ以外にも、ノイズについてよく考えてみてください。
私たちの現実世界には、ノイズの無い風景などほぼ存在しないのです。
空気は様々な微粒子を含み、真っ平らに見える真っ白な壁にも微細な汚れや、場合によっては細菌などが付着し、それらは常に光を不規則に拡散させてノイズを作り出しているのです。
ノイズを写真から無くそうという考え方は、私には受け入れることができません。前述したようにそれなら3DCGで良くない?と思います。
風景だけではありません。
最近のポートレート写真は全く魅力がなくなったと、私はいつも感じています。
この原因がノイズの除去であることは明確です。
確かに写真は、そもそも現実世界を正確に写し取るものではないのですが、その非現実性の中にノイズを利用して現実性をかろうじて繋ぎとめることによって、鑑賞者にはリアリティを感じさせ、また不確かな映像に鑑賞者の過去の記憶を当てはめさせることで感動を生み出すわけです。
ここ10年くらいで現像ソフトもすごく便利になって、さまざまなノイズを簡単に作り出せるようになりました。
意識しないと見えないようなノイズや、これ見よがしのノイズ、何でも作れるようになって、私は延々とノイズの実験を行って作品に反映させています。
私の目から見ると、今のカメラ業界は間違った方向へ突き進んでいると思います。
唯一「わかってるなぁ」と感じるのはペンタックスでしょうか。
このメーカーはやはり凄いなと感じます。
このまま間違った方向へカメラ業界が進んだ場合、写真は動画の中の1コマを選別するだけになり、しかも撮影も選別もAIが自動で行うという状況に行きつくでしょう。あっという間に。
人はなぜ写真を撮ろうとするのでしょう。
人は不完全であるからこそ他を求め、そして自らを表現しようとするのだと思います。
不完全さこそが、我々を突き動かす原動力なのです。
ノイズは、写真に残された「人らしさ」と言っても良いでしょう。
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