カメラは10万円のやつでいい
最近のカメラ業界は写真文化滅亡に向かってまっしぐらです。
そしてかつて栄華を誇ったものの衰退し、現在ではほぼ滅亡状態のオーディオ文化を全力で追いかけている状況です。全く同じ道をトレースしています。
オーディオ業界は現在のカメラ業界と同様に異常なレベルのブランド化や、インチキ臭い高性能化によってユーザーから見放され、急激に終わりを迎えました。
画素数を無駄に増やして優れた性能であるかのように見せかけているカメラや、中身は普通のカメラかそれ以下なのにとんでもない値段にしてブランド化のみを目標としているようなカメラを多くの人や写真家が褒めたたえ信奉し、今この写真文化は終わりを迎えようとしているのです。
資本主義の悪い部分を全部詰め込んだかのような感じです。
まるで写真家が自ら先頭に立って、滅亡への行進を推し進めているようにも見えます。とても情けなく恥ずかしいことだと思います。
彼ら写真家は、一方で芸術への欲望は枯渇しているように見えます。
写真文化に最後のとどめを刺すのは、ほぼ間違いなくAIです。
今のカメラ業界が目指している先にあるのはAIで、AIが志の低い写真家たちの代わりに仕事をこなすようになった時点で、写真文化はほぼ壊滅し、現在のオーディオ文化のようにただ存在するだけの文化になるでしょう。もう目前に迫っています。
カメラ業界が望んでいるのは、人が何もしないで商業的に優れたシーンが撮影できるカメラであり、それを確実に実現できるのはAIです。人間ではありません。
場合によっては現場に行かなくてもAIが3DCGを構築してレンダリングすればよいと、カメラ業界は本気で考えているかもしれません。
例えヘタクソな写真家がシャッターを切っても、全て全自動で素晴らしい写真が撮れるようなカメラを目指し、今後もこの方向へ突き進んでいきます。
写真とは撮影者がその場にいて、様々な思いを込めながら技術と経験を生かしてシャッターを切るその瞬間にこそ、芸術的価値が生まれるものですが、現在のカメラ業界にとってそんなことはどうでも良いことなのです。
カネ、カネ、カネ、何よりも大切なのはカネです。
唯一、ペンタックスは写真について、かなり真面目に考えているかもしれません。ただし、いばらの道であることに変わりはありません。
私も写真文化を少しでも良い方向へ導きたいと考えて頑張ってきたつもりなのですが、残念ながらここ数年でかなり難しい状況へ陥ったと思います。
以前も述べたように、写真家を含めた「専門家」の大多数はそれほど能力が高いわけではなく、多くの写真家はできれば目をつむってシャッターを切っても良い写真が撮れるカメラを望んでいます。
このような問題に気が付く人はほんの一握りです。
それを問題視して、自ら何かを行動できる人はさらにその中の一部です。
写真に対して熱い意志や情熱を持った若者が問題を訴えたとしても、大御所たちがそれにドライアイスを乗せて蓋をしているためどうにかなるわけがなく、「若者がどれほど打てど響かない」状態がしばらく続いた後、急激な文化の衰退を迎えることになります。
それは過去の歴史が示しています。
今はその前夜と言ったところでしょうか。
ただ一方で、この現状は、寸分たがわず予想通りでもあるのです。
人間の欲望に基づいた行動というものは非常に予想しやすく、目の前にいる人が次に何をしゃべり何をするかということは、簡単に当てることが可能です。
結果として、その欲望に基づいた行動予測から、カメラ業界がどのように行動するかも簡単に予想できます。
「カメラは10万円のやつで」いいです。
これで全て撮影できます。
10万円前後のカメラで、ありとあらゆる全てのシーンをほぼ撮影可能です。あらゆる芸術写真を、思い通りに撮影できるはずです。
もちろん撮影者の技術と経験が必要になります。
努力も必要です。
こうして撮影された写真は30万円、100万円のカメラで撮影した写真と比較しても、なんら変わりはありません。
この事実をちゃんと伝えることができる写真家は、ほとんどいないでしょう。能力がある人は限られているのです。
後世に写真文化を引き継ぐことは、先人写真家の大切な役割だと私は思っています。
私が絵画と3DCGと写真が完全に融合すると結論を出してから既に30年以上が経ち、その予測は今、現実になろうとしています。
でもきっと私は「写真」を今後も撮り続けるだろうと思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?