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Invent or Die - 未来の設計者たちへ:第三回 中島聡 x 松本徹三 書き起こし その2

2018年11月20日(火)に開催された「Invent or Die - 未来の設計者たちへ:第三回 中島聡 x 松本徹三」の書き起こしです。
ソフトウェアエンジニアである中島聡と、半世紀以上にわたり、世界のITビジネスの最先端で巨大企業の経営に携わってきた松本徹三氏が、「AIの真髄」に対する正しい理解にとどまらず、シンギュラリティに達した「究極のAI」に対し、私たち人間に突きつけられる向き合い方の選択についてまで、グローバルな観点から議論します。
写真(© naonori kohira )

さて、本論に入る前に、長々と孫さんのお話をしたのには理由があります。私は最近AIのことにとりわけ熱心になり、本も出しているほどなのですが、これには若干ながら孫さんの影響も有ります。孫さんは「今の世界で最も重要なのはAI」と公言しておられ、「シンギュラリティーは必ず来る」と確信している点でも、私と全く同じです。しかし、具体的なところに入って行くと、私と孫さんは考え方が相当異なります。

第一に、シンギュラリティー実現の時期については、孫さんの方が随分楽観的で、カーツ・ワイルの2045年説に近いことを言っておられたこともありますが、私はもっと時間がかかると思っており、100年後ぐらいが目安だと考えています。第二に、孫さんはロボットが好きで、ヒューマノイドという「人間に近いロボット」の実現に夢を持っておられるようですが、私は全く違います。私はAIの能力のほとんどはクラウドにあるべきであり、人間はスマホのような簡単な端末機からそれにアクセスできればそれで十分だと思っています。勿論ロボットはとても役に立ちますが、それは、人間の入り込めない狭いところまで掃除するとか、危険なところで仕事をするとか、重いものを扱えるとかの点で偉いのであって、頭はそんなに良くなくても、ほとんどの場合はそれで十分なのです。

私は無神論者ですが、家内がカトリック信者なので、カトリックのことは割とわかります。カトリック信者は何か悪いことをしても、自分の罪を告白して懺悔さえすれば許して貰えるのですね。よくヨーロッパ映画の中で、教会の中での何やら暗いところで「私は人妻に手を出してしまいました」とか何とか言うと、中にいる神父さんがそれに答えて何か言ってくれる。それで罪は許されるのです。しかし、それなら、AIが神父になるととてもいいと思います。悪いことをしたと思ったら、携帯からいつでも神父を呼び出して告白する。AIはアバターとなって神父の役割を演じ、罪を洗い清めてくれるのです。誰かの漫画でロボット神父のことが描かれていましたが、ロボット神父だったら探しに行くのが大変です。お布施も高く付きそうです。神父さんはアバターで十分です。ロボットである必要はありません。

しばしば一緒くたにして語られるAIとロボットが全く別のものであることは既に申し上げましたが、もう少し補足してみたいと思います。ロボットは本質的に人間の手足や指、骨格や筋肉を代替するものです。これに対してAIは頭を代替するものです。手足はある程度の頭がないと動かせませんし、頭だけではものは動かせませんから、両者は相互依存関係にありますが、あくまで役割はちがうのです。ただし、目や耳の機能は、この両方に深く関わってきますので、ロボットを語るときにも、AIを語るときにも、欠かせない大きな要素となります。ロボットも、闇雲に動き回ることはできませんから、視覚センサーや聴覚センサーを持たねばなりません。一方、AIも、視覚センサーや聴覚センサーから情報が入ってこなければ、多くのことについて的確な判断は下せません。それもあってか、最近はAIを語っているつもりの人が、実は画像認識や音声認識の話しかしていなかったというようなこともしばしばあるのです。

さて、ロボットが目や耳を持つとなると、どうしても人間の顔に似た顔を持たせたくなるのは人情でしょう。そうなると、何となく、その頭の部分には人間の頭脳に近いものが入っていてもおかしくないような気持ちになってしまうのも止むを得ないのでしょう。しかし、そんなに小さいところに、シンギュラリティー・レベルのAIはとても詰め込めません。このレベルのAIは、膨大な量のメモリーをスキャンして、それをベースに超高速で論理回路を働かせ、瞬時に答えを見つけ出すのですから、どう考えてもクラウドの中にいるしかありません。ロボットには目や耳を含む表情豊かな顔があり、本来の機能である手足や指があっても、頭脳の果たす機能のほとんどは遠隔地にあるクラウドの中にあり、ロボットの中の小さな頭脳は、クラウドとの通信のインターフェースを司るに過ぎないというのが、常識的な姿だと思います。それなのに、映画などの中では、常に独立したAI機能を具備しているかの様なロボットが描かれることが多く、AIそのものであるクラウドが描かれることは滅多にないのは、それが絵になりにくいからに過ぎません。映画は娯楽ですから、固いことを言うつもりはありませんが、AIというものをちゃんと理解しようとするときには、やはり映画で見たことは忘れて頂いた方が良いかと思います。

私が「AIが神になる日」という本を今の時点で書いたのは、AIという人類の将来を決める抜本的な技術変革が今まさに起ころうとしているのに、多くの人たちの理解があまりにも浅いと思ったからです。現在ここにお越しの方々はプロ中のプロの方々だと思われるので、そんなことは無いと思いますけど、AIに関する一般的な会話は、「AIって儲かるの?」とか「仕事が無くなるらしいね」とかそんなものです。「これではいかん。もっとAIの本質を知って欲しい」と私は思いました。知るだけじゃなくてアクションを起こしてくれないと、下手すると大変なことになると思うからです。その一方で「AIは下手をすると人類を滅ぼすぞ」とか「AIが暴走してターミネーターみたいになるぞ」とか言う人も多い。しかし、こう言う人には「怖かったら、じゃあどうすれば良いのですか」という問いに対する答えがないのです。怖かったら開発しないのですか?あなたがやらなかったら誰かがやりますよ。気がついたときにはその人たちが支配する世界で、我々には何の力もなく、言われるままに生きていることになる。それが嫌なら、我々が、皆さんが、色々な分野でAI開発の最先端に立たなければいけない。技術屋さんだけじゃなくて、それに関連する色々な仕事も含めて、朝から晩までAIのことを考えていないともう間に合いません。「あれは危ないからやるな」なんてことは、絶対に言ってもらっては困るのです。

科学技術というのは昔から比べると随分急速に進んでいますね。30年前と比べてみても、今はもう全然違うわけです。産業革命のときも大分変わったんだけど、最近の変わり具合はそれをはるかに越えます。ところが、それに比べて、政治とか、マネージメントとかは、どれだけ進んでいますか?現在の政治家なんて、ツタンカーメンとほとんど変わらないのではありませんか?安倍さんと聖徳太子ってどっちが偉いんですかって言われたら、…どっちか分からないけど、まぁ聖徳太子じゃあないですかっていうことになってしまいそうです。そうすると何が怖いかといえば、人間の性格は昔とあまり変わらないのに、技術だけが格段に進んでしまったという事実が怖いのです。昔だったら誰かが何かに癪に障って刀を振り回しても、せいぜい10人が殺せるくらいです。しかし、今はヤバいですよ。爆薬とか自動小銃とかがあるから、100人くらいはすぐにやられてしまいます。VXガスとか、細菌兵器とか、さらには小型の核兵器まで使われだしたら、犠牲者は、1000人、1万人、10万人、100万人、1000万人と、どんどん増えていきます。

現在の世界をみてください。世界中が寄ってたかっても、金正恩さん一人すらコントロール出来ません。人間が人間をコントロールするマネージメント能力というのは全然進歩していないんです。核が一番良い例です。核兵器はどんどん小型化し安くなった。誰でも作れるようになった。しかし、それをコントロールする能力は昔から全く変わっていないのです。プーチンが何かしたら、トランプもすぐに何かする。核兵器については、既にこの「恐怖の均衡」が常態化してしまっています。ですから、AIについては、今度こそ、科学技術の能力とマネージメント能力の進歩を合わせねばなりません。シンギュラリティーを実現したAIの能力はその比ではありません。本当に皆さん、今は平和に過ごしていますけど、あっという間にロヒンギャみたいな立場に自分たちが置かれても、文句は言えませんよ。

ですから、今こそ、まずはAIというものの本質を是非皆さんに知って欲しいのです。「仕事が無くなるらしいね」とか「儲かるんですか」とかいうレベルの話も、まぁそれはそれでやればいいですが、そういう話をしながらも、常に10年後はこうだとか50年後はこうだとかを考えて欲しいのです。決して逃げないで皆さんが先頭に立って欲しいのです。具体的に言えば、技術屋さんには、やっぱり倫理とか哲学とか歴史のことをいつも考えて欲しい。そして、文科系の人には、「あ、技術は分からないので…」みたいなことを言うのは、やめて欲しい。自分で開発しろと言ってるわけじゃないのです。AIなら何が出来るかということは文科系の人も分かるのですからそれを考えて、そのための法制度などを一生懸命やって欲しい。AIの本質を知るということは、その恐ろしさを知ると同時に、その良いところも知るということです。そういう強い気持ちがあったのでこの本を書きました。

この本は一昨年に日本で出したのですが、今年中には英語版が13か国で出せると思います。中国語版も出す予定ですが、中国はアメリカと並ぶ最強のAI大国となりそうですからね。中国語版は精華大学の出版部が出してくれます。精華大学の周辺には習近平さんに近い人も多いので、そういう人たちにも読んでもらえると嬉しいと思っています。そういうこともあって、これから私も、世界中の色々な場で、色々と議論していきたいと思っているのですが、何と言っても私も日本人ですから、日本が遅れている状態では、とても寂しいのです。日本は遅れていますよ。完全に遅れています。アメリカはやっぱり凄いですね。現状では、GoogleとMicrosoftが牽引車になって、色々な開発環境を提供しているので、色々な所で多くの人たちが最先端の研究開発に取り組んでいます。それから中国です。中国ほどAI開発に向いた国は無いので、早晩米国は中国に抜かれるのではないかと危惧している米国人は相当数います。

AIが神になる日――シンギュラリティーが人類を救う


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