『創造的でなければ死んでるのと同じ』 夏野剛✖️松本徹三 対談連載 1. 地獄を知っている二人!?
2021年10月26日(火)に開催された「Invent or Die - 未来の設計者たちへ:第11回 夏野剛 x 松本徹三」の書き起こしです。
通信業界の黎明期に、ソフトバンクとドコモで活躍。現在、日本の携帯電話の礎を作ったと言っても過言ではない二人。夏野剛と松本徹三氏が日本の未来に関して議論します。
1. 地獄を知っている二人!?
司会:それでは、大変お待たせいたしました。早速本日の主役のお二方をお招きしたいと思います。一般社団法人シンギュラリティ・ソサイエティ共同発起人であり、週刊『夏野総研』発行者の夏野剛さん。そして、実業家であり9月に刊行されました、話題の近未来シミュレーション小説『2022年 地軸大変動』の著者であります、松本徹三さんです。皆さま拍手でお迎えください。夏野さん、松本さん、本日はどうぞよろしくお願いいたします。
夏野氏:よろしくお願いします。
松本氏:ありがとうございます。
二人の出会いはヘッドハンティング!?
司会:お二方、前回お会いしたのはいつでしょうか?
夏野氏:会ってないけど、いつもTwitterとかで見てるから、いつでも会ってる感じですね。
松本氏:初めて会ったのはいつだったかな。
夏野氏:だいぶ前ですよ。まだ松本さんがクアルコムにいる頃だから。
松本氏:僕は、後にクアルコムのCEOになるPaul Jacobsと仲が良かったけど、そのPaul Jacobsから「夏野さんをクアルコムに採ってくれ」って頼まれた。
夏野氏:でも、本人から条件が提示されなかったんです。
松本氏:それは理由があったんですよ。彼が夏野さんを欲しがったのは、MediaFLOっていうプロジェクトがあったからです。
夏野氏:その条件は提示されました。でも、「それは絶対上手くいかない」って返した。
松本氏:MediaFLOは放送システムでしたからね。ネットになっていく時代に放送システムを今更やってもというか、夏野さんは興味はなかったんです。でも後々になってドコモはやったんですよ。NOTTVっていうのを。
夏野氏:あれはひどい話でしたよ。取り敢えずはじめて、結果的に大失敗になっちゃったっていうやつなんです。
松本氏:その頃は私はもうソフトバンクにいましたが、既にそれがわかっていたので興味を失っていました。ネットでロングテールが立ち上がる前は、多チャンネル放送っていうかいわばロングテールだったんですけど、ネットでロングテールが立ち上がったときには、もう古くなってたんです。夏野さんの方は3年ぐらい前からそれがわかっていたらしくて「駄目駄目」って言うから、僕はPaul Jacobsに「夏野さんは諦めてくれ」って言った。それが今から…何年前?
夏野氏:あれが2005年ぐらいですかね。
松本氏:いや、もっと前だったかも。
夏野氏:その後、僕がまだドコモにいるときに宮内さんが来て抽象的な話をするの。よくよく聞くと、スカウトしたいっていう話なんだけど。でも、抽象的なまんまなんですよ。ちゃんと具体的に、あのとき「2億あげるから来て」って言われてたら、行ってたと思うんだよね。だって、孫さんはそれを出すつもりだったじゃないですか。
松本氏:まあね。でも、あの頃はそんなに気前良くなかったんですよ?
夏野氏:ちょうどボーダフォンを買うときですよ。
松本氏:ボーダフォンを買うときだけど、その頃のソフトバンクの懐なんて際どいもんだったんですから。
夏野氏:そうなんだ。結局具体的な条件を提示しないまま、これって何だったんだろうと。
松本氏:僕は宮内さんが話してるのは知らなかった。
夏野氏:それが1回目で、その後Sprintを買うときに、今度は宮川さんから電話がかかってきて、「どうしても孫さんが話をしたいから」と言うので、会いに行ったんです。結局そのときも車に乗るまで孫さんが下まで送ってきてくれたんだけど、別に何の話もなく。
ということで、ソフトバンクグループ入りは、本当に縁遠かったです。
松本氏:知らなかった。
夏野氏:あのときは副社長で松本さんがいたよ。
松本氏:いたけど、副社長といっても本当の身内じゃないんです。昔から、会社っていうのはそういうものなのでは?所詮はお客さんなんです。
夏野氏:あのとき、孫さんは結構松本さんを頼りにしてましたよ。あのとき、松本さんはクアルコムをもう辞めてたんじゃなかったっけ?
松本氏:僕はアメリカに行こうと思ってたんです。
夏野氏:そう、それを引き止めた。松本さんが総務省からも恐れられ、NTTグループからめっちゃめちゃ恐れられてる人で。別に何も悪いことはしてないんだけど、主張がまともだから総務省が流されるわけです。
松本氏:総務省は恐れてましたね。
夏野氏:NTTが恐れてましたよ。クアルコムの代弁者として、アメリカのCDMAの話とかKDDIの話は、実は全部松本さんがやってたから。本当に通信業界で松本徹三ありきみたいな。なのにSF小説書いちゃうからすごいよね。
松本氏:考えてみたら、ソフトバンク時代、僕はほとんど役に立ってないんですよ。
夏野氏:いや、立ってたよ。
松本氏:いや、立ってません。名前だけは Chief Strategy Officerでしたけど。Chiefがつかないと外国人に相手にされないから孫さんにお伺いを立てたら「ああ、いいですよ」って言ってくれたのでそうなりましたが、考えてみたらこれは変なんですよね。だってChief Strategy Officerは直訳したら最高戦略責任者ですよ。それなら、その役目は現実には100%孫さんなんですから。
夏野氏:通信キャリアの組織って世界的に全然修羅場くぐってない人ばっかりなんです。そこにいきなり松本さんが、1人めちゃ修羅場くぐってきた人が。世界のGSMAとか。あれはすごかった。
松本氏:GSMAでは、確かに日本のために名を売りました。それまで日本はドコモさんから歌野さん。あ、こんなこと言ってもいいのかな。その前は、とにかく一言もしゃべらないということで有名だった。それまでは一言もしゃべらなかったけど、僕が彼に質問したので「あなたのおかげでドコモの人が初めて発言しました」って、みんなから感謝されたんです。
夏野氏:あのときはかき回してましたよ。
松本氏:おっしゃる通りかもしれませんね。ああいうところに出てくる各社のCSOというのはあまり役に立ちません。格好だけはいいんですけどね。「世の中はこうなる、ああなる」と言っても、実際に自分で手を汚してやってはいないことが多いのです。
夏野氏:それは標準化の世界では、標準化のプロフェッショナルっていうのがいて、実際には稼がないけど、政治的な駆け引きが得意な人っていうのがいるんです。
松本氏:標準化はそうですけどね。だけど、一般のstrategy officerっていうのは格好だけつけている人が多いようです。
夏野氏:でも、アメリカの会社だったら結構新しいことをやるのは、みんなCSOですよ。
松本氏:確かにそうです。ネットの世界とかはstrategyから入って開発するから。ただ、通信事業というのは言ってみれば元々土木建設業だから。
夏野氏:その通りだ。
松本氏:そうでしょう。土木建設業の中から新しいものをやっていく、現場とビジョンがちょうど相まみえる世界です。
夏野氏:だけども、僕は意外に面白かったんです。11年いましたけども。
松本氏:面白かったでしょうね。僕は大星さんから聞いたんです。「iモードについてみんないろいろ言ってるけど、あれは夏野が1人でやったんですよ」と。でも、あのとき上にいい人がいたじゃないですか。
夏野氏:榎さんね。
松本氏:榎さん。あの人は良かったですね。
夏野氏:良かった。榎さんが最高でした。榎さんが守ってくれなければ、僕はなかったです。
松本氏:夏野さん1人じゃ駄目だった。
夏野氏:できない。絶対できない。
松本氏:これは、これからの人にとって重要なヒントですよ。若くてガッツのある人も、1人だとなかなか何もできない。今は世の中がだいぶ良くなって、当時と比べたら比較にならない程に新しいことはしやすくなりましたが。
夏野氏:そうですね。今の若い人にはチャンスがある。
「創造的にしたから死んじゃった」?!そこは地獄・・・
松本氏:僕は夏野さんの一つ前の時代の人間なんですけど、実は今日お招きいただいたこのセッションの『Invent or Die』という名前には、非常に特別なご縁を感じるので、そのことを少しお話しさせてください。
実は僕は今から36~37年前に、アメリカでこの世の中にはベンチャーっていうのがあるんだということを初めて知りました。当時、私は商社マンでしたが、どこにでもガンガン投資していく現在の商社と違って、当時の商社は『コミッション・エージェント』つまり『口利き屋』が主だったんです。私はこの『コミッションをもらう口利き屋』というが嫌で嫌で、でもサラリーマンだからやらなきゃいかんじゃないですか。しかも、誰にとっても大市場のアメリカでは商社を頼りにしてくれるメーカーなんかあまりないですから、『口利き屋』稼業も難しい。そこに『この世の中にはベンチャーというものがある』ということを知ったので、これだと思ったんです。
しかし、当時日本ではベンチャーという言葉を知っている人はまだほとんどいませんでした。ですから、本社から見たら僕が何をやろうとしているのかさっぱり分からなかったでしょう。でも、まあやらせておこうかと思って放っておいたら、結果から言うとそれが全て大失敗でした。全部上手くいかない。これ以上失敗できないぐらい失敗しました。僕がその後も同じ会社で生きていけたのが不思議なくらいです。
そのときに、『ベンチャー投資』だけにしておけばよかったのに、僕は自分でも何か新しいものを作り出したくなって、自分で『ベンチャー事業』まではじめてしまいました。とても先進的だけど使いにくくて売りにくい変なものを作ってしまったのです。実は、”E-Mail”っていう言葉を世界で一番初めに使ったのは僕なんです。多機能電話機をポンッて触るとキーボードが出てきて。それでショートメッセージが交換できるんです。それを”E-Mail”って名付けたんですけど、肝心の商品が失敗したので、それが世の中に知られないうちに、本物の今のemailが出てきてしまいました。
その時に僕が作った会社の標語が”Be Creative or Die”だったんです。その言葉を額に入れて、それを社長室に掲げていました。元々ボストンでアメリカの独立運動を始めた人たちの合言葉が” Be Free or Die”だった。『自由でなければ死んでる方がまし』とか『自由の為なら死んでもいい』という意味です。だから、僕は『創造的でなければ死んでるのと同じ』と『創造的でなくては生きていけない』という意味の二つをかけて、自分ではいい言葉だと思って会社の標語にしたんです。
でも、やれたことは今から考えると恥ずかしいぐらい幼稚でお話になりませんでした。それで会社はガタガタです。一番仲良くしてたVPが毎朝来て、” Be Creative or Die”の” or”をXで消して、その上に” and”とマジックで書くんです。” Be Creative and Die”だったら、「創造的にしたから死んじゃった」という意味になります。もう会社は死にかけてたんだから、強烈な皮肉ですよね。僕は黙ってそれを消しておくと、彼は翌日また来て、「あれ?」と言って、また”and”にします。地獄ですよ。夏野さん、世の中に地獄ってありますよね。
夏野氏:僕も1回会社つぶしてるんで地獄でした。
松本氏:そういうことがあったので、『Invent or Die』は、僕の心にはグサッと刺さります。そんな背景がありました。
2. 迷った時は遠を見ろ
(に続く)
【緊急告知】 第2弾 開催決定! 3月29日 22時〜
「Invent or Die - 未来の設計者たちへ:第16回 夏野剛 x 松本徹三」の対談を行います。
現在の世界情勢を経験豊富な二人の視点から解説・考察します。自分達の取るべき行動・これからをを考える。
【タイトル】 「ウクライナ情勢と、その後の世界秩序」
【開催形式】 オンライン配信(ニコニコ動画)
【配信日時】 3月29日(火)22時~
※視聴頂くには、シンギュラリティ・ソサエティ or 週刊『夏野総研』への入会が必要になります。
『創造的でなければ死んでるのと同じ』 夏野剛✖️松本徹三 対談連載1〜7
1. 地獄を知っている二人!?
2. 迷った時は遠を見ろ
3. 海外から見た日本
4. AIの未来、人類を救うのは!?
5. 知識の幅を広げよう
6. 日本の市場と会社の限界
7. 若者よ、会社や社会をハックせよ!
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