見出し画像

無情

 
 ずうっと、気分が悪いまんま、過ごしている気がする。ずっと、ずうっとよ。あんまり言いたくはないから言わないようにしているけれど、わたしだって、わたしのことなんかだいきらいだし、気持ち悪いし、なんで生きているのだろうとおもう。あなたに言われるまでもないよ。だれかに罵られるまでもなく、わたしはちゃあんと、わたしのことがだいきらいだ。だから、安心して、きらっていてね。
 でも、ずいぶんと醜悪な生きものに貼りついた『わたし』と云う人格を好んでくださるやさしい方々も、たしかにいらっしゃる。ほんとうだよ。わたしは、あなたがたの親愛を存知上げている。それが過去のおはなしでも、いまのおはなしでも、おんなじことだ。たとい、うそや、わたしをたばかり、嘲笑うためのつくりばなしだったとしても、わたしには、信じることしかできないのだから。だからこそ、わたしはわたしのことが気持ち悪くて、だいきらいでも、わたしのことを好いてくださるおひとのまえで、まさか「わたしはわたしがだいきらい。」なんて、言えるはずもない。だって、それは、だいすきな方々の「すき」の気持ちを否定することになってしまうからだ。その「すき」がいくら刹那的であろうとも、わたしはそれを宝ものにできる。
 そうは言えども、やっぱりわたしはわたしのことがだいきらいだし、価値なんて言えるほどのものも無いのだ。だからこそ、わたしはすこしくらいマシな部分のわたしを掻き集めて、微笑んでいたいとおもう。そう、希いつづけている。ねがいつづけるだけだ。

 ああ。
 あのね、■■■■■。わたしは、偶像にはなれなかったよ。あなたの偶像にも、あなたたちの信仰にも、なににもなれなかった。それでも、こんなふうに、つたない虚像にでも、矜恃のひとつやふたつはあったかもしれない。いいや、矜恃と思わなければ、ほんとうに、なんにもないわたしが暴かれて、嘲笑われるだけの、欠けになるだけなのだから、わたしはそのこたちをたいせつにしなければならない。
 そう、お化粧じゃあないのよ。きっと、わたしのこれは、小学生のころに配られた紙粘土だ。在りし日のはりぼてのまま、生き永らえている。やさしいひとのふりをしている。
 だって、わたし、きれいごとなんかだいきらいだ。そうして、きれいごとなんて、この世界にあるはずがないから、うつくしくて、すきだとおもう。だから、きれいごとの存在を信じないまんま、わたしはきれいごとをおはなししつづけている。自己矛盾を抱えながら、めくるめく生きている。
 めくるめく、おとぎはなしのようにはなれなかった。わたしの『めくるめく』は、所詮、目眩くだけの、いやらしいほどのネオン・ライトばかりなのだから。
 
 最近だって、そうだ。いままでだって、そんなふうに終わりつづけていた。いかがかしら。思想犯でいられるうちが、花かしら。けれど、だめなのよ。思想だけでは、あのひとたちが、わたしの思想を塗りつぶすの。あのひとたちのけざやかな絵の具で、わたしのさみしい色を塗り替えてしまう。わたしたちの街なのに、『ペンキ塗りたて』の看板を眺めながら、どうしてなみだを流してしまいそうになるのだろうか。国境は、いつでも此処にある。わたしたちはいくつになっても、区切り線のこちらがわで、はかなくなるだけだ。
 
 きょうだって、そうだった。きっと、彼女たちはさまざまなものを乗り越えて、すぐにでも、みなみなさまにもてはやされるのだろう。そのとき、わたしは消えてなくなるだけだ。おもいでにも、記録にもなれない。
 だからこそ、わたしがつくりだした、わたしのためのものたちが、泣きつづけている。わたしの代わりに、哀しみつづけている。いまのわたしはわたしだけで、過去のわたしも、未来のわたしも、わたしが創りだせたなにかも、すべてわたしではないから、なんにもないわたしの代わりに、その子たちが泣いている。そんなふうに、哀しませるために生きているわけじゃあないのに。わたしは、■■■■■■を、■■■■■を、■■■■■を、みんなへ、ひとすくいだけでも、しあわせを贈れたら、それだけでうれしくなれるのに。そんなふうになれないから、なんにもないまんまだ。だいすきな行間すら、空白にしてしまう。告白はできない。告解するのは、わたしは死んだあとと決めている。わたしの秘密は、空想のお墓までまもりつづけるのだ。なにも供えられないだけの墓石でも、うみへ撒かれることもないのだろうけれど。ゆめのなかでなら、きっと、わたしはお墓まで辿り着ける。
 ああ、そうだ。そうだった。わたしの人生は、そんなふうに終わるのだった。
 だからこそ、この巡礼にも意義はない。だけれど、稚ないわたしが、わたしのために、なにか、意味をつくりたいと泣いている。なみだなんかは、もう、浮かばないところまで来てしまったのに。そうだ。わたしは、わたしのためにすることは、もうなにもないのだ。ただ、稚ないわたしが哀しむから、なにか、なにかをつづけて、生きなくてはならないのだ。だれかのために、息づいていられるのだから、わたしは、だいじょうぶなのだ。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?