心郷きい

名札:心郷(しんごう)きい ┊ 藝術と云うおくるみのなかで、ひっそりとしたいだけです。

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名札:心郷(しんごう)きい ┊ 藝術と云うおくるみのなかで、ひっそりとしたいだけです。

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最近の記事

2022-23年

■十二月某日  今日だけは、爪を切りたくなかった。  わたしは、迷信を知りながらも、信じていないふりをして――それでも、一縷の望みを懸けて、朝な夕な爪を切ることがある。だけれど、今日だけは切りたくはなかった。迷信が、正しいほうに作用してしまうことを恐れたからだ。日がな、一縷の望みを懸けているからこそ、悪さをしないか、心配をしていた。引っ掛かりを覚えるつま先が、早く切って欲しそうにこちらを覗いていても、知らんぷりをしていた。もしも――もしも、こんなふうな日に、わたしとご一緒に

    • 無情

         ずうっと、気分が悪いまんま、過ごしている気がする。ずっと、ずうっとよ。あんまり言いたくはないから言わないようにしているけれど、わたしだって、わたしのことなんかだいきらいだし、気持ち悪いし、なんで生きているのだろうとおもう。あなたに言われるまでもないよ。だれかに罵られるまでもなく、わたしはちゃあんと、わたしのことがだいきらいだ。だから、安心して、きらっていてね。  でも、ずいぶんと醜悪な生きものに貼りついた『わたし』と云う人格を好んでくださるやさしい方々も、たしかにいらっ

      • 誰にも合えない真夜中のはなし

         誰にも合えない真夜中がある。  誰にも言えない白昼夢もある。  或の高架下で、おともだちを亡くしたおはなしを憶い出したけれど、弔いはこんなふうに憂鬱な気持でするべきものではない。わたしが皆んなに献げるお弔いには、いつでも安寧が憑き纏うべきだ。白昼夢のようにじりじりと、じりじりと陽光がわたしの肌を灼くばかりだから、先週からは日傘を差しはじめた。射されるひかりを刺すことはできないけれど、絆創膏の代わりくらいにはなるものだ。なにより、日傘は好い。お他人のひとみに殺されずに済むし

        • 第十九話

             こんな夢を観た。  その夜、わたしは捨て子になった。映画館の真暗闇のなかに伐ち捨てられた子どもだった。その日は、どうにも、お星の廻り合わせが悪かったらしく、あともうふたりの捨て子が居た。新緑のひとみを合わせて、まだなにもわからないまま、ふたり、手を繋いでいた。わたしは、そのとき、「ああ、彼女たちは、運命の子どもたちなのだ。」と、悟った。悟ってしまった。青葉闇を知らぬ子どもたちの背は、非常口のみどりに照らされていてもうつくしい。わたしは、とうてい、彼女たちの背中へは手を

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        • 随想
          21本
        • 若草物語
          1本
        • 夢百夜
          19本
        • 敬慕
          5本
        • 掌篇
          2本

        記事

          無機質な庇護欲

           はじめは『妹』というタイトルにするつもりだった。つまりは、そういうこと。  わたしは、妹たちを、あいしている。あいしている。あいしている。あいしている。あいしている? あいしている。  あいしている。  わたしは、妹たちのことをあいしている。  これは、「夜ご飯、食べた?」とおんなしくらいに日常的な確認事項だ。朝ごはんは食べないことが多いし、朝ごはんは『朝ご飯』と云うよりも、『朝ごはん』というかんじがするから、好きだ。だからこそ、妹は『そういう』ものではない気もする。これ

          無機質な庇護欲

          第十八夜

           こんな夢を観た。  お母さまが、決死の表情で、わたしを殺そうとする。死にたくなどないわたしは、必死になって、お母さまの毒牙から逃れようとしていた。ストーブのなかに、おおきくなったわたしは入らないと気づいたお母さまは、じきに、ありきたりな包丁を手にして、わたしの咽喉もとへと突き刺した。ただの包丁では、絶命するまでにはずいぶんと時間がかかり、あんまり泣かないわたしの涙も、ついに涸れるような心地だった。これが一度目の死である。  二度目の死は、もうすこし幼ない時分であった。わたし

          第十八夜

          ことばに色をつけるということ

           #自分にとって大切なこと 。  自分にとって大切なこととは、ことばに色をつけることです。  このくにの、言語を大切にすること。挨拶に思いやりを持たせること。礼儀に笑みを持たせること。お手紙に愛を添えること。そのすべてが、ことばに色をつけることです。  日本語を、言語と云う面から学びました。日本語を、文学と云う面から学びました。日本語を、会話と云う面から学びました。わたしたちは、日々日本語を勉強しております。このことばを愛するために、このことばに恋をするために、ことばに

          ことばに色をつけるということ

          第十七夜

           こんな夢を観た。  すべてを、すべてを、砂塵に還される夢だ。わたしのおともだちも、なつかしい写真も、うつくしい宝石も、かぐわしいご本も、すべて、そのおひとの悪意によって、お砂に変えられてしまった。わたしは、いやだ、いやだと念じながら、たいせつなたからものを掻き集めようとした。けれど、その、彼女とも、彼とも形容できないおひとに、憑かれるように、盗られてしまう。奪われてしまった。そのおひとは、ばけもののようでありながら、やはり、おひとだった。のけものにされたけもののような形相を

          第十七夜

          安心と云う断章

           わたしは、誰かさんを安心させるために生きつづけているわけではないことを、生まれてから幾年月過ぎ去って、こんなふうになって、ようやく気がついた。  思考のはじまりは、「教えてくれれば、私も安心しますよ😅。」というメールの一文だった。そのことばを聞いたときに(聴きたくないから、聞いたことにしている。)、ハッとした。安心させるために居るのではない、安堵させるために在るのではない、と、気がついた。安寧を齎らすために、愛しているふりをしていたことには気づいていたけれど、そういえば、安

          安心と云う断章

          凍んでしまうまえに

           このままでは、本當に凍んでしまうから、わたしは、どうしても、生きなくてはならない。  筆先までもが凍んでしまうまえに、わたしは生きなくてはならない。おくすりを飲んで眠ろうとしても、指さきからみことのりがくだる。起き上がるころには忘れてしまっていたとしても、わたしが造りあげた記録は其処に、うなぞこに揺蕩うから、やっぱり、生きなくてはならない。歩まなくてはならない。  そうは云っても、どうやって生き存えたらよろしいのだろうか。これは永らえるための整地ではない。存えるための戦略だ

          凍んでしまうまえに

          震える指さきの話

           きのう、日記を書こうと思った。  九月のはじまり。これから、これからもまいにち、毎日をつづけられるように、あたらしいことを始めようと思った。だから、いつからか止まっていた日記を書こうと思ったのに、指さきが震えて書けなかった。  わたしたちは書けないと──描けないと、死んでしまうと云うのに、指さきが〇.三十八ミリのブラウン・ブラックに敗けてしまった。ぷるぷる、ふわふわ、ぶるぶる。指が震えてしまって、どうしようもない。わたしたちを固定できない中指に、ペン先を向けてしまおうかと

          震える指さきの話

          第十六夜

           こんな夢を観た。  其処は、郷愁がかぐわしく馨る教室だった。  誰も彼もを虜にした教室のひとつが、きょうもまた、わたしたちを誘ないつづける。机は「ぼくにお描き。」と許してくださるし、椅子は「こちらへおいで。」と手招いてくる。夕焼け色のカーテンも、しゃなりしゃなりと微笑んでいた。みぎへトィクタク、ひだりへトィクタク。春風がノックをし損ねた窓辺で、いつまでも死ねないだけの麻布が揺れている。  その夢のなかのわたしは、狭い劇場のなかの観客のひとりで、かわいらしい主役は見知らぬ

          第十五夜

           こんな夢を観た。  道を歩いていると、おばさまにお合いした。  「おはようございます」と挨拶をしようとしたものの、どうしても、咽喉が震えなかった。林檎のひと欠けが刺さったように、じくじくと傷んでいた。わたしは首を傾げながら、おばさまへ視線を向ける。おばさまはわたしに目もくれず、教会からいらしたシスターさまを見付けると、心底うれしそうに、意地悪くわらった。  おばさまは、他人の庭先から、洗濯傘に干してあった白いタオルを奪い取ると、そのまま頭のうえに掛けた。架からないはずの十

          第十五夜

          十三番は、しあわせの鏡合わせだから、しあわせなゆめに振ります。もうすこし。もうすこし。

          十三番は、しあわせの鏡合わせだから、しあわせなゆめに振ります。もうすこし。もうすこし。

          第十四夜

           こんな夢を観た。  だれかの鼻歌に騙されて、迷子になった。トゥルル、トゥルル。舌を丸めて奏でられる大鳥の熱に、わたしはチェシャ猫を探している。誘拐犯を捜そうにも、ひとっこひとりいない暗闇の奥では、愉快犯の化け猫と遇うほうが早いと思えたからだ。トゥル、ル、ル。だれかの鼻歌は、次第におおきくなっていく。軽快な音符には逝くまでの浮遊感が足りないらしく、かわいそうに、真白いだけのチューリップの隙き間に転がっては絶えていた。死にゆく音譜を拾いあげるだけのやさしさはゆめのなかには無く、

          第十四夜

          わたしのおじいちゃん

           おじいちゃんが死んでしまう!  わたしのなかでは、その話題で持ちきりだった。わたしのこころが新聞紙になったとしたら、輝かしくも、憎たらしい一面を飾るのは「おじいちゃん、危篤」という表題だろう。ああ、わたしの大切なおじいちゃんが、しんでしまうかもしれない! わたしの心模様は大荒れだった。大荒れ過ぎて、逆に、お母さんと妹たちには平生通りに見えたかもしれない。  わたしのおじいちゃんは、よくわたしたちをドライブに連れて行ってくれた。ひかりの海が観えない土地で育ったわたしたちは、

          わたしのおじいちゃん