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ゆたかさって、こころだ。


#ゆたかさって何だろう  ?!
 提題のとおりに考えてみたとき、わたしは、裕福な奥さまや、天水に慈しまれた土地ではなく、人間の、愛とか、こころを思い浮かべた。

 「お金か、愛情か。」なんて、井戸端だって、路地裏でだって論争されている。それだけ、古今東西・老若男女問わずに、人気(にんき)も、人気(ひとけ)もある話題なのだろう。たくさんの答えがあるなかで、わたしの答えは、いつでも「愛情があれば生き存(なが)らえるけれど、お金がなければ生活が出来ない。」だ。
 そう。愛情はこころをたいへん育むし、あなたを、それから、わたしを肯定するし、見知らぬ三人目のだれかにも、分け与えることができる。街の雰囲気がやわらかく、わたしたちの二酸化炭素が微笑んでいればいるほど、だれかのこころも、なんとなくあたたかくなる。
 だから、わたしは愛が好きだ。
 愛のほのおが燈る、マッチみたいな『こころ』が好きだ。『ゆたかさ』の資本に、かわいい試験体になるのならば、こころがいちばんだと思う。
 あんまり、暗闇と遊んでいるときには、煩わしく感じてしまうかも知れない。けれど、それだって、憎いこころのひとつだ。そうして、暗夜に沈むきみもうつくしい。きみはきっと、都会の街並みじゃあないところで、こころをゆたかにできる、素敵なおひとだ。

 たくさんの人間が居るなかで、わたしは、『ゆたかさ』や『しあわせ』の基準になるものは、『こころ』だと、このこころに決めている。
 秋のように実りある人生は、才能や努力が伴わなくては、薔薇のように咲けない。だけれど、春のように豊かな人生は、きっと、たんぽぽのようにさきわえる。綿毛になれば、どなたかへ祝福を差し上げられるし、なんてことはない、いとおしく、素晴らしい人生だ。
 だから、屹度、こわくはない。だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。どんな『こころ』でも、かならず、きみを、豊かにしてくれるよ。

 そうして、『こころ』に親しいものは、『ことば』で、『声』だ。
 『こころ』を豊かにするためには、やっぱり、だれかが必要だ。お他人さまが必要だ。『人間』という漢字は、人と人が助け合って出来上がっているのか、凭れ合って成り上がっているのか、はたまた、出逢いと別れを繰り返すための道すじを表しているのか、そのすべてなのか。わたしには結論づけられないけれど、どんな『人間』でも、一緒に生きている。
 生きなくては、ならない。
 だから、なるべく、やさしい『ことば』を食べて、あたたかい『声』を聴きたい。聴いてほしい。ゆたかに、こころよく、生きてほしい。
 もちろん、孤独もすばらしいものだ。
 独りで居るときだって、お月さまは耀いているし、まっさらな青空は、ひとりで観上げると、酸素が美味しくなる。それに、孤独になりたいときだって、ある。そんなときは、擦り切れはじめた『こころ』をゆたかにするために、美味しいごはんを、あたたかいお布団を、やさしい童話を、かわいいぬいぐるみを孤独と一緒に抱き締めて、おやすみしたら、きっと、よろしい。

 さいごに、わたしの『とっておき』を、すこしお話しようと思う。
 わたしにとって、『こころ』を奮わせるものは、『芸術』だ。
 芸術には、『こころ』も、『こえ』も籠っている。芸術は、お布団だ。小説だ。宝石だ。絵画だ。人間だ。音楽だ。短歌だ。随筆だ。演劇だ。いろんなものが、わたしの芸術だ。わたしのこころをゆたかにする『芸術』は、芸術に触れたときに感じる『ときめき』なのかもしれない。
 わたしは、ゆたかな『とっておき』があるから、きっと、きょうも、あしたも、生きていける心地になるのだ。

 それじゃあ。たおやかな生を。お身体と、こころをお大事に。

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