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はじめまして、神話のオールスターさん

オッサンの冒険が今日もはじまりました。
ホテルを出て京都駅近くのカフェで簡単なスケジュールを確認する。


今日の冒険テーマは「秦氏とシルクロードを紐づける散策」です。
冒険をはじめるに当たって、いきなり大きな関門が立ちはだかる。


「店内のご利用は60分以内」


あと40分しかないやん。
休まずさっさと出発しろってことなんだろうね。
はいはい。

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京都駅バスセンターで1日乗車券を買ったのですが、なんと10月から値上げした様です。強気やわ。そう来たのであれば、僕としてもいつもよりやる気が出てくる。絶対乗り負けない貧乏根性や。


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まず初めに来たのは太秦(うずまさ)です。
映画村で有名ですが、今回は無視します。


字のごとく秦氏と深く関係する土地です。
秦氏は元々はカザフスタン周辺の生まれである説が有力で、子供の頃から興味津々でした。実際にカザフスタンにも行ったことがありますが、京都との繋がりなんて全く感じなかったな。


京都の祇園祭は有名です。
「祇園(ギオン)」と言う音が、ペルシャ語「ギヤーン」で魂という意味。
これを知った時は鳥肌が立ちましたよ。その証拠に、祇園祭の山車にはちゃんとペルシャ絨毯が飾ってありますからね。当時の京都とペルシャには何らかの繋がりがあるのです。


秦氏は絹を盛んに生産していたことから、シルクロードとも関係がありそうですね。


と言うことで、まず初めに訪れました場所は「蚕ノ社」です。
正式名は木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたま)と難しい。
祭神はなんと5柱であり、神話好きであればびっくりするはずです。

・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
・大国魂神(おおくにたまのかみ)
・穂々出見命(ほほでみのみこと)
・鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
・瓊々杵尊(ににぎのみこと)


完璧なるオールスターです。
他ではあり得ません。


創建は不詳とされていますが、続日本記の大宝元年(701年)には登場しているので、京都に都が遷都される100年以上も前からあることになります。
平安京(794年)です。


推古天皇や聖徳太子の時代に創建された広隆寺と同時期に建てられと考えられているようで、京都で最も古い神社です。


そして、今日の冒険の目玉である「三柱鳥居」があります。
ようやく念願叶いました。本殿左側の奥にひっそりと佇んでいる。


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国内ではここの他に12基の三柱鳥居がありますが、木嶋神社のものが三柱鳥居のルーツのような存在なのです。


真ん中に石が積まれていますが、かつてはここから豊かな水が湧いていたようで、豊かな水によって森が生い茂り、まるで島の様であったことから、「木の嶋」と呼ばれるようになったと伝わっています。


湧き水が流れた先には「元糺(ただす)の池」があり、土曜に丑の日に手足をこの池につけると病気にならないと伝わっているが、残念ながら現在は枯れてしまっています。


下鴨神社周辺も糺の森と言われていますが、こちらが原点だということは時代感覚からしても明らかです。


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この泉の湧く鳥居は神の宿る場所とされ、主祭神の天之御中主は造化三神の一柱で宇宙の神とも言われていることから、ここが宇宙の中心であると言われる所以です。なのでスーパーパワースポットなのです。


三柱鳥居を上から見ると、それぞれの三角形の頂点の方角がある場所を指していると言われています。伏見稲荷、松尾大社、北方には秦氏ゆかりの古墳群があり、冬至の日には太陽が稲荷山から反対側の愛宕山へ、夏至の日には四明岳から反対側の松尾山へ昇って沈みます。


木嶋神社は古来より祈雨の神として信仰され、太陽信仰の聖地として祭祀が行われてきたとも伝えられているため、日読みの聖地であった可能性が高い。


また、三柱鳥居はキリスト教の三位一体を表しているキリスト教の遺跡ではないかとの仮説もあり、秦氏との関連も濃かったはずでです。


秦氏は景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)だった可能性が高く、祇園祭りの出立ちを鑑みても納得しちゃいます。


景教は3〜7世紀にかけて西アジアを支配していたササン朝ペルシャ帝国によって育まれ広がった古代キリスト教の教派の一つ。広隆寺が建立された頃は、唐の都でも景教の布教が活発になっていて、中国各地でも「大秦寺」と呼ばれる景教の寺院が建てられています。


そして、秦河勝が建立した広隆寺も、その昔は「太秦寺」と称されており、中国のそれとめっちゃ似ています。そうなると、秦氏が景教を日本に広めていたことになるので、小学生の時に習ったキリスト教の伝来とは随分違ってしまいます。


アラム語で太秦(ウズマサ)はイエス・キリストを意味する「イシュ・メシャ」と言う言葉が訛ったのではないかと言われています。笑える。


イシュ・メシャ、、、ウズ・マシャ、、、ウズマサ?


また、秦氏はユダヤ人だったと考えると、三柱鳥居をダビデの星と関連付ける説もある様です。


つまり、太秦地区はキリスト教を中心とした西洋宗教の痕跡が見られるのです。実際にオッサンの冒険として現地を訪れ、古代のロマンを肌で感じてみると感無量です。


普段はしょーもないことで悩むことが多いですが、同じ悩むのであれば、太古のロマンを想像しながら悩み続けたいものです。


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広隆寺:秦河勝建立


最後まで読み進めて頂きありがとうございました。
秋の京都を満喫しています。素敵です、京都。🍁


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