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「課題の分離」が出来ていれば、トラブルなんて起きない

僕の妻は一人息子に対して絶対に「勉強しなさい」とは言わない。
理由を聞いてみると、それは子供の課題だからだと言う。


納得。
僕自身も両親から「勉強しなさい」と言われたことがなかったからだ。
結局は自分のことだし、自分が決めること。だから、進路についても、就職についても、自分で決めなさいと言われ続けてきました。


はじめは「楽チンだな」なんて思っていましたが、その分じっくり考える時間があった。親の希望ではなく、自分がどうしたいのかを考え、最終的には責任感の様なものが芽生えたことは間違いない。


世間のあらゆる人間関係のトラブルを見てみると、その殆どは干渉によるものです。他者の課題に土足で踏み込むことで生じたり、或いは、自分の課題に対して土足で踏み込まれて引き起こされる場合です。


アドラー心理学で指摘している「課題の分離」です。
馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を呑ませることはできない。
課題に立ち向かいうのは本人であり、決心をするもの本人。この原理原則が軸になっている。


妻の「勉強しなさい」と言わない。を聞いた時、では親の責任はなんなんだろうと感じました。勉強することは息子の課題だとしても、勉強させることは親の責任ではないかと感じたからです。


「あなたの為を思って」と言う言葉。
この言葉が脳裏から離れず僕を不安にさせていた。


「あなたのため? それってパパのためって思ってない?」
妻にそう指摘された時、頭をハンマーでどつかれた感じがしました。
確かに僕の為だったのかもかも知れない。例え息子が勉強しなかったとしても、それは息子の課題であり、親である僕の課題ではない。


息子が何をしているのか知らない、知ろうともしないと言う態度ではなく、何をしているのかを知った上で見守る。勉強についても、それが本人の課題であることを伝えた上で、しっかり見守ることが重要なんだと気づいた。


もしも本人が勉強したいと行動をはじめた時に、いつでも援助する用意があることを伝えておく。妻や僕の両親は共通してここを大事にしていた。


今更ながらに気づいた。
やれやれ。


だからあれやこれやと口を出してこなかったんだな。
大学を卒業して数十年経ってから、親の愛情って奴を妻を介して知ることになりました。


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親が「○○中学や高校、大学へ行きなさい」と言うのは大きな過ちです。
子供が他者の人生を生きることになるからです。他者が抱いた「こんな人になってほしい」と言う期待をなぞって生きて行くことになります。自分を捨てて他者の人生を歩むことなんてつまらないですよね。


僕は他者の人生なんて歩みたくない。そうであれば、きっと他者もまた、僕の期待を満たす為に生きたくはないはずです。だから、自分の思い通りにならないからと言って、怒りを露にしてはいけない、そう思うのです。


僕は会社でも部下を叱らない。
叱るのではなく、どうしたらもっと上手く行くのか、どうすべきだったかを考える機会を与えています。その方が圧倒的に人は成長するし、慕ってくれる。勿論、業績だって鰻登りです。


アドラーの心理学を理解しようとした時、初めは相当に抵抗があった。
でも、普段の生活の中で意外と沢山の事実が溶け込んでいるのです。


全てを理解するのは難しいですが、身近なものに目を向けてよく観察すると見えてくる。物事の表面や触りだけを気にするのではなく、裏に隠れた本質を見つけることが出来れば最高。


僕の両親がアドラー心理学の詳細を知っていたとは到底思えない。
きっと息子を思う普遍的な愛情の真理がそうさせたのでしょう。


妻についてはもっと分からない。
どこまで僕の隠された背景を知っているのか。
そんなことを考えると、ゾッと背中が冷たくなってくる。


お盆だからだろうか。
早く、カード請求書を隠さないと。


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最後まで読み進めて頂きありがとうございました。
素敵なお盆休みを満喫してください。🌱


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