後悔の多い私には「万事塞翁が馬」の教え
自分が選ばなかった道をそちらに行っていたらどうだっただろうとよく考えてしまう。あの分岐点、どうして私はそのまま目の前の道を進んでいかなかったのだろう。どうして進むんだ!と決断しなかったのだろう。心揺らいで揺らいで出した答えなのに選んだ道がよかったのかどうかと後悔する。これは壮大な話ではなく、小さいことも私はずっとそうやって考えて生きてきた。
例えば、Aという化粧品を買った。買うまでに相当悩み時間をかける。オンラインでも調べ、口コミを見て、実際にお店に行って見て、その場では買わず「ちょっと考えます」と言って一度は帰り、決意して改めて買いに行く。オンラインの方が安かったと分かると他にもっと安いのがなかったかと探す。もう買っているのに。もう1つと悩んでいたBという化粧品が特売になっていたとする、または口コミがよかったとする。そうするとなんでAを選択したのかと後悔し、Bについて今更ながらまた色々調べてみたりする。化粧品だとキャンセルできないが、仮にキャンセルできる状況のイベント参加などだとすると、そこからまたずっと悩むのである。
前回お話した、パートナー探しで既に予約していたイベントをキャンセルした。キャンセルするのにもすごい悩んだ。相当な時間悩んだし、イベントに参加した場合、参加しなかった場合を頭の中でシュミレーションした。そしてパートナー探しの継続が決まった時に再度申し込むかをこれまた悩みに悩んだ。毎日見てはどうしようと考えそのうち募集締め切りとなり、行けば楽しかったのだろうか、いい出会いがあったのだろうかとまた考える。キャンセル待ちがでないかまた毎日見るのである。
悩むことの本質は
欲だと思う
私は欲深い
よりいい道を行きたいと、それはなかなか変えられない心の底からの声だ。
偶然の出会いを喜ぶということもできない。
限られた人生で、自己満足の欲に縛られて生きるのは本意ではない。
私は人生こんなことに時間を費やしてきた。そして疲れたり、がっかりしたり、やっと選択した方にはさほど興味を示さなかったり。とんだ時間浪費である。時間だけでなく神経をすり減らしである。
万事塞翁が馬というのは中国の故事からきている。起こることはいいことなのか、悪いことなのかその場では分からない。なので一喜一憂するなかれ。という。
さて、私がキャンセルした2つのイベントは1つは博物館に行く、もう1つはバスツアーの婚活(パートナー探し)である。
実は博物館当日、私は急性胃腸炎になった。食中毒だったかもしれない。トイレとベットを行ったり来たり。苦しかった。要はどちらにしろその日は行けなかったのだ。ということは、参加申込していなくてよかったという結果となる。
バスツアーについては、1日仕事なので、参加には相当勇気がいる。たまたまTVで密着があったということでツアーの様子が放送されていた。これは厳しい。丸1日遠くまでいって、これに参加するのは苦行だと思った。そこまでしなくてもいいよ、自分。ということでキャンセルに救われたのだ。
決められない、迷いまくるこの性格とはおさらばしないといけない。
万事塞翁が馬なのだから。
といいながら、前回投稿した最後でも結局迷っているわたし。なるようになれ、とは思えず、ぐたぐだと考えている。
婚活100本ノックというドラマを見ている。散々お相手を探して、最高の相手と相思相愛になった。のに、結局自分はこの道に進みたかったのではないと振り出しに戻る。被る。ということはみんなそうなのか!?
今やりとりしている方(前回お話した3番目の方)はとてもいい方で、救われる。今今の付き合い方はこういう状態がいいというのが合致してて、でもその部分に結局は不安になる自分。パートナーを探しているのに付き合うことに覚悟ができていない、というのはドラマと全く一緒である。
しかし、1点、まだ終わりにならない余地がある。
私が悩んで困っていることを、その方と相談しながらすすめられそうな気がするのである。そういう人な気がする。自分ひとりで考えて結論をだしてしまった過去の失敗を繰り返さないためにも、自分がどう考えているのかその時その時で本心を話して2人で話し合ってみようと思う。ここはひとつ流れに任せてみて、このお付き合いが、いいことなのか悪いことなのかの判断は今はしないようにしようと思う。
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