夫婦で同じ不満を抱いていることの、まー多いこと
嫌いな人がいたとする。その人と接する時にもちろんそれを表に出さない。けど、嫌いな人は相手も自分が嫌いである。にわとりが先か卵が先かどちらが先かはわからない。夫婦も同じである。
彼の気持ちを想像できていなかった。
察することも必要だけれど、必要なことはお互いの気持ちを素直に話し、お互いに受容する態度でいて、ギャップはすり合わせる作業。
結婚にはこれが大事だと思う。
相手には相手の気持ちがある。当然なのに、そこをどれくらい気にかけていただろうか。相手の気持ちを考えるどころか、ああすればこうするだろうと貼ったレッテルをだしてきては、がっかりしたり、スルーしたりしていた気がする。
旦那さんのことは尊敬していた。私にはない考えを持っていて、合理的で、無駄がなく、これまでの人生経験を通して辛抱強い人だった。買い物のセンスも良く、食事にも気を付け、仕事に対しても正しく責任をもって対応していた。
けれど、私は彼の何をみていたのかなと今になって思う。
私は彼に褒められたかった。存在を認めて欲しかった。一緒にいることを喜んで欲しかった。はて、私は彼にそれができていただろうか。
彼の浮気を知って、私の気持ちは崩れてしまった。崩れた理由は浮気そのものではなく、小さなストレス。自分が我慢してきたこと。それに疲れてしまった。これだけ自分を殺してやってもダメなんだ、浮気されちゃうんだ、不満に思われるんだと。だったらもう無理。やるだけのことはやったというのが最後に気持ちだったかもしれない。
しかし、これは私側の意見。彼側の意見はまた違っていた。笑ってしまうほど、私が彼に感じてきたことと同じことを彼も考えていたことを知った。彼も小さなストレスに疲れていた。
考えれば当然のこと。彼は離婚は考えていないと言っていたが、浮気相手が彼の心の拠り所だったのは間違えない。家がくつろげる場所でなくなっていた。そんなバカな、こんなにもやっているのに、と思った私は浅はかである。
話は少し飛ぶが、友人が旦那さんに離婚を切り出したら全く反対されなかったと不満を言っていた。彼女はいつも話に切れ目がない、そして自分はこう思うをはっきり言う。いつも一緒にいる特に一番身近な彼は疲れることがあったのかも知れない。もちろん夫婦のことだから一方にだけ原因があるということはない。彼女が旦那さんにどうして欲しかったかの気持ちもよく分かる。結婚とは奥が深い。
さて、私たちのことに戻るが、お互いが同じことを思い、同じことに不満をもっていたということを離婚を期に深く深く理解した。そのことを離婚するまで気が付かなかった。次、誰かと一緒にいることがあればここは絶対に留意したい。
ああ言えばこう言う。こうすればこうなるがどんどん溜まってきて、お互いに何も言わなくなる。波風立てて険悪になるなら、何も言わない方がいい。いつしか言わないで我慢して他で紛らわそうとする気遣いになっていった。雲行きが怪しくなってからは波風立てないようにと押さえていたもやもやが頭を過るようになる。離婚に至らなくとも、浮気をしたり、勘ぐったり、相手を信じられなくなったり、家庭内別居だったり。ああ、こういうことって全然普通に起こることなのだな。
我慢といっても些細なこと。だから我慢できると思っていた。友達の話もそう。小さいこと。だけど年月が経ち、何かで引き金をひかれると大きいことになる。
「私が思っていたこと/彼が思っていたこと」を振り返ってみる。
■相手に関心がない
彼は私に興味がなく、自分のことしか気にしていないようにみえた。私自身も波風のない生活が望みだった。毎日同じことが起こり、それをこなし、2人で生活をしていく。それだけでいいと思っていた。
といいながら、褒められたくて、隅々まで掃除をしたことや一気にやった洗濯を逐一報告した。反応はなし。
考えたら、私も彼に興味を示さず、自分のことを、家事を優先しつつも、子供がいないので独身時代と同じように自分のことをやれていた。家事を同等にやっていた彼に私も心から感謝することが減っていたのかもしれない。日々の小さいイライラがあると「心から」というのがだんだん難しくなる。上辺だけの冷気は伝わるものだ。
関係が悪化し始めた頃、彼がたばこを吸い始めた。ストレスからとは分かるが、私に何かを伝えたかったのかもしれない。SOSだったのかも。その時は八つ当たり、当てつけと思ってしまう自分がいたけれど。何も言わなかった私の行動は無関心というネーミングが当てはまっていた。
■一緒にいてもつまらなそう、嬉しくなさそう
特に旅行。予定を立てて、その通りに旅行して、楽しいとも嬉しいともない。いつもつまらなそう。私がナビを間違えると怒る。次、どこ行くの?と聞かれ満足な案内ができるかハラハラしてしてしまう。車では心落ち着かないので電車にすると今度は遅延が心配になる。彼は遅延が最も嫌いな人なのだ。遅延に巻き込まれるとみるみる内に機嫌が悪くなる。そして私たちの旅行には必ず遅延が発生した。ホテルの手配ミスというのもあった。予定が狂った時、彼の機嫌が悪くなるのが本当に怖かった。
では、私はというと要はこのハラハラと恐れがあって、私もつまらなそう、嬉しくなさそうにしていた!んだな。今となっては安易に想像ができる。そして私は写真狂なので旅行に行くとカシャカシャと写真ばかり撮っていた。それも相手を考えない行動だったと思う。
一度彼が旅行の帰りの電車遅延で激怒して混雑している社内を故意に人にぶつかりながらすごい勢いで先に行ってしまい、そのまま帰ってしまったことがある。あれで私の心は折れた。が、彼はそうするほどのどうしようもない溜まった気持ちがあったのだろう。お互いそのことは何もなかったかのように話はせず、タブーにしてしまった。私の心の中のわだかまりは巨大な壁となり、それ以来常に私に影を差していた。あの時、私はこう思ったと素直に伝えていたら、そして彼のどうしようもない気持ちに寄り添えていたなら、この先も2人で歩めたかもしれない。それを期に彼はどんどん私と一緒にいたがらなくなっていった。つまり彼にも巨大な壁と影ができてしまったのだろう。I have no idea. 私はどうすれば一緒にいて楽しく思ってくれるのか全く分からなくなってしまった。
■何を言っても否定する
彼は趣味がないことに焦っていた。老後のためにも趣味を見つけたい。2人でいると切羽詰まることができないから週5別居して自分を追い詰めて趣味を見つけたいと言われた。のがそもそもの離婚のカウントダウンだった。それで彼は家を出て、結局1か月後に帰ってきた。それは前に書いた通りである。
それはさておき、私は彼に趣味がないということをどれくらい真剣に聞いてあげていたのだろうか。当時彼の思いを私の尺度にはめていたと思う。「相手はいなくなる不安。もちろんある。でもそれを抱えていきていくしかない。考えても解決できないのでは。」と答えていた。彼のその気持ちを受け止めることなく。否定された気持ち、この人は分かってくれないと思ったことだろう。そして私に一人で生きられる人物というラベルを貼り、孤独感を感じたかもしれない。
それでも、趣味を列挙してみる。彼は全部否定。どれも嫌だと言う。とりあえず一緒にやってみようと言ってみたが、彼は一緒にいたがらない。私といること、一緒に何かやることを否定する。と私は感じていた。彼もまた私が言うことになんでも否定する人。と刷り込みがされていった。
■仕事の不満とTVへの不満
昔お付き合いした人で、会えばいつも仕事の不満をいっている人がいた。それが大大大大嫌いだった。それなのに、私は同じことを彼にした。トホホである。
会社内で異動があり仕事が忙しく、忙しいだけでなくお局に嫌な態度をとられ、グレードの上の人たちは手を差し伸べるどころか見て見ぬふりをされていた時期である。どうやれば解決できるのか方法が分からず、迫る期日を綱渡りしていた。私はそういう時心が折れる。というよりは不満を周囲に言い踏ん張るタイプである。何人もの人にいかに理不尽か、冷酷な周囲化を連日毒づいていた。不満を聞かされる人は大変だ。がそれが心の支えだった。これに関しては100%私が悪い。彼に申し訳ない。どんなに嫌なことか前述の通り私も元カレで体験して分かっている。
彼は仕事で不満は言わなかった。同僚を悪く言うようなこともしない。
がしかし、1つ嫌だと感じていることがあった。
TVに文句を言うのである。彼とニュースを見ていると気が滅入る。言えなかったがそれを止めて欲しかった。
■ケチ
私の家族は豪快にお金を使うがケチである。リフォームしたばかりの家を建て替える、別荘を買う、海外・国内あちこち旅行へ行く。お肉や刺身は質のいいものを買う。けれど、自動販売機は使わず家から飲み物を持参する。お風呂の水は掃除、洗濯、鼻への水やりと1滴も無駄にしない、電気も暗い。私にもそれが染みついて贅沢は敵だと思う節がある。それがみすぼらしく感じていたことは知っていた。
家計はお互いお金を出し合って使っていた。私はその二人のお財布からすべてを支払って欲しかったが、彼個人の買い物はなぜか私がお金を出すようお願いされた。外食は2人の財布からだったけれど、私のリクエストで食べたものがコスパが悪かった場合は彼が不機嫌になる。それが怖くて私が行きたいお店へ行く場合は私が払うことにしていた。バレンタインもクリスマスももらったことがない。結婚する前はお互いにこれらはなかったので、よく言う釣った魚には餌をやらず、というところかもしれない。
長くなってしまったので、今回はここまで。続きは次回。
自分が相手に思い抱いていることは相手もほぼほぼ思っていると思っていい。それは恋愛に限らず。嫌いな人からは嫌われ、話しにくいと思っている人から話しにくいと思われ、不満に思うことは、全くの合わせ鏡で相手も思っている。自分中心で物事を考えているとこれを乗り越えられない。これからの人生にも似たようなことが起こるはず。柔軟になって諦めることなく、壁に思える山々の超えた向こう側を見てみたい。
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