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失敗してもいい、100点満点でなくていい、結婚をしてみる。

ここでは、離婚のこと、おひとり老後の備えのこと、日々感じていることをnoteしています。今回はその9回目。誰かに何かを伝えるというよりは、連載型の私自身の思い出の備忘録に。徒然なるままに書いていることをお許しください。

彼との思い出を墓場まで持っていくと思っているのは、いい思い出だから。やはり彼のことが好きだし。尊敬している。一番大切な人だったし、常に優先して考えていた。はずだった。けれどちゃんと向き合えていなかったのかな。一人の人として尊重することができていなかったのかな。

離婚した今でも、この人が私の旦那さんで間違えなかったと思っている。確実に幸せだったと言える。旦那さんには感謝している。育った環境が似ていて、日常生活のちょっとした違いがストレスになっていたこともなかった。結婚して1年はお互い慣れなくて辛いよ、と性格が激似な既婚の友人から言われ覚悟していたけれど、そのストレスを感じることはなく1年が過ぎた。

彼はバツ1だった。離婚の理由は知らないし、子供たちのこともほぼ聞いたことがなかった。子供たちのことは世界で一番愛している。ということは知っている。元の奥さんと子供たちは引き続き彼の実家に住んでいて、生活費も毎月きちんと払っていた。私は口にはしていなかったけれど、彼の家とお金はすべて彼の子供たちが引き継げばいいと思っていた。

私たちが結婚する前に言っていた彼の望みは、毎日ご飯とビールを一緒に楽しむこと。そしてそれは彼が突然家を出て行ってしまう直前まで実現できていたと思う。彼の望みは私の望みになり、毎日一緒に食事をすることが何よりも私のやすらぎになった。どんなに仕事が大変でも、精神的に疲れても、家に帰れば安心し、平和な気持ちになれた。

また、彼がよくいっていたことは、人生一度きりなのだから好きなことをした方がいい。ということ。彼はきっと前回計り知れない覚悟をもって15年以上の結婚生活に終止符を打ったのだと思う。人生一度きり、その言葉はとても重いもののように思えた。どんな気持ちだったかは分からないけれど、大きな決断した彼には幸せでいて欲しかった。けど結局、私が彼に幸せをあげられたのは本当に短い期間になってしまった。

そして、この人生一度切り、という言葉は結局彼の人生私なんかといるより、今彼が一緒にいたいと思っているあの人と一緒にいた方がいいという私の思い込みを強く後押しした形になってしまった。

とは言えこの先もきっと私にはこの言葉が付いて回るだろう。失敗しようと成功しようと、やはり人生一度切りというのはどこをどう切っても真実だから。

彼の考えにはいつも一理ある。注意されたことも後から考えると間違っていないことばかりだと思う。
付き合う時も付き合ってみないとお互いに分からないのだから付き合おうと言われた。嬉しいような嬉しくないような提案だが、まじめに考えすぎる私にとっては納得の一言だった。
仕事が大変で愚痴った時も、だったら辞めればとさらりと一言。無理して嫌なことをすることない。ただ何もやらない人生はつまらないから何かやった方がいいし、稼いでもらわないと困ると言われた。
私が年老いた時は専門の人にお任せする。自分は何もできない。とよく言われていた。確かにそうなんだけど。。。
彼が家を出て行ってしまった心境も、老後を不安がっていたことも、今なら分かる。

付き合い始めた頃を少し振り返ってみる。
付き合ってしばらくは彼のことが好きかどうか確信がなかったが、彼の家に最初に行った時、私は恋に落ちた。なぜなら、部屋もキッチンもとっても整理されていたからだ。神経質なきれい好きというのとは違う。無理をしないシンプルな快適な暮らしがそこにあった。

彼の好きなところは、出会った当初から、別れるまで変わらなかった。
・使ったものはすぐに片付ける
・物は無くなってから次を買う
・新しく買ったら古いものを捨てる
・不要ものはまだ使えても捨てる
・少しの機能違いなら買わない
・ほこりがたまるので下に置かない
・翌日の準備をしてから寝る
・目覚まし1回ですぐ起きる
・料理の手際がいい
・キッチン用品がどれも使いやすい
・待ち合わせ場所には10分前に着く
・NHKあさイチのような分野で情報通
 例えば、食事はサラダから食べる、ゆっくり食べる
 洗濯ものは風を当てると乾きやすい
 同じズボン、同じ靴は2日続けて身に着せず1日休ませる
そして何よりも好きだったのは、ありがとう、おいしいよをよく言うところ

私がこれまでやろうとしてもできなかった規則正しい生活が、結婚してからあっさり手に入った。彼がしっかりしているので、自分のこだわりは手放し、倣って生活をしていた。それがとても楽だった。

新居は彼が住んでいたアパート。会社まで2時間。当時私は仕事が忙しくいつも時間に追われていた。1日息つく間もなく仕事して、会社を飛び出し定刻の電車に飛び乗る。彼が家で待っている。仕事が恨めしかった。私は仕事に追われている場合ではなのだ、定時で帰りたい。けどそんなことは許されずもどかしい時期だった。
都心への通勤は2時間かかったが、その分週末はいつも自然に近いところに出かけることができた。たくさん週末気軽に日帰り散歩に行くことができた。半年後そこから都心に引っ越したけれど、この場所は私が生まれ変われた(と思えた)場所である。

本当に幸せな時間だった。

他の人では結婚するのは無理だったと思う。
彼には感謝している。
結婚に躊躇していた私を、結婚の世界に呼んでくれた。
ありがたい。

失敗してもいい、100点満点でなくていい、結婚をしてみる。
これに早く気が付いていたら、もっと早く結婚して、失敗や勘違いを修正しながら生きてこられたのだろう。
かなり遅いスタートになってしまい、私は50になって人生の修正をしているのだ。若い時は怖がる必要はない。やり直しが効くから何でもやってみるべき。よく聞く言葉だけれど、本当にその通りだなと思う。

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