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人生について、なんか分かった気がする。

noteを初めて1年になる。
自分の思ったことを記録しておこう、それが自分自身を含め誰かのためになればと思って始めた。
ひとまず人生が変わってしまった離婚のことを書き始めた。どんな思いだったかを余すところ記すつもりであった。

一時はとんでもなく落ち込んだ。
しかし、記憶と言うものは薄れていくものである。
まーまー元気になった。そして、どんな経験でも人生にはスパイスだ。などと考えている。
いかなる経験から薄っくだけど、一回り大きくなった自分がいるからだ。
そしてそれは周りの友達を見てもそう思う。

なので、一通りのことを書き残したい気持ちは今も満々だ。が、更新がかなり久しぶりになってしまった。

その理由は目の調子。
目の疲れや老眼だ、と思っていた目の不調は、一時的な悪さではなくメガネをすればいいものでもなかった。進行性の病気であった。
緑内障である。
しかも気が付くのが遅くて、相当悪い状況にある。
それにより全体的にものが見えずらく、自分が見えるのはもやっとした世界になってしまった。
それにより色々なことが億劫になってしまっているのである。
さらにこれ以上悪化する可能性が高い。
でもこれと付き合っていくしかない。
冷静な自分がいるものの、このことももやはり自分の生き方を変える重大なことになりつつある。
悪い方向に、でもあり良い方向にでもある。

私はマツコ・デラックスの番組が好きなのだが、マツコが最近よくいっている。50歳になって死を意識するようになった、と。
私も同感である。
とんでもなくagreeである。
50になって死を意識し始めた。
49歳11か月30日まで考えたことのなかった死を考えるようになったのだ。

もうすく亡くなるのでは、ということを考えることではない。
生きるとは死ぬまでのことなんだ。と思うようになったのである。

落ち込むより不安でいるより、今を生きないと、終わってしまう。
終わってしまうまでの過程を楽しまないと
もう自分を生きることはできないんだ。

私は人生後悔することばかりだった。
さらに後悔をしたくないから慎重で、調べまくって、疲れていた。
不満ばかり、批判ばかり
偉そうに意見を言ったり、ネガティブな発言をしたり
人生、それでいいのだろうか?

いや、だめだ!!!

時間がないから生き急ぐ、のではない
人生を大切に思って、人生を大切にしていくのだ。

てなことも、目の調子と調整しながら、書き留めておこうと思う。
離婚の顛末も、生きるについて意識が変わったことも書くつもりでおります。

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