2011年の私の言葉を、2023年の私が受け継ごうと思う
これは、私自身が2011年3月13日に書いていた言葉。
2011年3月11日に発生した東日本大震災、そしてその津波によって発生してしまった福島第一原子力発電所の事故。
あの日以来、自分自身も過去に風評を流す側に立ったことが全くただの一度も無かったと言えるだろうか?
ふと、そんな思いが心をよぎり、自分自身のブログを久しぶりに読み返してみたところ、この言葉が目に留まった。
熱いねぇ。
言葉が若いねぇ。
・・・恥ずかしいねぇ。
そう思いつつ、けれど、自分自身の思いの変わらなさに、少し安心した。
12年前の私が怒っていた相手は、大企業や政府ではなく、憶測で不安を煽る人や、デマを流して復旧作業を邪魔する人だった。
今の私と、変わらない。
むしろ、あの頃の私のほうが、今よりも言葉に配慮も遠慮もせず、怒りを怒りのまま書き綴っていた。
同じ月のブログの中では、詩とも独白とも覚書ともつかないような表現で、さらに怒りを書き綴っていた。
今読み返すと「人前に出す文章なら、表現をもう少しどうにかしなさいよ」と、小一時間説教してやりたい思いに駆られる。
でも、思いは、今も変わらない。
このブログを書いていた2011年当時に繋がりがあった人や場所の大多数とは、今では、すっかり疎遠になってしまった。
けれど、約12年半の間に出会った人や場所は、それ以上にたくさんある。
いや、たとえ一人になっていたとしても、デマをばらまいて良い人ぶるような輪の中にいるよりは、自分自身を嫌いにならずにすんだだけ良かったと思う。
何より、私は今こうして宮城にいて、東北の美味しい海の幸や野菜を毎日美味しく食べて、健康で幸せに暮らしている。
それが、答えだと思う。
答え合わせは、もう終わった。
最初に引用した当時のブログの中で、私が怒りを込めて呼びかけていたのは、ネット上で東北の人達や東北産の食品等に関するデマを拡散していた、小樽と岩見沢の音楽関係者だった。
今はもう、彼等の連絡先も分からない。
口先だけ、危険を煽るだけだった彼等とは、疎遠どころか完全に絶縁した。
あの頃の私の思いは、彼等には、何一つ伝わらなかった。
彼等だけではない。
音楽の場で繋がりを持った多くの人達には、正しい情報を丁寧に説明しても、理解されることは無かった。
電力不足のことも、原子力発電のことも、放射能のことも。
もしも、どこかでまた彼等に会う機会があったら、その時は、こう言ってやりたい。
「あんたらの言ってたようなことは、何一つ現実にはならなかったよ。」
と。
「あんたたちが言ってた5年後、10年後を過ぎても、バタバタと人が死ぬこともなければ、東北でガン患者が激増もしてないよ。
だけどね
あんたらの流したデマのせいで命を落とした人や、暮らしがめちゃめちゃになってしまった人達は、現実にたくさんいるよ。
12年経った今は、あんたたちみたいなのは、風評加害者って呼ばれてるよ。」
現実には、彼等に会うことは、もう二度とないだろう。
それでも、彼等への怒りは、忘れずにいようと思う。絶対に。
2011年の私の言葉を、怒りを、思いを、
2023年の私は、受け継いでいこう。
毎日美味しく食べて、楽しく暮らしながら、この街で。
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