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約50歳のハローワーク

「13と20のチーズ持ってきて。あとエルボも。」
 こう言われてすぐに意味が分かる人は、同業者だと思う。
 2年前までの私には、全く分からなかった。初めて言われた時に頭の中に浮かんだのはトムとジェリーのようなでっかいチーズを抱えたプロレスラー三沢光晴選手の姿だった。仕事と関係ないにもほどがある。
 そんな私が今は資格を取って給排水設備工事に携わっているのだから、人生は面白い。

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 2年前の宮城県への移住を機に、私はそれまで20年以上勤務していた北海道内の会社を退職した。
 インフラ系の建設業で衛生管理者を務めていた私は移住後も同じような仕事をと考え転職活動をしていたのだが、最終面接でこれは決まりだなと思われるような好印象のお言葉をいただいていたとある企業からは、移住直前になって残念な通知が届いた。
 正直、焦った。50歳目前にして、親族も誰一人おらず何のコネも無い宮城で、ゼロからの再就職活動である。
 数カ月前からお世話になっていた転職エージェントの担当者はとても良い人だった。いつも元気で前向きな人で、不採用だったことを伝える電話の際でさえも「大丈夫です!すぐ別の会社をご紹介します!!」と明るい声で励ましてくれた。
 だが、つい数日前まで「転職活動は今のお仕事をしてる間に進めるのが必須です!一度退職してブランクが出来ちゃうと、求人は一気に減ります!!」と言っていたのもまさに同じ担当者である。
 望みは薄い。
 宮城への移住後、必要書類が前の職場から届くとすぐに、私はハローワークに向かった。


 コロナ禍での失業者も多かったであろう時期。雇用保険の手続き窓口は想像以上に混雑していた。
 長い待ち時間の後、相談窓口で失業給付受給前の再就職を考えていることを伝えると、早期再就職希望者のための専門の窓口があることを教えられた。その窓口では、再就職希望者に一人ずつ担当の相談員がついてくれて、希望する会社についてのこれまでの情報や面接時のアドバイス等を個別に教えてくれるという。
 私が利用したいと言うと、すぐに担当窓口に案内された。
 そこは、失業給付の窓口の混雑っぷりとは別世界だった。早期再就職希望窓口は拍子抜けするほど空いていて、私よりも幾分年上と思われる女性相談員が穏やかな笑顔で迎えてくれた。

 そこで紹介されたのが、現在の職場である。

 給排水設備の工事会社だった。求人は技術部門だけれど、経験不問。CAD使用経験あれば尚可。
 前職でCADの経験もあった私にとっては願ったり叶ったりの求人だったが、同じインフラ系とはいえ前職は給排水ではなく電気や通信が中心。しかも、前職での私は技術者ではなく事務職だった。
 出来るだろうか?いや、その前に、この年齢で技術職に雇ってもらえるだろうか?
 一瞬、不安はよぎった。
 けれど、「出る前に負ける事考えるバカいるかよ(byアントニオ猪木)」である。
 私が思い切って応募を申し出ると、再就職窓口の相談員はその場ですぐに会社に電話して面接の申し込みをしてくれた上、電話の後には履歴書と職務経歴書を書く際のアピールポイントまで具体的にアドバイスをくれた。


 そして、私は採用された。


 採用通知をいただいた後、手続きのために再就職窓口を再び訪れると、私を担当してくれていた方だけでなく窓口の他の相談員の方々からもお祝いの言葉をいただいた。
 「あなたなら大丈夫だと思ってました」
 お世話になった相談員からのその言葉は、以前の転職コンサルタントのハイテンションな「大丈夫です!」の言葉よりもぐっと胸に響いた。(いや、その人も決して悪い人では無かったのだが)
 見知らぬ街で無職で暮らす不安から解放され、その上失業給付の待期期間を過ぎることなく再就職出来たおかげで再就職手当も支給され、私は希望に満ち溢れていた


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 しかし、入社してすぐに、これはなかなか大変だぞ、と気が付いた。
 前職と同じインフラ系とはいえ、全くの異業種。まず配管工事の用語の意味が私には分からなかった。
 冒頭に挙げた言葉がその一例である。
 ちなみに「13と20のチーズとエルボ」は、口径φ13とφ20の配管を接続するための継手(金具)のことで、3本の管をT字に繋げるのがチーズ(T字が訛ったものと言われている)、2本の管をL字に繋げるのがエルボ(肘の意味)である。ついでに言うと、排水管の接合点で落差の大きい箇所に設置する桝にはドロップというのもある。「ここドロップだな」と言われても、排水管の中に缶入りの飴が落ちているわけではない。
 さらに、給水(水道)も排水(下水道)も、CADで作図する前の設計段階で必要になるのは計算だった。
 給水工事の設計には水理計算が必須だし、排水は地盤高を測量してから排水が適切に流れるように勾配を計算して配管を設計しなければならない。
 「勾配?傾き?距離を落差で割るんだっけ?」
 数学というより算数レベルの段階で立ち止まる自分に自分でもビックリした。そして、我ながら心配になった。

 転職する前に私が取得してきた資格は、法律関連や衛生関連など、ある意味、学校の勉強の延長にあるものが主だった。論文系は文系出身の自分にとっては得意分野だったし、苦手な理系・生物系も暗記すればクリア出来るものばかりだった。
 それが、ここにきて突然の計算ラッシュ。
 高校入試以来の数十年間、私が避け続けてきた数学が、リングインする元大日本プロレスの山川竜司選手のごとく「またせたな!」と目の前に立ちはだかっていた。

 採用面接の際、入社して実務経験が1年を超えた際には排水設備工事責任技術者の資格を取って欲しいと言われていた。排水設備の工事設計や申請、竣工検査の立会に必要な資格である。
 入社してからその試験の過去問題を見ると、苦手な計算問題が半分以上を占めていた。

 あと一年で、この苦手意識を克服して資格取得出来るレベルに到達しなければならないのか。

 そう思うと、不安になってきた。


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 それでも「自分には無理だ」「もうダメだ」と思わずにいられたのは、職場の人間関係に恵まれたことが大きい。
 職場の人達は、決して若くはない年齢の新入社員の私を温かく迎え入れてくれた。
 そして、仕事そのものが楽しかった。
 上水道も下水道も、すべての人の暮らしに欠かせないものだ。それを作る仕事に携わっているというのが嬉しくもあった。私にとって、上下水道の仕組みや関連する法律や様々な制度はこれまで全く未知の世界だったが、だからこそ勉強するのが楽しかった。
 私の仕事は作図や書類作成等が主ではあるけれど、繁忙期になると私も作業服にヘルメット姿で工事現場で立会をする機会が増えてきた。そんな時は、男性の現場代理人よりも女性の私の方が話しかけやすいのか、発注先のお宅の方はもちろん通行人の方々からも声をかけられることが度々あった。工事の内容だけでなく、当時ニュースでよく報じられていたらしい宮城県の水道事業のことで質問されることもあった。まだ覚えたての知識でも、誰かに分かりやすく説明することで自分自身もより深く理解出来たりもする。学んだばかりの正しい情報を出来る限り分かりやすくご説明することで「そうなんだね、安心した」「聞いてみて良かった」と言ってもらえた時は嬉しかったし、そんな日常の些細なやりとりの積み重ねが仕事のやりがいにもつながっていった。
 この仕事を続けたい。もっと仕事が出来るようになりたい。
 そんな思いで仕事と向き合う日々を過ごす中で、いつしか私は、苦手だったはずの水理計算や排水設備の勾配計算も難なく出来るようになっていた。

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 仕事を楽しく感じ、やりがいを覚え、一年が過ぎた頃。
 入社前に言われていた排水設備工事責任技術者の試験を受けることになった。
 入社直後に見た時はさっぱり意味が分からなかった計算問題は、一年間の実務経験のおかげで戸惑うことなく確実に解けるようになっていた。
 しかし、苦手意識は克服出来たものの、

 遅い。

 計算が、遅い。

 実際に試験の過去問題を解いてみると、全問解答し終える前に制限時間が過ぎていた。計算問題に時間がかかり過ぎである。
 仕事ならば、ゆっくり計算しても許される。むしろ確実さが求められるので、検算するくらいでちょうど良い。しかし、資格試験には時間制限がある。
 このままでは、マズイ。

 そんな時、私を励ましてくれたのは、夫だった。
「俺のことは気にしないで、家でも勉強していいよ」
 そう言って、受験までの間、夫は料理以外の家事をほとんど引き受けてくれた。夕食後の夫婦団欒のひとときもそこそこに電卓を叩きながら排水設備の資格試験用の問題集を解き続ける私に夫は文句ひとつ言わず、毎晩いつの間にかテーブルの上の食器はきれいに片づけられていたし、洗濯物もきれいにたたまれていた。
(ちなみに排水設備工事責任技術者は資格試験の際も電卓持込み可である。助かった。)
 夫は理系出身である。排水設備設計は未知の分野でも、勾配計算などは問題を見ただけで暗算で答えを出せていたと思う。けれど、簡単な計算問題を黙々と続ける私を笑うことも馬鹿にすることも一切無く、ひたすら応援し続けてくれた。


 そんな夫の励ましと日常のサポートのおかげで、私は今、排水設備工事責任技術者の資格を持って、毎日仕事をしている。

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 生まれ育った土地、それも50年近く暮らしたところからはるか遠く離れたこの街に移住してきた2年前。あの時、早期再就職支援窓口に行くことをためらい、失業手当を貰うまでのんびり過ごすことを選んでいたら、今の会社との出会いは無かった。
 求人情報を見つけても、「技術職なんて自分には無理だろう」と思い込んで応募せずにいたら、今の仕事の楽しさを知ることも無かった。自分は数字に弱く計算が苦手なのだと思い込み、努力する機会も無いままだった。

『人生はチャレンジだ チャンスは掴め』

 ジャンボ鶴田さんがジャイアント馬場さんから継承したあの言葉は、私のこの2年間そのものだったと思う。

 けれど、

 夫のサポートや、職場の人達からの応援が無ければ、有資格者として「私は技術者です」と胸を張って仕事をしている今の自分は無かったとも思う。
 チャレンジしたのは自分だけれど、自分ひとりの力だけで、チャンスを掴めたわけじゃない。
 ありがたい。心から、そう思う。

 今の恵まれた環境に感謝して、私はこれからも、日々の仕事と暮らしにしっかりと向き合っていこうと思う。

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