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明日で1年(中川イサトさんのこと)

 noteを始めるよりもずっと前から続けているブログに、昨年、私は中川イサトさんへの思いを書いた。

中川イサトさんの音楽と出会ったのは、2000年。
初めて聴いたアルバムは、その前年にリリースされた、村上律さんとのアルバム『律とイサト』だった。
アコースティックギターとバンジョー、ベースやハーモニカ等の響きの心地良さ。そして、柔らかく、穏やかに語るような深い歌声。
楽曲も音も歌声も、自分の好きな音楽の要素がぎゅっと詰まっていて、聴けば聴くほど大好きなアルバムになった。

アコースティックギターの名手としてのイサトさんを知ったのは、それから間もなくのこと。
当時良く利用していたCDショップでは、イサトさんのアルバムをリリースしていたSeals RecordsのCDがたくさん販売されていて、足を運んではアコースティックギターソロのアルバムを少しずつ買い揃えていた。
歌が入っていなくても、ギターが歌っていた。聴いていると、心が柔らかくなるような気がした。

(中略)

2022.4.7
中川イサトさんが、亡くなられた。

4月9日に訃報に接してからずっと、大きな喪失感と、でもまだ信じたくない気持ちとの中にいる。
もちろん、イサトさんの残してくれた音楽は、心の中にずっとある。
その意味では、イサトさんは、今も生きている。
多分、これからも、ずっとずっと。

ただ
もうお会い出来ないのだ、と思うと、寂しくて悲しくてたまらない気持ちになる。

でも
長く闘病されていて、やっと楽になれたのなら、
苦しさから解放されて、先に旅立った音楽仲間の方々と、楽しく演奏していてくれたらいいな、と思う。

2022.4.13付 シノブログ 中川イサトさんのこと (fc2.com)(現在はブログ公開終了) 


 中川イサトさんが旅立たれてから、明日で1年になる。
 ブログに書いたとおり、私が訃報に接したのは亡くなられた2日後だったけれど。


 ブログにも書いたが、訃報に接する数年前から、私はイサトさんのライブ会場に足を運ぶことが出来ずにいた。
 だから、訃報に接した1年前のあの日の前とそれ以降とで、イサトさんの音楽との接し方は変わっていないとも言える。
 音楽は、心にずっとある。音源を聴けない時でさえ、いつでもあの音を、メロディを、歌声を思い出せる。
 そして、CDを聴けば、音楽の中にイサトさんはいる。音楽を通して、いつでも再会出来る。
 宮城に移住・転職してからの私は、通勤時間が長くなった。それに伴って、運転しながらCDを聴く時間も増えた。出勤時にカーステレオで聴くのはイサトさんの『Dream Catcher』や『Tree Circle』、『Sketch』といったギターソロアルバムだったり、大好きな歌が詰まっている『あの日の風』だったりすることが多い。
 なんにも変わっていない。音楽は、いつもそばにある。
 そう思えば、それで良いのかもしれない。


 でも。


 そうそう前向きにばかりもなれない自分がいるのも正直な気持ちで。
 「ライブに行っていない」のと「もう二度とライブで会えることはない」のとでは、喪失感の重さが全く違う。
 考え方を切り替えるのは、今の自分にはまだ難しい。


 「(音楽と)出会えてよかった」と「また(ライブで)会いたかった」の間を、気持ちは何度も行ったり来たり。
 この1年、ずっと、その繰り返しだったようにも思う。

 
 それでも、そんなふうに、ずっと忘れられないくらいに大切な人や音楽に出会えたのは、幸せなことなのかもしれない。
 そして、これはきっと、音楽に限らないのだろうとも思う。
 大切な人や身近な誰かを見送るたびに、そんなふうに自分自身に言い聞かせながら、これからも過ごしてゆくのだろう。



 そんな事を考えながら、でも考えないようにしながら、きっと私は明日もいつもどおり仕事をして過ごす。
 いつか向こうでまたお会いできた時に恥ずかしくないように、自分自身の仕事と暮らしに向き合いながら。



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