明日で1年(中川イサトさんのこと)
noteを始めるよりもずっと前から続けているブログに、昨年、私は中川イサトさんへの思いを書いた。
中川イサトさんが旅立たれてから、明日で1年になる。
ブログに書いたとおり、私が訃報に接したのは亡くなられた2日後だったけれど。
ブログにも書いたが、訃報に接する数年前から、私はイサトさんのライブ会場に足を運ぶことが出来ずにいた。
だから、訃報に接した1年前のあの日の前とそれ以降とで、イサトさんの音楽との接し方は変わっていないとも言える。
音楽は、心にずっとある。音源を聴けない時でさえ、いつでもあの音を、メロディを、歌声を思い出せる。
そして、CDを聴けば、音楽の中にイサトさんはいる。音楽を通して、いつでも再会出来る。
宮城に移住・転職してからの私は、通勤時間が長くなった。それに伴って、運転しながらCDを聴く時間も増えた。出勤時にカーステレオで聴くのはイサトさんの『Dream Catcher』や『Tree Circle』、『Sketch』といったギターソロアルバムだったり、大好きな歌が詰まっている『あの日の風』だったりすることが多い。
なんにも変わっていない。音楽は、いつもそばにある。
そう思えば、それで良いのかもしれない。
でも。
そうそう前向きにばかりもなれない自分がいるのも正直な気持ちで。
「ライブに行っていない」のと「もう二度とライブで会えることはない」のとでは、喪失感の重さが全く違う。
考え方を切り替えるのは、今の自分にはまだ難しい。
「(音楽と)出会えてよかった」と「また(ライブで)会いたかった」の間を、気持ちは何度も行ったり来たり。
この1年、ずっと、その繰り返しだったようにも思う。
それでも、そんなふうに、ずっと忘れられないくらいに大切な人や音楽に出会えたのは、幸せなことなのかもしれない。
そして、これはきっと、音楽に限らないのだろうとも思う。
大切な人や身近な誰かを見送るたびに、そんなふうに自分自身に言い聞かせながら、これからも過ごしてゆくのだろう。
そんな事を考えながら、でも考えないようにしながら、きっと私は明日もいつもどおり仕事をして過ごす。
いつか向こうでまたお会いできた時に恥ずかしくないように、自分自身の仕事と暮らしに向き合いながら。