何故、人間に対して平等に接する事が出来るのか?

正直、僕には出来ない。

まず女性の好みに関してだが、『低身長清楚ロリで肌が白くて我が強く性格が良い子』

これに関しては不動である。

つまり、『高身長ギャル熟女で肌が黒くて我が弱く性格が悪い子』

が自分の中では最低である。

さて理想の自分の好みの女性Aと理想と真逆の自分の大嫌いな女性Bがいるとして、果たして平等に接する事が出来るのだろうか?

いや、不可能であろう。

しかし世の中には平等に接する事が出来る人間がいるらしいのだ!

見た目だけではなく金銭的な問題もあるだろう。

アイドルCがいるとして、そのファンDはアイドルCのライブの出席率が100%で毎回ライブ後の物販ではチェキを3枚撮る。

逆にファンEはアイドルCのライブの出席率が33%で毎回ライブ後の物販ではチェキを1枚撮る。

この場合、数学的に考えてアイドルCからするとファンDはファンEよりも3倍良いファンである。

つまりファンDとファンEがいた場合、アイドルCはファンEよりもファンDに対して3倍良い対応をすべきであり、ファンEに対してはファンDの1/3の対応をすべきである。

しかし世の中にはファンDとファンEの両方に平等に対応するアイドルCがいるのだ!

驚くべき事実をこの土日の某配信者と某地下アイドルの言動を見て気付き、何故、明らかに違う人々に対して平等に接する事が出来るのか理解が出来ず不思議に思った。

平等に対応しないのは差別だと平等に対応する人は思っているのかもしれないが、自分的には差別ではなくて区別である。

肌の色の差別など言われるが差別ではなく区別だと思っている。

例えば黒い玉が100個と白い玉が100個一緒に入っている袋があり、その中からランダムに選び出し、白が出たら白い箱、黒が出たら黒い箱に入れるとする。

こういう表現をすると差別ではなくて区別だと分かるだろう。

差別というものは例えば小学校の給食が出たとして30人のクラスがあったとして29人には同じ量与えられたが、イジメられっ子の1人だけ明らかにおかずやご飯や汁物の量を少なく出されて出したときが差別である。

白い羊が100匹いて大きさもそんなに変わらないときに、1匹ランダムで黒いペンキをかけられて、その1匹が黒い羊になったときは差別である。

この議論に関しては差別と区別をしっかり理解するべきであろう。

僕は差別は良くないと思うが区別はすべきであると思っている。

ゆえに今、自分が書いていて気付いたのは平等に扱うアイドルはファンを全員『ファン』として1まとまりにして捉えているのだろう。

つまり区別をしていなくて差別をしていないから平等に接する事が出来るのだろう。

逆を言えば区別されていないため、一個人としてのファンを区別して、その人に応じた対応をしていないとなる。

果たしてそれは良いことなのかという問題である。

ぱるるが塩対応していたのも理解できる。

同じようにファン全員を『ファン』として1まとまとりにしているため、区別をしないので、男性だろうが女性だろうが、大人だろうが子供だろうが、イケメンだろうが美少女だろうが、同じように塩対応をしていたわけである。

つまりこの場合は区別をせず差別をせず平等に接する事が悪となる行為になる。

つまり平等に接する事が良くないとなる。

ちなみに自分は何かしらのコミュニティーに行った時にリーダー格の人と金持ちをしっかり把握します。

そして彼らに対しては丁寧に対応をして好かれるようにします。

それは自分にとって最大の利益があるからです。

逆を言えばそれ以外の人々には平等に雑に扱います。

これは完全なる区別であり差別をしている認識はありません。

結局な話、リーダー格の人と金持ちの人に好かれれば、そのコミュニティーから脱退させられることはないので、他の人々にはどれだけ嫌われても良いので嫌われても良いと思って接しています。

話のまとめに入ります。

結局、この議論の問題は『人間を区別すべきか?』です。

自分的には以上の事から差別はすべきではないが区別すべきだと思います。

しかしこの2日間で、某配信者と某地下アイドルが区別をせず差別をせずファン全員に対して平等に接していたため、凄いとは思ったが、何故平等に接する事が出来るのだと理解不能に至ったという話です。

結論から言うと彼女達は区別をしていなかったからファン全員に対して平等に接する事が出来たと言う事です。

ただ僕にはその思考回路に至れない。

やはり区別はする。

そんな感じですね。

ご意見コメントしていただけたら幸いです。

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