『肯定される現状維持』と『自分の人生を語る』

現状維持は後退するってウォルト・ディズニーが言ってた

でもそれは真実

同じディズニーランドのアトラクションは飽きられる

勉強せずに頭を空にして働いて生きていたら、年齢を重ねるに連れて頭は悪くなる

しかし変化し続けるのもリスクはある

現状変化したときは良くも悪くもなり得る

不幸な状態の現状があるのであれば、更に悪くなるリスクを負ってでも現状変化して、より良い状態にすべきではある

しかし幸福な状態の現状が維持出来ている人間も現状維持をやめて現状変化すべきなのだろうか?

不幸な状態になるリスクを犯してまで、さらに幸福な状態を求める行為はリスクリターンが合わないし欲張り過ぎだと思う

幸福な現状がある人間は今の現状を維持すべきだ

また仮に世界経済や時代が変わってきてもなお現状維持出来ている人間は、時代に飲まれずに変化しなかったわけだから、現状維持をすることがむしろ他の人から見たら変わって見えて、逆に変化していると思われる

例えばインフレ期でもデフレ期でも同じだけの稼ぎを得られて同じような生活水準で生活出来たとしたら、それはむしろ良い現状維持であり変化しているようなものだ

現状変化をしようと思い現状変化する時は人間、今の人生の現状に対して不満があって不幸で、一刻も早く今の悪い現状から抜け出したいと思うから現状変化するのだ

自分も人生の中で6回ほど大きな現状変化をした

1度目は大学の退学

行きたい大学ではなかったことと学びたい学部ではなくて、何となく入った大学で、学習意欲もなく、ほとんど大学に行かずテストも受けず全く単位を取っていなかった。

自分の気持ちに嘘を付けなかった。

パチンコ屋に行くかアイドルの劇場公演に行く日々だった。

パチンコで稼いだ金をアイドルに注ぎ込む生活をしていた。

1日中、重度の鬱でパチンコとアイドルで鬱やストレスを緩和していた。

大学2年の11月12月頃に本気でスーパースターの歌手になりたいと思い東京へ上京して本気で音楽活動をやろうと思った。

3月くらいに実家に帰って退学すると両親に言って、両親は休学を勧めてきたが、休学後に大学に行けるとは到底思えなかったし、自分に嘘は付きたくないから退学すると言って、自分で大学で手続きして正式に退学した。

退学理由を聞かれたが『単位不足』『学校や授業が合わなかった』など一般的な理由を言っておいた。

たしかにそれらも事実だが『大学に行く気力がないから。』『スーパースターの歌手になるために東京に上京して音楽活動をしたいので大学に行く必要性が無くなったから。』などと言う本当の理由は口が裂けても両親の事を思うと言えなかった。

2度目は退学して実家に帰ってから2週間くらいしてから家出して大阪に行った。

最初、実家にいた時に就労支援センター的なところに無理矢理親に連れて行かれて、就労担当の人から長々と色々と聞かれたり説明されてイライラした。

俺は地元で働く気はないんだ、東京へ上京して本格的に音楽活動がしたいんだ!って言う気持ちがあったが、やはり親や就労担当の人の事を考えると、そんなこと言えないから、言われた通りに仕事探しみたいなことをした。

それでまた来てくださいみたいに言われて、行く気が無かったから、一刻も早く今の現状から逃れるために、だいたい実家にいたのは2週間くらいで、両親に告げずに荷物をまとめて、少ない貯金を握りしめて大阪へ上京した。

何故、東京に行かなかったのかは、ビビったから。

地元の駅に着いてからビビってしまい、東京で成功する自信が薄れてきたので、まずは大阪で音楽の修行をしてから東京へ上京しようと思い、大阪に行った。

2日間くらいはネカフェ難民生活をしていて、だいたい難波の観光とネカフェで泊まって、パソコンで住み込みで働ける仕事を探していた。

2日目の朝くらいに突然ひらめいて大阪の知人に今後どうすれば良いか相談しようと思い連絡をして、とある大阪の焼肉屋で合流して昼ご飯を食べながら今までの経緯を語った。

そしてとりあえず今日は知人の家に泊まって良いと言われた。

そしてその日に家でもたくさん喋って、その日のうちに意気投合し、しばらく居候の形で住んで良いと言われた。

お金が無かったので家賃は折半しなくて良いからタダで住ませてくれた。

そして自分は大阪でバイトを探して日雇いの音楽のライブ会場などの設営や撤去の仕事をしていた。

食事も知人と一緒に食べるときはかなり奢ってくれたりした。

そしてそれも11月か12月くらいに東京へ上京して本気で音楽活動をやりたいと知人に伝えて了承を得て、1月に東京に行って家探しをして、2月頭から東京で生活することなった。

3度目は大阪から東京への上京である。

前述した通りである。

東京での生活は最初はまた東京の知人でシンガーソングライターをやっている子に引っ付いて無理矢理ドラムをさせてもらって、2人でバンドを組み3回ほどライブに出た。

しかし3度目のライブで観客に知人のシンガーソングライターの子が歌が音痴で下手だからか、僕がドラムが素人で下手だからか、両方の理由か分からないが、ライブの最前列でライブを見ながら茶化してきて笑っている態度の悪い20代くらいのヤツがいた。

ライブの3曲目あたりでライブで演奏して歌っている途中で知人のシンガーソングライターの子がブチキレてしまってギターを後ろに放り投げて退場した。

僕もその態度の悪い20代くらいのヤツは不快だったが、知人のシンガーソングライターの子の歌が音痴で下手なのは自明の事実で、自分のドラムが下手なのも自明の事実だったから、茶化されたり笑われるのは仕方がないと思っていて、自分がドラムをやったのはシンプルにライブに出てみたかった、ライブ経験を積みたかったからである。

そんな感じで退場されたのですかさず自分はドラムの演奏をやめて、軽く見てくれた観客に頭を下げて、ドラムスティックと放り投げたギターを回収してすぐに自分も退出した。

そのライブはノルマがあるやつで、たしか1万くらい(チケット代金1000円×10枚がノルマ)は自腹で払ってライブに出た記憶があり、先払いだったか後払いだったか忘れたが、その知人のシンガーソングライターが支払っていて、控室に戻って、すぐに帰る準備をして、ライブの主催者や同じライブに出た人達にも帰りの挨拶を一切せずに無言ですぐにライブハウスを出た。

そして無言のまま歩き続けて自分は餃子の王将を見つけたので、『とりあえず飯食おう!』と言って2人で餃子の王将で食事をした。

自分は長考してレバニラ炒め定食を選んだことまで鮮明に覚えている。

そして食事中もほとんど話さず、帰りの電車の最寄り駅でやっと今回のライブの事と今後どうするかを立ち話で1時間くらいは話したと思う。

それで『音楽は才能が大半を占める。このまま趣味で音楽活動を続けても音楽で売れないし食っていけない。時間の無駄だ。解散しよう。』

総論するとそういう事になり、わずか3回しかライブに出なかったわけだが、本当に音楽活動としては数カ月で幕を閉じた。

その後、自分は地下アイドルにハマり、今まで貯金していたお金をすべて使い果たすことになる。

そしてお金がなくなり東京に住めなくなった。

所謂、家賃滞納、電気ガス滞納、携帯料金滞納などである。

そこで大阪時代に一緒に住んでいた知人に相談して、全ての滞納していた借金の整理をしてもらい、引っ越し代金も出してもらい、その知人の実家のある和歌山で一時期住まわせてくれないかと自分は頼み(諸事情で空き家になっていたため)そこで住まわせてくれた。

持ち家なので家賃はかからない。

4度目は東京から和歌山への引っ越しである

和歌山での生活は主に株式投資と終盤に軽くFXをやる生活になった。

所謂、『投資家』の生活を送ることになったわけだが、実際は途中から諸事情があり、大阪で暮らしていた知人も和歌山の実家に来ることになり、和歌山でまた2人で生活することになった。

もちろん自分はお金が無いのでその知人から数十万出資してもらう形で、その知人から投資を教えてもらったり、株の本を数冊読んだりして、実践を通して株式投資をした。

正直、その頃は自分は超初心者だったがビギナーズラックが発生して、和歌山にいた1年間ほどで10万円ほど稼ぐとに成功した。

ただしかし初心者のビギナーズラックである。

その後、FXで短期間で10万円を溶かした(笑)

FXもその頃は初心者でしたから当たり前で、これは実力通り短期間で10万円を溶かした(笑)

そんな事があり精神が完全に崩壊して5年前の騒動、事件を自分は起こしてしまう。

そんなことがあり一旦実家に帰って精神を落ち着けようと実家療養しようとしたが、実家にいるのが辛くて、両親と考え方がいつも合わないことから、結局、そのときも2週間くらいは実家にいたとは思うが、実家にいるのが耐えられなくなり、2度目の家出をして和歌山に戻った。

5度目は実家から和歌山への引っ越しである。

今回ばかりはその知人も自分もお金が無かったのでとあるビジネスをしてマネタイズをすることになる。

そしてそのビジネスの人脈で意気投合する人に出会い、僕達に数百万円の出資をしていただけた。

『別に無くなっても良いから。』と言って僕達の再起を心から願ってくれて出資していただいた。

そして自分は和歌山から引っ越しをして大阪に引っ越しをして一人暮らしを始めた。

6度目の和歌山から大阪への引っ越しである。

今でもその知人や出資者とは密に連絡を取り合いながら株の報告やビジネスの報告をしている感じである。

そういう生活が現在4年目になり、やっと安定して落ち着いた生活ができるようになった。

株やFXもかなり勉強して知識が付き、やっと結果が出てきたかなと言うところである。

正直な話、昔は高級中華を毎日食べれるような生活をしていた。

しかし色々とあって貧乏になってしまった。

一応肩書は投資家、ビジネスマンだったりするが、正確には無職扱いのため、無職引きこもりニートで間違いがないし、良く言えばネオニートだ。

しかし株、FX、ビジネスなどをやっているし最近は競馬をガチでやっている。

たまにパチンコやスロットもやる。

この前のnoteにも書いたが正確には投資家ではなくて投機家なのだ自分は。

法律上は無職扱いになるが。

そんな感じで波乱万丈な生活をしながら何とか生き延びてきた。

かなり勉強したし、正しい思考もできるようになって、昔に比べると、かなり頭は良くなったと思う。

だから僕はたまに挑発するような発言をするが、『馬鹿だから働いて生きるしか道がないんだよ』と社畜から逃れたい人に言うことがある。

頭を使い、たくさん勉強して、正しいお金の知識、投資やマネタイズのやり方を知れば、必ずしも働かずにも生きていくことは可能である。

まぁとは言え自分の仕事は投資(投機)とビジネスなので。

出資を受けるのもビジネスですからね。

心理学の知識をフルに使い出資を促すわけです。

頭が良くないと働かざるを得ないんですよ。

実際、自分も音楽ライブ会場の設営、撤去の仕事をやっていたり、5年前の騒動、事件をやらかしたりと、元々はホームラン級の馬鹿でした。

ただやはり5年前の騒動、事件がきっかけとなり、この5年間でだいぶ頭は良くなったし知識も付いたし投資もマネタイズも出来るようになったし、人間的にも成長したと思います。

そして現在は初心に帰って自分の好きな事をやろうということで、ネット上ではありますが、You Tubeでピアノ弾き語り動画の投稿、不定期でShowroomで配信をしたり、最近はボディーメイキングをして、体作りをしています。

結局、1番大切なのは健康なので、食事管理やサプリメントや薬などは徹底していて、最近はめちゃくちゃ体調が良いです。

体も心も調子が良いです。

まとめに入りますが、結局、この4年間の大阪での生活は幸せだから、こういう幸せな生活に関しては現状維持が正当化され、逆に無理矢理、東京に上京して、スーパースターじゃなくても、最低限、音楽で飯を食っていける歌手を目指すとなると、生活環境が変わりますから、むしろ不幸になるリスクがかなり高く、基本的には東京人は嫌いで合わないので、それらを考慮すると現状維持で良いのかなと思えてきました。

今唯一、足りないなと思っているのは、お金だけなので、あとはお金さえ自分の満足する金額が手に入れば良いなと思っています。

そしたら僕は難波が大阪で1番好きなので難波のタワマンに住もうと思います。

東京は物価が高く、例えば難波のタワマンで家賃20万の物件があるとすると、東京の新宿とかだと、同じようなタワマンで同じ間取りと面積で倍の40万かかったりします。

金銭的な事を考えても明らかに大阪に住んだ方が得です。

長文でしたがかなり簡略化してこれです。

僕の人生は波乱万丈で、ようやく、この4年間は安定した暮らしが送れるようになって満足しています。

長くなりましたがではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?