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答えは全て、自分の中

生きる世界では、「これが正解だ!」なんて叫んでる人たちもいます。

それは、間違ってはいないものなのかも知れませんが、正解というのは人の数だけあり、タイミングや環境によって、変化し続けます。

誰かが楽しい、好きと思っていることが、他の誰かにとっては苦痛で、面白くもなんともないということは、自然界では当たり前のこと。

その逆も当然にあるもので、そうであるからこそ成り立っています。

それはやがて、助け合いとなり、それが仕事となり、ビジネスとなり、社会のサイクル、世界の運動の原点です。

ひとつの正解に固執し、チームのみんなが、組織の全員が、世界の、地球の全人類が全く同じことをしていたら、どうなるのでしょうか?

全ての運動は止まり、何も起こらなくなり、調和は乱れてどこかから歪みが生じます。

もちろん、それがまた新たな運動を生み出すのですが、それがわかっているはずなのに、なぜ人は同じを求めるのか。

答えはいつでも、それぞれの心の中で決まっている。

外側の世界に、正解を探さなくたって、始めから知っている。

その通りに生きていれば、何も問題は起こらないし、いつだって幸せでいられる。

あたかも正しいことを言っているかのように叫び、主張が強く、強要してくるような人間は、関わってはいけない。

それは何故か?

その人は、どこかで嘘をついているからだ。

詐欺師?

騙そうとしている?

別に、そういったことではなく、嘘があるのは、その人の中で起こっていることだ。

生きたいように生きて、自分が自分として生きていれば、他の誰かに正解らしきことを叫ぶ必要などどこにもない。

もちろん、どうすればそのように生きられるのかというヒントを得たくて、求められれば、道しるべとして道筋を与えることは、人助けにはなる。

だけども、求める人も、与える人も、本当は自分の中に答えがあり、それを知っている。

会話によって、誰かに打ち明けることで、自分を知ることが出来るため、それは決して無駄ではない。

ただ、そのキッカケを一度でも掴んだら、次からは相談などしなくてもいいということを学んだ方がいい。

やってみたいけど、やり方がわからなかったら、学ぶために相談するのはいいことだ。

ただ、自分がどうしたいのか?正解はなんなのか?をいくら他人に聞いたところで、何もわかりはしない。

始めから決まっている自分の中の答え、心の声に耳を傾けてあげて、それを受け取らない限りは、どこへ行っても何をやっても答えは見つかりはしない。

常に、自分の中に答えはある。

既に知っている。

だとしても、そこからどうすれば?

まずは、その答えを受け入れてあげること。

そして、それを許し、自分を解放してあげること。

やることはたったそれだけのこと。

誰かの正解をなぞったところで、それは自分の心の充足にはならないだろう。

それでも、真似から入ってみて、やっているうちにそれが自分を満たすものになっていく可能性もある。

たから、誰かにヒントを与えられても、そこから進むかどうかは、自分で決めているのだと認識すること。

どんな道を進んでも、それは自分で決めたこと。

そして、その進んだ道は、それが全て正解への道筋であるということ。

生きていれば、それが何もかも正解となっていくんだから、何も臆することなどないのだ。

いいんだよそれで。

今日から、今から、我が儘に、大胆に生きてみるといい。

そこからは奇跡の連続で、自分だけの物語。

本当の人生が始まっていくから。

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