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"時代に合わせた教育:生成AIの学校指導者に求められる新しいアプローチ"


「生成AI時代における活用方法、宿題提出にAIを使ってはいけない?」

先日のテレビ番組で「生成AI時代におけるAIツールの学習への活用の是非」について議論されていました。中でも、カズレーザーさんの意見が特に印象的でした。

「学校の宿題や感想文にAIを使うことに対して懐疑的」な意見があることに対して、カズレーザーさんは「むしろ、積極的にAIを活用すべきだ。問題があると思うなら、宿題やレポートの提出方法を変更すればいい」と提言しました。このような規制は大人がつい考えがちですが、AIを当たり前のように使ってきた若い世代にとっては、単純な利用禁止ではAIの使用を止めることはできません。彼らはもっと有益で深い使い方を知っており、既に先を行っています。カズレーザー氏は、制約を設けるよりも、試験やレポートの評価方法を変えるべきだと提案しました。例えば、レポートの代わりに当日に小テストを実施するなどの工夫があればいい、などの意見です。彼の話を聞いて、自分が考えていたことを代弁してくれたようで、非常にすっきりしました。

生成AIでできる事に、そんなことがあったのか。。。

例えば、「ChatGPT」くんに、「走れメロスの感想文を書いて」、といえばわずか数秒で、このように書いてくれます。

【ChatGPTが書いた、走れメロスの感想文例1】

「走れメロス」は、真の友情と信頼について考えさせられる物語だ。主人公のメロスは、友人セリヌンティウスを助けるため、約束を守るべく命がけで走り続ける。この物語で一番心に残るのは、どんなに大変な状況でも、友達を信じて、約束を守るメロスの強い意志だ。
この話から私たちが学べる大切な教訓は、信頼と誠実さがいかに重要かということ。メロスとセリヌンティウスのように、困難な時でもお互いを信じ合い、約束を守ることで、真の友情がどれだけ強いものかがわかる。だから、私たちも日常生活で約束を大切にし、友達を信じる心を持つことが大事だって、この物語は教えてくれている。

【ChatGPTが書いた、走れメロスの感想文例2】
でも、一方、別の感想を持つ人もいる。そういうケースを素材にして、AIに感想文を書いてと問うてみると、
「走れメロス」という物語は、友情や正義についての美談としてよく知られているけれど、この話を読んで、いくつか疑問を感じた。物語の中でメロスの行動は、善悪がはっきりと分かれていて、なんだか非現実的に思えた。現実の世界はもっと複雑で、いつもそんなに単純にはいかないのではないか。
メロスが友人を身代わりにしたり、自分の都合で妹の結婚を決めたりする部分についても、ちょっと自分本位じゃないかと思った。それに、暴君に立ち向かうのは勇敢なことだけど、一人で城に乗り込むなんて、本当に現実的なのかな?そんなに簡単に物事が解決するわけがないと感じたりもする。
さらに、物語の終わりに王が心を改める部分も、ちょっと急すぎるし、噓っぽく感じた。人間の変化って、そんなに簡単にはいかないような気がする。



生成AIによる「走れメロス」の二つの感想文に触れた後、僕はこんな感想を持ちました。「ほぅ。なんだか、まぁすごい。」って感じです。AIは、指示したプロンプトに基づいて、正確かつ適切に、そつなくまとめてくれます。これは、膨大なデータベースから学習した多くの文章や感想を基にしているからでしょう。指示に応じて、ちょうど良い感じの答えを提供するのです。

これは、良いか悪いかの問題ではなく、簡潔に書く技術について学ぶ良い機会になると感じます。異なる感想を持った場合でも、AIはそれを簡潔に言語化してくれるため、非常に便利なツールです。この機能性を知っておけば、様々な場面で活用できるでしょう。実際の使い方については人それぞれかもしれませんが、最近の芥川賞作家も生成AIの有効な使い方をしていると聞きます。

文章を簡潔にしたり、要約するのが得意なGPT。



メールや報告で、つい長くなってしまうことがよくありますよね?僕もしばしばその経験があります。(実際、このブログもそうなんです。)ええ、本当です。長くなった文章を「重複を取り除いてすっきりさせる」ことに、とても「便利な活用法」を見つけました。その方法は、一度書いたものをGPTに「かける」ことです。(「GPTにかける」という表現は、「材料を火にかける」という感じがして、気に入っています。笑)。

参考までに、「ただ、思いついたままと書いた文章」と「GPTに掛けた文章」を以下に並べて表記してみます。

【元の文章(ただ、思いついたまま書いた文章)】
アンケート調査によると、中高生は、生成AIを使った経験が半数程度あるそうです。いろんな議論があり、考えることや調べることをしなくなるので、教育的にはどうか、という意見もありますが、世の中に、電卓がなかった時代からある時代、コンピュータがない時代、スマホがない時代、から進化した時、人はその都度、「手書きでものを考える習慣がなくなる」とか「ネット検索ばかりして勉強しなくなる」と言われながらも、更に「より良い活用法」を工夫することに頭を使って進化してきた歴史があります。「今までの教え方とか、課題の出し方自体が、そもそも変わっていくべきなんじゃないか」という考え方に賛同します。「宿題を提出したかどうかなんて、どうでもいいことで、寧ろ、AIが当たり前にある時代に生まれてきた人には、もともとAIが使える環境にあるのだから、それは大前提で、宿題、課題の出し方を変えればいいだけの話」なのかなという考えに大きく賛成する感じです。


【GPTに掛けた文章】
中高生の約半数が生成AIを使った経験があるそうです。いろいろな議論がありますが、一部には「考えることや調べることをしなくなる」という教育上の懸念があります。しかし、電卓、コンピュータ、スマホの登場といった技術進化を経て、人々は「手書きで物を考える習慣がなくなる」と言われつつも、その都度、「より良い活用法」を見つけてきました。この歴史は、「今までの教え方や課題の出し方自体を変えるべき」という考えに賛同する理由です。「宿題の提出がどうであれ、AIが当たり前にある時代に生まれた人々は、AIを使える環境にあるため、宿題や課題の出し方を変えるべき」という考えにも大いに賛成です。


以上、数秒で、すっきり「まとめなおして」くれました。

今のところ「長い文章記事をGPTに掛けて要約して読む」「メールを出す前に添削してもらう」「ブログの挿絵を作ってもらう」等に使っているくらいですが、他にもチャレンジしていきたいと思っています。


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