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ブランドはストーリーを語るべきだ

語られるストーリーのあるブランドは強い

以前、ブランディングからマーケティング・PRまで総合的にお手伝いさせていただいた品川プリンスホテルのTable 9 Tokyoで、ガブリエル・クルーザーという料理人の食を体験したときのこと。

 
ガブリエル・クルーザーは、2015年ニューヨークの一等地に高級フレンチレストランをオープンさせると、舌の肥えたニューヨークの美食家のあいだで瞬く間に話題となり、早々にミシュランで星をとった

今ではニューヨークの巨匠などと呼ばれており、アメリカを代表するレストランの一つに数えられている。

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メニューの一つひとつに、物語がある

世界中のグルメを魅了する料理を日本で体験できるのはまたとないチャンスとばかりに、多くの人が訪れていてTable 9 Tokyoは高揚感に満ちていた。

ガブリエル・クルーザーが得意とするのは、出身地であるアルザス地方の郷土料理からインスパイアされたフレンチ。味はもちろんのこと、パフォーマンスも高く評価されている。

たとえばメニューの一つ、「メイソンジャーで香りを閉じ込めた黒トリュフ、白インゲン豆、菊芋のエスプーマ」は、最初にメイソンジャー(密封されたビン)がテーブルにおかれる。蓋が開けられると、メイソンジャーに顔を近づけるように促される。

すると、煙とともに黒トリュフの香りが一気に広がるのだ。恍惚でいっぱいの僕の顔から一度それは引き離され、その場でソースなどが加えられる。

戻ってきたメイソンジャーにようやくスプーンを差し入れることができるのだが、これが実に楽しい。たった一つのメニューで、目が、鼻が、舌が、喉が、あらゆる感覚を喜ばせてくれる。

「スモークでアクセントをつけたチョウザメとザワークラウトのタルト」も同じようなテーブルサイドサービスで、五感を刺激する食体験をもたらしてくれる。

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そして、口の中に入れた後も楽しい。

アミューズの一つ。いくらを柔らかい生地で包んだものは、口に入れると、いくらをプチっと噛んで海の味わいが一気に広がる。それから少しして、生地のバターの風味が口全体を包み込む。後味にいくらの姿はなく、バターのやさしい風味がかすかに残るだけだ。

一つ一つが映画のように、始まりと終わりがあって物語がある。

食事が一瞬を切り取った写真のように、刹那的なものになってしまうことが多いなか、あまりにも幸せな時間だった。


ブランドには、時間が必要だ

数年前、アディダスジャパンを立ち上げて1000億円の会社に成長させたクリストフ・ベズー社長にお会いする機会があった。僕は「ブランドとは何だと思いますか?」とあまりにもストレートな質問を投げかけてしまったのだが、彼は「ブランドとはストーリーだ」とはっきりと答えた。「ブランドは物語を語らなければならないのだ」と。


ストーリーは時間でできている。
 
 
千野帽子さんは著書『人はなぜ物語を求めるのか』(ちくまプリマー新書)の中で次のように書いている。

できごとを語るということは、「できごとの前」「できごとのあと」という前後関係ができるということです。つまり、「時間の流れ」のなかで世界を把握する、ということになります。というより、「できごと」という把握と「時間」という概念・感覚は別個に存在するのではなく、時間を前提としなければできごとという把握はないし、できごとという捉えかたがあるからこそ時間というものを想定することができるのです。

 
ガブリエル・クルーザーが提供する料理には、食べている間にいくつもの物語があった

料理がテーブルに届いてから食べるまでの間にも、口に入れてからも、できごとの「前」と「あと」があり、途中にサプライズもあったりして、決して単純ではないストーリーが散りばめられていた。

彼はフランス・アルザスの出身で郷土料理をベースにしている。きっと、物語はそこから始まっているのだろう。それから最先端の都市ニューヨークに店を構え、世界中を驚かすという展開の中に大きな物語の魅力があるのではないかと思う。

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ブランドがストーリーであるならば、ブランドはストーリーを語るべきだ

それはベズー社長も繰り返し述べていた。

それだけでなく、「ストーリーを語られてしまうブランド」、つい語りたくなってしまうブランドというのはより強いものなのだろう。

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