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#6 親子のはじめましての日

人と人との付き合いには、必ず最初の出会いってものがある。「はじまめしての瞬間」と言おうか。例えば、講義の席が隣たっだとか、たまたまペアになったとか、入社して挨拶を回りをした時とか。そんな「はじめましての瞬間」が印象的に記憶に残っている知り合いもいれば、全く記憶にはないけど気が付いたら仲良くなっていたという知り合いもいる。

妻との「はじめましての瞬間」は、留学先で「日本人ですか?」とぼくが声をかけた時で、義父との「はじめましての瞬間」は、大阪の京橋で一緒にイタリアンを食べた時。義母は、初めて妻の家に行った時に「あら、いらっしゃい」と声をかけてくれた時だ。どれも鮮明に覚えている。しかし、あいにく自分の親との「はじめましての瞬間」は記憶にない。気付いた時には側にいた存在だった。

特別な事情がない限り、親との「はじめましての瞬間」を覚えている人はいないだろう。でも、親からすると、自分の子供との「はじめましての瞬間」ほど感動的なものはないのではないだろうか。

5月25日、産後入院していた妻と、誕生して間もない娘を産婦人科へ迎えに行ってきた。生まれて間もない娘は、この日のことなんて知りもしないだろう。でも、父親にとっては、一生忘れられない「はじめましての瞬間」だった。Father's Diary #6では 、この日の「はじめましての瞬間」について書いていこうと思う。

待ちに待った瞬間がそこまで

過去の父親日記を読んで下さってる方はご存知かと思うが、コロナウイルスの影響で、出産の立ち合いや面会等が禁止されたため、妻と娘が退院するまでの4日間、焦らされるように妻の実家にいた。居候マスオ生活なので、義理の父と母との3人で、なんだかよく分からない共同生活をして過ごした。妊娠から出産まで、どれだけ首を長くして待っていたかということは以前書いたので、よかったら下の記事も読んでみてください。

さて、いよいよ妻と娘が帰ってくる、という前日。
妻から頼まれた円座クッションを買いに行ったり(産後はお股が痛むそうで)、どうしても欲しかった三脚を購入したり(娘の成長を記録するからという理由があると心置きなく買い物できましたわ)新しい生活への最終調整を行った。

よっぽど楽しみにしていたのであろう義理の父は、前日の晩にいそいそと歓迎用の飾り付けを始めていた。本当に素敵な方だ。

義理の母は、二人のために花を買ってきて玄関に準備していた。
ピンクの紫陽花の花言葉は「元気な女性」。妻にも娘にもぴったりだ。

迎えに行く当日、義父、義母、ぼくの3人とも早起きして、掃除や片付けをしていた。何かしていないと落ち着かなかない、そんな光景だった。ワクワクして、期待して、いつしかその湧き上がる高揚感が複雑に変形して、変な緊張を催すようになり......。リビングでソワソワしていると、義母から「もう早く行って駐車場で待っときぃー!」と言われて家を出た。

産婦人科の駐車場にて

ところで、有名人に会った経験はあるだろうか?写真や映像でしか観たことのない人が、目の前に現れた時のオーラといったら半端じゃない。神々しい。ぼくは過去に、小説家の山田詠美さんや天童荒太さんの出版記念サイン会へ行ったことがあるけど、文庫本に載ってる宣材写真程度でしか知らなかった人が、そこに「居る!」「動いた!」「喋った!」ということに、いちいち感動と興奮を覚えたものだ。(余談だが、山田詠美さんは想像以上に背が低く、天童荒太さんは想像以上に背が高かった)

何が言いたいかというと、産婦人科の駐車場で、妻に抱かれた自分の娘を目にした時、憧れの有名人を発見した時と同じような気分になった。憧れの人に合う瞬間、四六時中考えている人に合う瞬間。ぼくにとって娘は、世界で一番会いたい人だった。もとより、この瞬間を10ヶ月も待ちわびていたのだ。出産してからは、妻から送られくる写真や動画を何度も見返し、この「はじめましての瞬間」を渇望していた。ぼくの人生で、最も忘れがたい「はじめまして」である。ぼくが死ぬ時、走馬灯にこの瞬間が蘇ることは間違いないだろう。

初めて娘を抱っこした時、この上ない幸せな気分だった。ひとつの夢が叶ったような心地。思っていたよりも小さかった娘を抱いて「小さーい!」と声をあげた。そもそも普段、新生児を見る機会なんてほとんどないから、こんな小さなサイズの人間がいることに驚く。あまりに小さな顔や手や足や目や鼻や口があり、体にうぶ毛があって、呼吸している。手を動かしたり、あくびをしたり、そんな一挙手一投足が愛おしかった。

妻と一緒に駐車場に付き添って出てきた助産師さんが、この時の写真を何枚も撮ってくれた。写真スタジオのカメラマンのように、その場を明るく盛り上げて、人生で一度しかないこの瞬間を祝福してくれた。本当に有り難かった。

はじめての連続の中で

チャイルドシートの乗せ方が解らず、先に書いた助産師さんに教えてもらいながら娘を乗せて、妻と三人で家に帰った。この時のぼくのハンドルさばきといったら、歴史に残る安全運転であったことは間違いないだろう。

家に着くと、義父や義母と順番に抱っこしたり、写真を撮ったりした。これまで存在さえしなかった人間が、急に家の中で存在感を発揮し、そこで暮らす大人(義父・義母・妻・自分)たちの生活を一変させていくのを感じた。家の中の主役だ。会話の内容はすべて娘。自然と、娘が中心の生活がスタートした。

家について一段落したところで、いよいよ父親としての育児が始まった。

この日、オムツの替え方、服の着せ方、ミルクの作り方、ゲップの出し方、お風呂の入れ方、これまで全く経験したことのない作業を、次々に体験した。父親レベルが0だったぼくが、この日で12くらいはレベルアップしたと思う。

赤ちゃんは3時間程度のスパンで、寝て起きてを繰り返す。親はその度に、おむつを替え、ミルクか母乳をやり、寝かしつける。1日1回はお風呂に入れなきゃいけないし、赤ちゃんが寝ている間に、ご飯を食べたり掃除をしたり洗濯したり用事を済ませなればいけない。まとまった自由な時間はほとんど取ることができない。

初日の夜は、初めて娘を迎え入れた生活が始まった興奮から、ぼくも妻も朝まで起きて面倒を見ていた。覚えたてのオムツの交換や、ミルクの作り方も、次第に要領を得てきて、板につきはじめた。しかし、この育児が、これからエンドレスで続いていくこと思うと、逃げ場のなさに狼狽えてしまいそうにもなった。

育児の苦労を垣間見る

正直なところ、育児がこんなに大変なものだと思っていなかったのだ。ぼくの想像が及んでいなかったというのもあるし、知らなかった。

てんやわんやで振り回されるような時間を送っている時「え?世の親は、みんなこれやってんの??」と不思議に思った。きっとみんなそうやって育てられてきたし、世の親はそうやって育てているに違いない。そうでなきゃ子供は育っていかない。

みんなこんな苦労を経験して子育てしているのかと思うと、たちまち、親という親を尊敬する。あの人も、この人も、その人も、色んな思いで育児をしているのかと想像を膨らませる時、これまでと全く違った世界の見え方になる。

勿論、育児は苦労だけではない。言うまでもなく、自分の子供は心底可愛く、何度も何度も何度もベッドで眠る娘の顔を覗き込みに行った。ただ、簡単なことではないなぁと感じた。寝不足になることもあるだろうし、抱っこしてるとただでさえ酷い首肩コリが悲鳴を上げる。生活が一変して、それに慣れていかなきゃいけない。妻と二人で協力してやっていかなければと、改めて感じた。


娘と初めて会ったこの日、
一生忘れることのない
出会いの喜びを噛み締めて、
父親としての一歩を踏み出した。

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