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#4 待ってた日々のドキュメント

子供の頃の1年より、大人になってからの1年の方が、時間の経過は早く感じられるもの。年が明けたと思ったら、あっという間に大晦日。今年も早かったね〜と口を揃えて、また一年、また一年と歳を重ねる。歳をとればとるほど、1年が経つのは早くなっていく。

有名な一説に「ジャネーの法則」というのがある。同じ1年でも、10歳と60歳では、比率が10分の1と60分の1で異なるからだと、体感時間が早くなるこの現象を説明している。勿論、そうなんだろうな〜と思うけど、もう一つ、この現象に対する回答として印象的なものをぼくは知っている。誰が言っていたのかは忘れた。中学か高校の先生だったか。

子供の頃は、待っている時間が長いから、という説だ(あらためて考えたけどやっぱり誰が言っていたのか思い出せない)。待ち時間は、誰しも長く感じるもの。子供の頃は、その待つべき対象、待っている時間が沢山あったから、というもの。

確かに子供の頃は、いろんな出来事を心待ちにしていた。両親の帰り、今日の晩御飯、週末のお出かけ、誕生日、運動会、家族旅行、遠足、習い事の試合、クリスマス、などなど。沢山のイベントがあって、どれも指折り数えて、首をキリンにして待っていた。

しかし、大人になってからは、「待つ」ことの回数も程度も減ってしまったように思う。もうすぐぼくは誕生日を迎えるが、昔は3ヶ月くらい前からカウントダウンしていた。しかし、今では、もうすぐ訪れる自分の誕生日に、なんの興奮もしない。自分を産んでくれた親と、祝ってくれた人に感謝し、ただ一つ歳をとるだけ。

そんな汚れちまった悲しき大人であったとしても、以前から首を長〜〜くして待っていることがある。心から待ちわびている。それは、自分の子供の誕生だ。これほど首を長くして待っていたことがあっただろうか、いやない。(いや、あったわ。米国Visaの申請。もう2年も待ってるよ……。いつになるんだろうね。閑話休題)

さて、父親日記#4では、赤ちゃんの誕生を待ち望む、ぼくの周りの家族の様子を紹介していきます!産まれてくる赤ちゃんが、いつかこのnoteを見た時、みんなで待っていたんだなぁ、ということが伝わればいいな〜と思います。

下の写真は2019年11月30日(13週目)のエコー写真。横顔バッチリ写っています。

この記事を書いている今は、既に臨月に入っているので、このエコー写真のあとに何枚か貰ってますが、顔が見えたのはこの時のみ。以降、毎回毎回うちのベイビーは、すくすくと成長する脚のみを披露し、一筋の線(脚の骨)だけが写る、なんだかよく解らないエコー写真が次々と溜まるのでした(どんだけ心の中で「脚はもうええって!」と呟いたことか)

とはいえ、妻のお腹、胎児の成長は嬉しいものです。たとえ脚しか写っていない謎のエコー写真でも、家族で共有して喜びを分かち合いました。

そのうち、エコー写真は、しっかりドキュメントしていこうという話になり、ここから我々夫婦の創作活動が始まります。検査の度にエコー写真が増えていくので、毎回それをプリントしてアルバムに貼り付け、デコって、その時の状況や想いなどを綴り記録していきます。

ちなみに、シールやマスキングテープなどがレインボーなのは、既に決めてある名前に端を発しています。「色んなカラーを持つ人との関わりを通して、人生を彩ってほしい」そんな想いがあって、名前の由来になぞらえて、カラフルな色合いのものを揃えました。

今年1月に実家に帰省した時、赤ちゃんの成長過程を紹介した際にはこのアルバムを見せました。ここに写っているのはぼくの家族です。父は祖父、母は祖母、兄弟は叔父、というステータスが追加されます。みな興味津津な感じがなかなか良いです。

ぼくは妻のご家族と一緒に生活しているので、自分の両親には年に1回くらいしか会えませんが、産まれてくる赤ちゃんには沢山会わせたいなと思っています。帰省中は、安産祈願へ連れて行ってくれたり、腹帯を用意してくれたりしてくれた両親。着々と、孫に愛情を注ぐおじいちゃんおばあちゃんへと向かっていました。

自分の両親にとっても、妻の両親にとっても、生まれてくる赤ちゃんは初孫にあたるので、ぼくらと同じように首を長くして待っています。うちの親は、1月時点でもう既に、6月に産まれる孫に会うため宮崎から大阪の飛行機を予約していました。が、残念ながら、あいつのせいで自粛することになりました。全てはあいつのせいです。

妊娠がわかってすぐの時期だったと思います。
ぼくはスマホのロック画面を、妻の幼い頃の写真に設定し、娘のいる生活のイメトレを始めていました。同じように、義理の母の部屋では、妻の幼い頃の写真が新たに飾られるという現象が起こっていました。詳しいことは尋ねませんでしたが、おそらく祖母になるイメトレを始めていたんだと思います。

さらに、リビングの一角には、赤ちゃんの妖精の置物が出現。

確かこの時は、性別もまだ判っていない時期でしたが、義理の母の中では既に女の子と確信していたようです。義母は「絶対こんな感じで可愛いんやろなー!」言うてはりましたわ。みんなそれぞれ、楽しみにしている様子が伺えます。

義理の父は、読み聞かせ用の本を購入してくれました。赤ちゃんの名前を考えていた時、名前は英語圏でも通じやすい、というか、変な意味にならないようにしたいと思っていたので、アメリカ人のお義父さんに相談しました。カメラ好きの義父は「華音(canon)」「来華(Leica)」といったジョークも交えつつ、親身に相談に乗ってくれて、いち早くお腹の赤ちゃんのことを名前で呼んでくれるようになりました。そんな義父が用意してくれたのが下の本『みんなであなたをまっていた』

みんなで あなたを
まって いたとき
くうきは すんで
かがやいて いました

あたたかい絵と、やわらかい文章の絵本です。赤ちゃんの誕生を待つうさぎの家族。部屋の準備をして、ベッドを整えて。おもちゃや、人形たちも待っていて。一番好きな場面は、赤ちゃんが生まれた後に、遠くから家族が訪ねてくるページです。なんだかとても和みます。

毎日ではありませんでしたが、お腹に向かって読み聞かせもよくやりました。赤ちゃんは、まだ何のことやらわからないだろうけど、とりあえず親の気持ちです。読んでいるこちらも楽しいし。

最初の頃は、この『みんなであなたをまっていた』や、図書館で借りてきた子供向けの本を読んでいましたが、次第にぼくの趣向に走るようになり、いつしか美術史を解りやすく紹介する、下の分厚い本を読んで聞かせるようになりました。68章で構成されており、1章ごとに、美術史に出てくる芸術家と、その芸術家の代表作にまつわるショートストーリーが編まれています。読み聞かせにぴったりです。

英才教育は既に始まってます。娘よ、教養ある人になるんやで。
ちなみに、ハーバード大学の研究で「母親が読むよりも、父親が読み聞かせをするほうが子どもの言語能力が上がる」という研究結果があります。だったら、産まれてきたら積極的に読み聞かせをしたいなぁ〜と思っています。

4月の後半から、ぼくは在宅勤務になり、家の中で仕事をするようになりました。ぼくが仕事をしている間、妻は、せっせせっせと育児グッズをリサーチしたり発注したり、部屋の準備をしたりして、気付いた頃には、もう完璧に準備が整っていました。本当に頭が下がります。ってかいつの間に?ってレベルで、ほとんど一人で赤ちゃんを迎える準備を完了させていました。部屋はもちろん小物の除菌なども入念にして、いつ陣痛がきてもいいように荷物の支度も終えて、只今臨月を迎えております。

外出もなかなか憚られるこの時期ですが、近くのベビー用品店の品揃えの確認と、最低限、実物を確かめてから買いたいよねと行った買い物の際は、1回で済むようにと、研究者並に入念に下調べをしてベビーグッズ売り場へ繰り出した妻でした。

ここには全てを書いていませんが、ぼくたちの両親は、我々新米パパママのために、他にも準備の支援をしてくれました。また、お子さんのいる妻の友人たちからは、育児グッズを貸していただいたり、プレゼントしていただきました。本当に有難いことです。子供ひとり育てるのに、こんなにもモノが必要なのかという発見もありました。

いよいよ、出産の時が迫っています。まだかまだかと待ってはいましたが、予定日は3週間も先なのに、いきなり今週には産まれてくるだろうと言われました。不意打ちです。突然?!えぇぇぇ?!って感じです。急にソワソワしてきます。これを書いてる今も、書きながら、なんかソワソワしています。

だって明日には、お父さんになってるかもしれないのです。ちょっと待ってタイム!タイム!!タイム〜!!!って言いたい気持ちもありますが、産まれてきたらもう父親です。覚悟を決めて育てるつもりです。なにより、産まれてくる我が子に会えるのがやっぱり楽しみです。人生で一番、忘れられない「はじめまして」になると思います。

ただ、残念なことに、コロナウイルスの影響を受けて、かかりつけの産婦人科では出産時の立ち合いは全面禁止。今回ぼくは、出産に立ち合うことができません。仕方のないことですが、これだけ楽しみにしていたのに、最後の最後に、いや最初の最初に居合わせることができないのは、本当に残念です。ただただ自宅で、妻と赤ちゃんが無事に帰ってきてくれることを願うしかありません。妻は、ぼくが立ち会えないのなら、頭にGoProをつけて分娩台に上がると言っていましたが、滑稽なので引き止めました。

1年ほど前、心密かに「人生でやりたいことリスト100」を作りました。誰にも公開してませんが、ぼくの中でやりたいことを100個絞って掲げました。その中に、「自分の子供の出産に立ち会う」という項目があります。100のリストにあるものは、やっぱり何とかして達成はしたい。そこで、なんとかしようと、今回はオンラインで立ち会うことになりました。なんとか報われた気持ちです。

コロナウイルスの影響で、この先のぼくのカレンダーに、仕事以外の予定は何も入っていません。大人になると「待つ」機会や程度が少なくなると最初に書きましたが、コロナウイルスによって、世界中の人たちの多くの待つべき楽しみが奪われました。オリンピックも、お祭りも、イベントも、旅行も、飲み会もできない世界です。そして、命を落とした人だっています。アメリカにいる妻の叔父は、コロナウイルスに感染し、つい先日亡くなりました。産まれてくる娘を会わせたかったと、無念さでいっぱいです。

幸運なことに、自分はこうして娘の誕生を待っていることができています。産まれてきたら、空っぽだったカレンダーには娘の予定がいくつも入ってくるでしょう。

妻はいま「いつ陣痛くるんやろ〜」と、期待しつつ、でもどこか不安そうな表情を浮かべてそのときを待っています。

待ってる時間は長いです。でも、一生忘れないほど、記憶に残る待ち時間になるんだろうな〜と思いながら、いまかいまかとソワソワしてそのときを待っています。


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