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プロのサラリーマン

僕はプロのサラリーマン。
雇われの身を悠々自適に謳歌している。

昨今の社会は、空前の起業ブーム。終身雇用の神話が崩壊し、年功序列の恩恵も終わりを迎え、安心安全の収入源が確保できなくなっている現実が、人々を起業へと後押ししているのだろう。また、副業を始める人も増えている。働き方そのものが大きく変化してる時代。前時代的な感覚は社会からどんどん取り残されていく。こんな世の中で、僕みたいに雇われで生きていこうと思ってる価値観はそぐわないのだろうか。そもそも、何故雇われて生きるのは不自由だと思われてるんだろう。確かに自由に生きるのはカッコいい。しかし、果たして起業する事、独立する事だけが自由を勝ち取る事なのか?僕はそうは思わない。

僕は雇われの身だが、十分自由を感じている。何故か、それは自分の技術が、会社にとって非常に有益で、手離す事が出来ない物である自負があるからだ。現状、会社は僕を、簡単に辞めさせる事も、異動させる事もできない状態にある。役職とかではなく、難易度の高い仕事を回せる現場の技術者としての立場がそうさせている。つまり、会社と自分は対等である感覚が自身の自由感を高めているといえる。これはそもそも僕にこの仕事の才能があったからではない。他人が嫌がる仕事、面倒でやりたがらない仕事も受け続けてきた経験が積み上げられてきた結果だ。要は、雇われであっても、自分自身の努力や戦略で、他を凌ぐ価値を持たせる事が出来れば、十分自由を感じて生きていけると僕は考える。だからこそ、自分を「プロのサラリーマン」と表現した。会社に「雇われ」はすれど、「囚われ」はしない強さを持つ事、それが「プロのサラリーマン」として生き抜く武器となる。

正直、「起業して独立したい」と思った事はある。だが、家族や子供、家のローンなど、守るべきものの重さを考えた時、やはり会社員として安定した収入を貰える環境を捨てる事はできなかった。人生は全てが手に入る事はない。自分がやりたい事と引き換えに何かを犠牲にしなければならないようにできている。僕は良い妻に、良い家族に囲まれて、無上の幸福を手にしている実感がある。だからこそ、自分のやりたい仕事、独立をしたいと思う心を犠牲にする事にした。「プロのサラリーマン」になろう。そう覚悟を決めた。

「プロのサラリーマン」には上司を上手くいなす事も出来なければいけない。また、同僚とも友好な関係を継続させ、後輩からは好かれるという高いコミュニケーションスキルが要求される。結局、総合的な人間力が無ければ自由な境涯を獲得できない。これは、起業して社長となっても、サラリーマンでも同じ事が言える。

働く価値観はそれぞれだ。社会の中で、自分がどのポジションでどういう役目を果たして行くか、自分自身が決めていく事だ。「自分らしさ」を求めて生きる志向がより強くなってきた今、起業や副業だけが「自分らしさ」を表現する場所の様な風潮を感じているが、与えられた場所で、最高の仕事をし、社会に価値を提供できる事ができるのなら、それも「自分らしさ」を表現する一つの選択肢である事を提案しておきたい。



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