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ウクライナ侵攻から一年

ロシアがウクライナへの侵攻が始まって一年が経過した。悲しい禍根の連鎖が今も尚、繰り返されている。その所感をnoteに書いておきたい。

戦争を止めるのは「人間」を想像する力

政治家は、我が国に住む人間一人一人をリアルに想像せねばならない。その重大な決断が、一発の銃弾に変わり、一人の人間の胸を貫いた時、その人の人生を奪い、家族に悲哀を生み、周りの人に決して消えることのない憎悪を与える。であるにも関わらず、いつも政治家は常に安全な場所で指示を飛ばし、自身の生命を脅かされる事なく非情な決断をし続ける。結局は「国民は同胞だ」とか、「家族だ」とか言っておきながら、心から自身の家族、肉親のようには思っていないのだ。リアルに自身の家族が命を奪われる痛みを想像したならば、命を奪うような行為をさせる事などできようはずがない。人間の心理とは不思議なもので、そのリアリティを取り除き、「国家」や、「国土」などの抽象的概念とした瞬間から、平気で大量殺戮を可能にしてしまう。根本的思想を少し変化させるだけで、とんでもない現象を起こしてしまうのが、政治権力の恐ろしさだ。そして、常に本当に苦しい思いをするのは末端の国民や庶民である。国民、庶民を抽象的な概念でしか捉えていないリーダーに率いられている国家は本当に不幸だ。今一度、国民、庶民は人間なのだという事に立ち帰ってもらいたいものだ。少し乱暴だが、国家も、西側諸国も、ロシアも、ウクライナも、全て「人間」と置き換えれば、それぞれの挙動を大きく変える事が出来るのではないかと思う。「人間」だと捉えれば、簡単に命を奪うような行為には踏み切れない筈だ。そもそも国家を構成しているのは「人間」なんだから、挙動も判断も抽象化した概念に囚われず、「人間」らしい判断をし、「人間」らしい挙動をすれば良いと思うのだが。。。何でも抽象化したがるのは西洋的思想の悪いクセだと思う。とにかく、人と人の繋がりで国家が形成されている。国家間も、結局は人と人が繋がって関係が構築されている。常に「相手は血の通った人間なのだ」という心で接して行く事が、単純ではあるが最も大事であると僕は思う。

世界は運命共同体

世界情勢は、ウクライナ戦争(侵攻ではなくもはや戦争であるという認識なので)によって、第3次世界大戦への道へ進んでいくのではないかとの懸念が広がっている。国家間はあまりにも複雑に絡み合っていて、一国の挙動が全ての国に多大な影響を与えている。エネルギー費高騰、物価高、食糧問題など、雫が波紋を広げ、波が干渉して行くようにどんどん周りへ影響を広げている。世界は一つの教室で過ごす生徒達のように、無関係な人は一人もいないような閉じた関係になっている。謂わば運命共同体。一度諍いが起これば、教室内に不穏な空気が立ち込め、猜疑心と打算が派閥の形成を呼び、全員を巻き込んだ対立構造を生んでしまう。これを回避するには、誰かが大人になって、互いの繋がりを思い出させて、信頼と共感を広げて行かねばならない。無論、簡単ではない。先ずは全ての人が同じテーブルに着席し、運命を共にしている仲間なのだという事を改めて認識する事が今、最も必要な事だと思う。ヒエラルキーの上位に位置する人々には特にそういった働きかけをお願いしたい。冷戦が終結した時、少なくとも世界は、同じテーブルに着席しようとしたのだから。

SNSの空気は決して無力ではない

あくまでも僕の主観をつらつらと書いただけなのだが、せっかく世界に発信できるツールを手にしている現代人として、何もしないより、小さき声かも知れないが、共感していただける人と共に、大きな声に変わるように発信をする事が僕の中での反戦運動かと思い投稿した。是非皆さんも平和を望む声をどんどん上げて欲しいと願うばかりだ。SNSがつくる空気というのは、今や国家権力も無視できない程に強力な力となっている。だからこそこの文明の利器を存分に行使していこうではないか。協力者を求む!!




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