映画『君たちはどう生きるか』 思ったことまとめ

考察がたくさんあるので、本当に自分が思って書き残したい用です。
あと、ジブリは別に詳しくないし小説『君たちはどう生きるか』は読んでおらず、小説『失われたものたちの本』を読んだことが映画を見たきっかけです。



1.マヒトを抱きしめたくなる

「まことの人と書いてまひとか、どうりで死に近いわけだ」
みたいなことを言われてましたね。
ざっくりストーリーを追っていきましょう。

まずマヒトは映画の始めでお母さんを亡くします。
マヒトの気持ちたるや、胸が苦しくなる。
マヒトがお母さんのことを慕っているのは間違いありません。

そして1年たったくらいで、妊娠したナツコさんが登場し、マヒトの父と結婚することになります(これ父親の声優はハウルですか?;)。
しかもナツコさんは、マヒトの母の妹、つまりマヒトの叔母です。
エエエエエ
自分の大好きな母親が死んですぐ、他の女どころか、親戚の叔母を妊娠させる自分の父親・・・
そんな状況で、マヒトは精一杯の礼儀正しい挨拶をしてますね。
えらいぞ・・・(私はここで泣いた)

決して失礼な態度は取らず、ナツコさんに敬意を払って過ごすマヒト。
学校では都会者として仲間外れにあい、
マヒトは心の内を誰かに話したりなどできるわけがありません。
しかし、唯一ナツコさんだけが、そう!この苦しい状況の一端を担っていると攻めたくなっても仕方ない、ナツコさんは心配してくれているのです・・・。

けれど、心配してくれるナツコさんのすぐ横には、見舞いにもほとんどこない父親のコートがかかっている。
(父親はまじでなにしてんだ?仕事か)
マヒトからすれば、父親にとってはナツコさんと新しい赤ちゃんの方がずっと大切で、父親はマヒトにも大切にしろよと言ってくるとんでもない存在に感じられました。
(てかジブリってあんまり父親よいイメージない気がするし、母は偉大な気がするよ)

誰かマヒトを抱きしめてあげてくれ、おかあさん、なんで死んじまったんだー!!
お母さんから送られた『君たちはどう生きるか』を読んで泣くマヒト。


2.地下世界とはなんなのか

そうこうしていると、ナツコさんがふらふらと別世界へ、マヒトも追って別世界へと旅立ちます(そしてキリコおばあちゃんもひきずりこまれる)。

地下世界では、かわいい赤ちゃんのもとになるやつがいたり、ペリカンがそれを食べていたりする・・・
そして↑の発言から見て、どうやら死に関する世界、もしくは生まれる前の世界のようですね。

加えて、行方不明になった大叔父さんや、小さい頃のお母さん、ナツコさんもいます(ひきずれこまれたキリコおばあちゃんも)。
あとなんかわかんないインコたちとか、アオサギもいます。

この世界は大叔父さんが作っていて、石と契約し、積み木を積んで、守っているらしいです。


このことから私の考えでは、
おそらく大叔父さんは宮崎駿で、自分が作ってきた理想とか、素晴らしい世界とか、そういったものを石と契約して生み出してきたということ。(無機物と契約したのだ)
だからこの地下世界は、宮崎駿にとっての理想の世界とか、もしくは誰かにとっての理想の世界、だれか年老いた巨匠が頑張って作ってきた彼にとっての素晴らしい世界のようですね。
そして、そういったいわゆるファンタジーとかって言われちゃうような、理想的な世界の中に、逃げ込んできた人たちがいます。それが世界を守ろうとしてる大叔父さん本人とか、小さい頃のお母さんとか、ナツコさん・・・。
そういった人たちはいわば現実逃避をしていて、現実逃避をしているというのは死んでるのと同じ、もしくは生まれてないのと同じじゃないかってことのように思いました。


3.ナツコさんとの関係

地下世界にそもそもナツコさんを助けに向かうわけで、セリフにもある通り、マヒトにはすべてちゃんとわかっているわけです。

お母さんは死んでいて、もうどこにもいないのだということ
ナツコさんはマヒトのお母さんになりたいのだということ
ナツコさんは悪い人じゃないということ

えらいね・・・(また泣く)

4.母との再会は思いがけないことの暗喩

な気がします。
例えばリアルに考えると、
もうお母さんが死んでから何年も経ったころ、ナツコさんから「実は私たちの母、マヒトさんのおばあちゃんは小さい頃に亡くなったの。私はまだ小さくてあんまり覚えていないんだけれど、お姉さんから母の話を聞いてうらやましかったわ」って聞かされて、(お母さんもそうだったんだ・・・)なんて思うとかね。日記を見つけたりだとか、思いがけない形で故人と再会することありますよね。
そんな状況が、映画の中では奇跡のように描かれていると感じました。

しかもマヒトの成長を見たお母さんが、
「マヒトを産めるなんて幸せじゃないか」
とか
「お前っていいやつだな」
って抱きしめてくれるんですよ。
それで生きようと、戻っていくんですよ。

抱きしめてもらえましたね。


5.マヒトが選んだこと

どうやら小説『君たちはどう生きるか』にも、本映画にも、『失われたものたちの本』にも、ある一つのことが共通して描かれていると感じました。
それは、「人間とは誰しも悪意を持つものであり、それは自分にも言えることであり、常にそうであるということの中で、君はどうやって生きていくのかな?」ということです。

私ははじめ、『失われたものたちの本』を読んで、主人公デイヴィッドの賢さと、いたいけな子供が覚悟を持っていく過程の中で、私が最近ずっと感じていたこと「自分は状況次第でいついかなる悪意をも持つ可能性があって、人間とはそういうもので、その中で生きていかなきゃいけないんだ」が書かれていて、とても・・・私だけじゃなかったんだと思ったんですね。
歴史とか勉強したり、ニュースを見るだけでも、いやなことばっかりじゃないですか。
すぐそばで大切な人が亡くなったりしたときに、その原因を作った人たちをどう思うんだろうかって思いますよね。
大切な人が目の前でとんでもない目にあったら、助けるために別の人を傷つけたり恨んだり憎んだり、し兼ねないなと思います。
それだけではないです、数えきれないです。
しかしそう考えさせられる中で唯一、「私もそういった悪意を持つ可能性があるんだ、私はそのことを忘れてはいけない」と思うのです。

『失われたものたちの本』ではデイヴィッドに共感してしまいました。
私は母親のことが好きなので、同じ立場であったら容易には受け入れられなかったと思います。しかしその中で、自分がしてしまった悪いことと、自分がそういったことをしうる人間なのだということに気づき、その中で何を選ぶべきかしっかり考えるまでに成長します。

本映画でも同じように思います。
マヒトは自分が悪い気持ちを持ちうる人間であることを受け止めています。
それは自分の頭につけた傷がその証となると言っていました。

大叔父さんが作った理想的な世界の中で生きることもできるけれど、
本当に美しくて良いところしかない人間なんかこの世にいないんだよ、と。
それどころか、そんなことを語るのは理想じゃないんだ。
自分が悪い気持ちを持ちうる人間なんだと、自覚できること、自分が悪いんだと認められること、そういった人間であるべきなんじゃないか、と。

そういってマヒトは戻ることを選び、大叔父さんが作り上げた世界は崩壊していきます。
大叔父さんの作り上げた世界から、一つだけを取って、マヒトという未来、未知数の世界へつながっていく気がします。

6.アオサギ

まあそんな世界に友達というか、腐れ縁(照れ隠し)がいればなおよいよね。
友達、ありがとう。

ってことかなと思いました。
地下世界に入るところでアオサギと喧嘩をし、それまで神秘的だったアオサギが一気に変なオッサンになるのは、友達になったからだと思います。
喧嘩して意見をぶつけあって、それでも一緒に旅をして、いつか別れる。
そんな暗喩かな、とか。

7.まとめ

いや、インコがさ、これ・・・宮崎駿の作った世界を盲目的に守ろうとしてるアホって感じで、これはワロタってなってました。
すみません。

宮崎駿のこれだけは作っておきたかった映画かなと勝手に思いました。
映画館で前情報ナシで見たのですが、平日の朝だったのにほぼ満席でびっくり。
エンタメ要素が少なく、描きたいことを描きたいままに、興行収入など関係なく作ったという印象を受けました。
見た直後は難しい要素もあり、ここに書いてあることを大体思いながら見ていましたが、細部は忘れました。いつも細部忘れるんだよね。
映像はすごくよかった部分もありますが、3Dがモロ使われてる部分もあって、「良い!」って思ったり、足早に作ったなという気がして、それがさらにとにかく早く世に出さねばという印象を受けました。

もし読んでくれる人がいて、少しでも琴線にふれればうれしいです。


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