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くっさんというあまりにも大きな存在

 赤ん坊とお気に入りの布は不可分だ。授乳のときや寝るとき、転んだりしてびっくりしたとき、赤ん坊はおっぱいと同じくらい布を求める。なぜ赤ん坊は良い布を求めるのか。授乳のとき手が触れる場所におかあちゃんの服の端があるからだろうか。

 ともかく我々の娘にもお気に入りの布がある。いつから呼び出したかくつ下の『くっさん』である。赤と白のボーダーのくつ下。妻が昔入手したマクドナルドのなんかのキャンペーングッズらしい。
 良き布を求める娘にあてがうと気に入ってくれて、もうかれこれ1年以上の付き合いだ。娘は冬に2歳になったところなので人生の半分をこの赤白ボーダーと共に過ごしてきたことになる。

 娘がリラックスを求めるとき、常にその手はくっさんを欲する。
 0歳のときは、家や外出時に関わらず、眠たくなると手をにぎっぱした。いろいろソリューションを試した末、くっさんを渡すとグッと握りしめ入眠した。そのことから我々夫婦はくっさんのことを、自分たちや親族と同等の育児の協力者と認めた。そしてどこに行くにもくっさんを連れていくことを忘れないようにした。

 だが子どもとのお出掛けは準備が多い。ときどきくっさんを忘れることもあった。そんなとき、娘がベビーカーで眠そう指をくわえてもどこか不満げで、ちょっと悲しそうに眠った。
 喋れるようになってからは、はっきりと「くっさん」と要望を口にしてくるが、「くっさん、おうちでお留守番してるんだよ」と言うと「くっさん……」と残念そうに呟き、仕方なさそうに指をちゅぱちゅぱやりながら眠りについた。

 寝ないわけではないので、実は必須ではないっちゃないのだが、悲しい気持ちにさせるのは本意ではない。あれば安心、ないと悲しい、というそんな存在は、間違いなく大切なものだ。

 くっさんはリラックスのお供である。手放さぬよう力強く握るものではなく、その手の中に感触がわかる程度にゆるく握るものだ。なので外出先で度々落とす。
 くっさんはくつ下である。音もなく落下する。
 娘がまだ寝入っていないときは、落としたとき娘が、
「あっ、くっさーん!」
 と言うのですぐ気づける。

 ただ多くの場合、眠ってから手のちからが緩んだ拍子に落とす。そのため、ぼくらが気づいたときには手に何も握っていないということになる。すぐ気づいた場合は後ろを振り返ると地面に落ちてるのが見つかり事なきを得るし、ときには親切な通行人が拾って手渡してくれることもある。

 そんな感じなのでもちろん紛失したことも一度や二度ではない。
 一旦帰宅してから通った道を探したり、立ち寄ったスーパーのサービスカウンターでたずねたりして、たいていは見つけることが出来てきた(そのたびにGPS付けようかと本気で考えたがぜったい娘がとっちゃうと思うので付けない)。

 そしてついに、くつ下一足分、つまりふたつ紛失し見つからないままとなった。
 娘は変わらず安寧と眠りを求めるとき、
「くっさんください」
 と言うが、そのたびに、
「くっさんは遠くにお出掛けしてるんだよ」
 と伝えた。
 なんとなく言葉を理解した娘は、しゅん、と肩を落とした。

 くっさんは大切な存在だが、前述の通り必須の存在ではない。そのうち求めなくなったり、別のくつ下を気に入るようになるのでは? と考えたが、娘は何日経ってもくっさんを求め続けた。

 くっさんはやはり無くてはならない存在だと改めて思った。娘の人生の半分を共にしている不可分の相棒。我々家族の心強い協力者。

 妻はネットを駆使して、同じドナルドのくつ下を探し当て、購入した。そして数日後、糸のほつれや毛玉のない、鮮やかな赤白ボーダーのくつ下が届いた。
 使用感のまだ無いそれに娘は違和感を覚えるだろうか? と思ったが、
「ほら、くっさん、帰ってきたよ!」
 と見せたとき、娘は、

「くっさん! かわいい! くっさん、かわいいねえ!」

 と満面の笑顔で受け入れてくれた。
 それからは元通り、娘がリラックスするとき片手には常にくっさんがいる。

 残機は一足分で、2つ。今度は絶対うしなうまい。……たぶん。

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