見出し画像

芸術鑑賞する場所、H・A・I・S・Y・A

 歯の詰め物がとれたので、6~7年ぶりくらいに歯医者さんに行ったら、
「詰め物の下で歯の神経ダメになってますね」
 と言われたので久々に歯医者さん通いをしている。

 歯医者さんに行くのはきらいじゃない。
 行く原因は虫歯というマイナスなことだし、施術内容によってはちょっと痛いし、治療費もけっこうかかるけど、嫌いじゃない。

 むかし通っていた歯医者さんには絵画が飾ってあった。
 あるひとつの歯医者さんには、単純な図形にビビットな色が大胆に塗られた抽象画が飾ってあった。
 また別の歯医者さんには、ヨーロッパかどこかの街並みの鳥観図を繊細な点描風のタッチで描いた絵が飾られていた。
 どちらの歯医者さんでも絵画は施術台の正面にあり、治療の合間その絵を好きなだけ眺めることができた。
 ひとつの絵画をこんなに何度も、長い時間観る機会というのはなかなかない。絵画を買って家に飾りでもしない限りは。
 絵画は、観れば観るほど見え方が変わるのがおもしろい。

 青空よりほんの少し深いブルーと血のような赤の組み合わせってどういう意味なんだろう。この図形の角のちょっとくにっとした部分、さわったら気持ちよさそうだな。この町、自転車で暮らすにはキツそうだな。PUBの前の植木に水をやるのは昼間なのかな。

 歯医者さんにいき、次の予約を取り、また歯医者さんに向かう。そのとき「絵画を観にいける喜び」を覚えるかというと、そうでもない。「歯医者さんに行く」は「歯医者さんに行く」だ。
 でも、それくらいが丁度よくて、むしろ絵画があることが当たり前になってて、なんとなく眺める感じが、正しいように思う。
 歯を削られて、口をすすいで、次の施術を待ってる間、絵画を眺める。
 すごい無駄がない感じがする。

 まあ、あと、絵画関係ないけれど、座り心地のいい椅子に座って基本的にはされるがままで脱力しておいて良いのが単純にラクだ。
 お金を払っているし必要な治療だし、なんの負い目もなくぼーっとできる。
 これが休日の自宅とかだとこうはいかない。ぼーっとしてるだけで、何かを無駄にしているような気がして、なんだか焦ってしまう。リラックスしきれない。
 だが、歯医者さんにはリラックスしても許される感じがある。良い。

 絵画がある歯医者さんは、むかし通っていた歯医者さんの話だ。
 残念ながら今通っている歯医者さんには絵画は無い。
 ネットで調べても歯医者さんの絵画の有無は書かれていなかったので仕方がない。
 では何も楽しみがないのか、というとそうでもない。
 座り心地のいい椅子でぼーっとすることは出来る。昔より身体のこわばりを感じる昨今、リクライニングした状態でぼーっとしていると、それだけでちょっと身体がラクになる感じがする。
 リクライニングでぼーっとする時間は、貴重だ。

 それに、担当の衛生士さんとこんなやり取りがあった。
 歯のクリーニングとして担当してくれたその衛生士さんは、ぼくの顔にタオルをかけ歯の点検をしながら、
「あ、そういえば、カルテみましたけど誕生日いっしょですね」
 と言った。
 ぼくは、
「ふぇ、ほうはんへふね。ふふ」
 とか言った。
 基本的に歯科医さんや衛生士さんとする会話といえば、歯の状態や今後の施術工程の話くらいだけど、このひとつ差し込まれた雑談が適度に緊張を解した。
 その会話のあとは、器具を使った繊細な施術をおこなっているからか衛生士さんは沈黙していたが、ぼくの脳内では「誕生日いっしょですね」という一言が小石を投げられた水面のように波紋をひろげていた。
 施術中ずっと、その後の会話パターンを思くことに没頭していた。
 これがなんとなく絵画を眺めているときの感じに似ていて良かった。
 たった一言をまるでひとつの作品のようにためつすがめつするのだ。

 誕生日がいっしょ、ということから広がる話題とはどのようなものがあるだろうか。
 星座がいっしょなので、朝の情報番組とかでやってる星座占いの結果もいっしょだなぁ。たしか今日のラッキーポイントは「大きな食べ物にかぶりつく」だったか。
 なのでぼくは、施術の合間とか後とかに、
「あ、そういえば、大きな食べ物にかぶりつくといいことあるらしいですよ」
 と衛生士さんに言おうと思った。
 誕生日がいっしょという情報のみでは他に何も言うべきことが思い浮かばないので、ぼくはその一文だけを頭の中の弾倉に装填した。

 施術がおわると、
「はい、今日はね、歯のチェックと、歯茎のポケットのクリーニングをさせていただきました。なにか違和感とかありませんか」
 と訊かれたので、
「大丈夫です。すっきりしました」
 と応えた。
「ではこの後に別の担当が最終チェックをしますのでお口をすすいでお待ちくださいね」
「はい」
「お疲れ様でした。では失礼します」
「はい、ありがとうございました」
 衛生士さんの気配が遠ざかっていった。
「……………………」
 ぼくは装填した言葉を、頭の中からしめやかに排出した。

 歯医者さんとは、あくまで静かにリラックスして作品と対話する場所なのである。まあ……そう。

読んでいただきありがとうございます!!サポートいただければ、爆発するモチベーションで打鍵する指がソニックブームを生み出しますし、娘のおもちゃと笑顔が増えてしあわせに過ごすことができます。