「こういう事なのではないだろうか」もなんもねぇリアル
主にエッセイ的なものを書いてるので、
できごと
思ったこと
それはこういうことではないだろうか?
シメ
みたいな構成で書くことが多い。
けど、子どものことを書くってなると、いつも「3」いるか? と思う。
note書くとき最近は、子どものとてつもなく可愛いムーブがあって、それを脳内に留めておくと爆発しそうなのでポンッと出して周囲を巻き込んでやれ! と思って書く。
初期衝動だけで駆け抜ける。
そういう動機ってそもそもぼくの想像を超えたことに直面して起こってるわけなので、「それってこういうことなのではないか?」的な思考ってつまり、想像を超える事象を自分の認識や言葉に変換する作業であり、あれ、それってなんかそのとてつもない事象を小さくしちゃってない? と思うのだ。
特に子どものこととなると、ぼくの短くない人生において最高記録を更新するような出来事が毎日起こるため、ぼくの言葉や知見の枠で語るのがあほらしくなってくる。そのものさし持ってねぇわ、という心持ちである。
とはいえ、娘の可愛さを結局言葉で語るんですけど、それは言葉の枠に収める作業ではなく、日本語が足りないことを確認する作業なのだ。
あー、楽しい。
読んでいただきありがとうございます!!サポートいただければ、爆発するモチベーションで打鍵する指がソニックブームを生み出しますし、娘のおもちゃと笑顔が増えてしあわせに過ごすことができます。