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アバウト・ア・BONYARI

 さっきまでリビングの床に寝転がってぼーっとしていた。眠たいとか疲れたとかではなく、ただ何も考えずぼんやりしていた。
 旅行先の海辺の宿で、深夜テラスに出て、波音を聴いてるときのような、かなり強強度のそれであった。

 ポメラ(子猫大の文字書き専用デバイス)に向かって何か書こうとしたけれど何も思いつかないので寝転がってリラックスすれば何か思いつくかな、という目論見であった。
 そうして寝転がったはいいが、何も思い浮かばないので、何も思い浮かばないなぁ……と思って、でもまあいいかぁ、と思ってぼんやりしていた。

 ちょっとものすごくぼんやりしていたので、そのことを書くことにした。

 ふだんなかなかぼんやりって出来ない。なぜならたくさんの建物や人間の中で生きていると、生活をしないといけないからである。
 仕事や家のこと、家族やお金のこと、考えたりおこなったりすることはたくさんある。そういうのがない空隙のひとときにあったとしても、その手にはコンテンツのポケット・オブ・フォーディメンションたるスマホがある。

 そのため真空が発生するとそこに空気が急激に流れこむように、タスクの隙間にコンテンツが流れこんでくる。
 そして「ぼんやりする」はしぬ。

 でもそれは全然いい。音楽きいたりゲームしたり、まんが読んだり楽しいし。
 ぼんやりは必要かというと、わからない。あんまりそれをしてない気もするけど、困ったことはない。
 ただ思ったのは、贅沢だなぁ、ということだ。
 ぼんやりすることはものすごくリッチだなぁと思った。

 ぼくは金持ちでもないし時間の使いかたは下手だし常にちょっと腰が痛いし喉がよわいけど、ひととき、誰よりもリッチになった。
 それはぼーっとしていた時間だ。
 そのひとときは、とっても無なので、この世の全部の比較対象が消え去る。そこにあるのは、ただひとつの、ぽやーんとした顔で床に転がってるぼくだけである。

 最近よく他者のnoteを読むようになって、みんないろんなこと考えているのだなぁ、と思った。おもしろいなぁ、でももっと、何も考えてねぇなこの人、みたいなnoteも読みたいな、と思った。
 そういうのを文章にするのは難しい気もするけど、ぼーっとしたことについて、こうやってヘリクツこねられるなら、そういうのも出来るかなと思う。

 なんかこう、この記事読んで、ふーん、と思っていただけたら幸いである。そして、あなたもごろりと転がって「…………」ってなったらさいこうである。

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