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#0 くだらなくて、いたらない

これから何を書こうか、かっこよく人生でも語ってみようか、それとも今日見た、突然脱いだ靴下を道路に投げ捨て裸足で七条通を駆けて行った自由な青年の話でもしようか。そんなことを考えていたらずいぶん時間がたってしまった。迷うふりをして薄々気づいてはいたが、前者は逆立ちしても書けないと思う。

美しくて強い言葉は周りに溢れているので、私はやっぱり、できるだけくだらなくていたらない言葉を並べていきたい。くだらないとか、いたらないとかが存在する余地がなくなった世の中は、きっとけっこうしんどいだろうから。

というのは本音を含んだ建前で、私はどうやら「ちゃんと」とか「かっこいい」とかいうものと相当相性が悪いらしい。
ちゃんとやるぞ!と意気込んだ仕事よりも、ああ、時間ないぜノリで行こう!とちゃちゃっとやったものの方が何故か評判がいい。適当にやっている、というよりもいい感じに肩の力が抜けてくれるのだと思う。
この国に生きていると、「ちゃんと」の呪いは相当強く、そこらじゅうに蔓延している。ちゃんとしなきゃ、ちゃんと生きなきゃ、ちゃんと...その呪いに引っ張られて一度、仕事で力んで禍々しいうさぎを描いてしまったことがある。いつもとタッチが違うんですが...と言いづらいだろうにしっかり伝えてくれた取引先の方。当時は混乱してもうわからないよ!と泣きながらあれも違うこれも違うと何十匹もうさぎを描き続けていたが、今思い返すと最初のは確かにひどかった。あれがお客さんの手元に届くのを阻止してくれた感謝を胸に、今日も生きている。

こんなふうに、ちゃんとやるとダメになってしまう、ちゃんとするとどうも物事がから回ってしまう運命らしい。

私は前世、一度だけ男だったことがあるらしく、それも武士だという。ちゃんとしてないと務まらない職業である。確かに、多少の心当たりはある。父親が美術書に混ぜてなぜか武士道の本を渡してきたことがあるし、私自身行くところまで行くと急に武士のような潔さを発揮しないでもない。
これは私の推測だが、おそらく前世でできなかったことが、今世の課題として引き継がれてるんじゃないかと思うのだ。前世でしっかりしすぎた結果、今世はしっかりしてはいけないという業を背負ってしまったのだ。私だってプロフェッショナルの音楽が似合う人間になりたかったのだが、業なら仕方ない。ナメているわけではないがどちらかというと情熱大陸方面にいる気がする。「うわー、やっちゃったなあ〜」なんて言葉はプロフェッショナルでは許されないが情熱大陸では許される節がある、そういうところだ。
ちなみに私の親友は、前世は恋愛もせず染め物ばっかりしていた職人の男だったらしく、今世ではそれを取り返すかのように恋愛沙汰が多い。川に行くと心がざわざわしてテンションが上がってしまうのも川で染めものをしていた前世の影響らしい。業は人それぞれだ。

まあ前世云々の真偽はともかく、「仕方なく」くだらなくて至らないのだ。でも、その仕方なくは絶望とか悲観ではなくカラッとした「仕方ない」である。なんだかニヤリとする「仕方ないなあ」である。ちゃんとできなくても、ちゃんとしなくても、仕方ない、だってそういう業みたいだから。

「くだらない、至らない」を受け入れて続けていくことは、自分が生きるスキマ、生きていていいスキマを確保するためのささやかな戦いでもある。力みそうになったら必死に緩める、そして緩めてまた緩める。そうやって少しずつ、世の中がくだらないと至らないに溢れたらいい。

こういうわけで、くだらなくていたらないコラム、次回からぬるっとはじまりますのでどうぞよろしくお願いします。

2023.10.17

🐈‍⬛イラストもみてね



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