名詮自性と私

先日暖かかったのでいつもは自転車でピャーっと行っている図書館に散歩がてら歩いて行きました。

のんびり歩いていると普段は見過ごしてしまうようなものも目に入る訳で、図書館の花壇に「キンギョソウ」という札と共に植物が植えられていました。
花は咲いておらず緑色の茎と緑色の葉のみで、この葉っぱの形が金魚に見えたからキンギョソウなんかなそれとも金魚に似た形の花が咲くからキンギョソウなんかなと想像を膨らませ、記憶を辿れば恐らくこの植物のことを知っているし金魚のような形をした花が咲くということは間違いないだろうなと思っていました。(調べてみるとやはり金魚のような形の花が咲くようです)

そもそもキンギョ「ソウ」という名前がややこしく、例えば「キンギョバナ」という名前だったとしたらその名前を聞いただけでほぼ100%金魚みたいな花が咲くのだろうということは予測できるのですが、何故か草を表す「ソウ」という名を背負ってしまっているだけに金魚っぽい葉(若しくは茎)なのか金魚っぽい花なのかいやそもそも花は咲くのかと何パターンもの可能性を含んでしまっているのです。
それは名付けた人の遊び心なのか何も考えていないのか植物学的な何かでこういうものは「ソウ」ああいうものは「ハナ」と決められているのか分かりませんが、花ではなく草と名付けられたことのおかげでこうやってここに書くネタができたことは間違いないので感謝の気持ちでいっぱいです。

さらに突っ込んで考えてみると、この植物が発見されるより先に金魚が発見されていたからそれが名前の由来になっている訳で、もし発見時に今で言うところの金魚という存在が知られておらず「何か魚のヒレっぽい花びらやなーセミホウボウのヒレっぽさあるなー」ってなっていたら「セミホウボウソウ」とかになってしまう訳で、さらにその後に今で言うところの金魚が発見されていたらセミホウボウソウに似た形の魚ってことで今で言うところの金魚がセミホウボウソウウオとかになっていたかもしれない。

人の目には金魚のように映っているだけでキンギョソウ本人は別の何かに擬態しているつもりかもしれないしひょっとしたら何に擬態しているつもりもなく何かに似ていると言われ更にはそれを名前にまでされていることを不服に感じているかもしれない。

名は体を表すと言いますが、この場合は名を体に合わせにいってるからそりゃそうよなぁと思うわけです。
何かそんなことを考えていると何かしらの新種を発見してもどうやって名前を付けたらいいか更に悩みますね。
何かに似てる、〇〇っぽいと前例との共通項を無理矢理にでも探し出して強調することは容易いですが、それぞれが持つオリジナリティを感じ取って尊重できる世の中の方がおもしろいかもしれませんね。

キンギョソウの花言葉は「おしゃべり」「おせっかい」「でしゃばり」など。
向こうからしたらほっといてくれよってことなんでしょう。

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