見出し画像

世界の扉を開こう! ~ フォローボタンをためらうワタシ(あなた?)への説得 ~

#情報発信ってなんだろう ? という自分用の思索メモです。

アカウントの育成、つまりフォロワーが増え、ページビューが増えること、というか増やすことについて色々考えている。
前回も、ちょっとそこに触れたが、一歩前進したのでアウトプットしておく。

見ていただいたらわかるが、(おまけにpvが増えてラッキーだが)
昨日の段階では、フォロー戦略について

「納得してないけど、とりあえずフォローします」
という「お前なめとんのか?」状態である。
ここから、今日は少し成長した。

「伝える」と「伝わる」

今、「伝える力」を課題に活動している。
逆説的に言えば、「伝わった結果」が出なければ、「伝える力」は持たないことになる。

つまり、
「何を言うか」という情報の質での優劣は、
「誰が言うか」という発信力の前に完敗する。

あらためて考えたら当たり前で、どんなに素晴らしいことを言っても、誰にも聞いてもらえなかったら伝わった結果は0なのだ。
だから、長年の間、発信力を独占していたマスコミは強者だった。

となると、「伝える力」の勉強をするなら、当然「アカウントの発信力」をあげて「聞いてもらえる状況」を作ることが大前提になる。

当たり前のことだ。
当たり前のことだけど、なんか釈然としなかった。

判明! それは嫌悪感

で、色々考えて、なんとなくわかってきた。

オレ、マスコミ大嫌いだ!

という超個人的な感情が根っこにあったようだ。
テレビあんまり見ないし、新聞はクリティカルシンキングの材料にして、あら探しをしてしまう。我ながら、面倒な人間だと思う。

情報発信力をあげること
 =フォロワーをたくさん集める
  =マスコミとおなじことしてんじゃね?

という嫌悪感が根っこにあったみたいだ。

「静かに歩いていると、後ろに自然と続く人が現れ、
 いつの間にか大河のようなうねりになる」

のは良いことで
「集団の圧力を活用するため、ビラを撒き、伝手をフル活用し、
 利益で誘導し、不安をあおり、集団を組織する」

ことは、とってもいけないことのように思っている。

リピーターがついて自然にブームになる」ことも、
「営業戦略を考え、心に響くコピーを設定し、ターゲット層を明確にして、 売れるべくして売れる状況を作り上げる」ことも、
同様に素晴らしいことだ。
素晴らしい!とわかっていながら、なんとなく前者が尊い気がしてしまっている。(それを世間では「わかってない」っていうよね)
 まずは、このあたりのアレルギー感覚から治療しないとダメだ。

だから、フォロワーを「増やそう」とする作為を悪と感じる感覚が根っこにあり、フォローをつける行為を「自己利益のための卑しい行為」と捉える自分が居た。


フォローしていいんだ!

そんなときに、腑に落ちる記事を見た。

Syoheiさんの言葉で、もやもやしていたことがかなり晴れた

3、そもそも「フォロワー>フォローが偉い」は大いに間違い
(中略)
100人フォロワー数を増やしたら、100人分の考え方をウォッチすることが出来るんですよ。それってめっちゃ素敵なことだと思います。

そうか、そうだよね。
他人様には、自分にない意見がある
興味ある人をフォローすれば。自分にはない意見をたくさん聞くことが出来る。
そんでもって、自分でえり好みすると、割と偏った情報が集まる。
ところが、自分の意図で集まっていない母集団を片っ端からフォローすると、自分には存在しない価値観の情報が手に入る。

それって、積極的にフォローしないと得られない立ち位置なんだ。

そうか、〇〇していいんだ!その2・その3

あと、syoheiさんの記事で気に入ったのが、二つ。

その2・フォロー切っていいんだ!

僕も結構フォロワー数の増減は激しいものの、大抵フォロー外していく人はBotか数増やし目的のアフィリエイターとか情報商材の人たちだけです。

ほう、なるほど、フォロー切ってもいい場合があるのね。
自分でつけておいて外すのって、すごく裏切り行為だと思ってしまうけど、切るときは切っていいんだ。と楽になったその2。

その3・自分に価値がある情報でいいんだ!

「情報の伝え方を考える」という前提で、noteの所属?し始めた以上、適当に書き殴るのは本末転倒だ、ちゃんと価値のある情報を書かなきゃ、と考えるわけです。でも、それ、たぶん辛くなるよな、と思っていたら。

最近、心得てきたことなのですが、昔、フォロワー数を増やしためにはどうすればいいのか?という疑問に対して、多くのメディアに「誰かの価値になること、便利な情報を発信していくことである」と書いてありました。

(中略・特別な情報とは何? という考察の後)

つまり、「その人にとって価値のある情報であればいい」ということですね。であればこそ、筋の通った意見や信念を持った発言が「誰かの価値足り得る」ということなのではないか、と当時の自分を振り返って思いました。

 そうだよね。そうなんだよ。
 自分にとって意味のある情報は、他の誰かにとって意味のある情報の可能性がある。
 逆に、その人にとって意味の無い情報は、その人が無視すればいい。
 無視されるのは、情報に絶対的な価値がないからじゃない。
「縁が無いから」
 いや、もちろん、情報の伝え方がまずいとか、情報の質そのものが低いとか色々要素はあるんだけど。

 書きたいなら、書いていいんだよ。
というか、書きたいからnote始めたんだから、書きたいときゃ書けよ!

と心がだいぶすっきりしたので、言い記事が書けそうな気がしてかいてみた。

今日のまとめ

フォローは縁。
 積極的に、世界を広げていい! 
 出来れば、えり好みせず。切りたきゃ切れ。

・自分のために書きたいことを書いてもいい
 万人に受ける記事なんかない。
 読者には読まない自由がある。
 自分と同じような誰かにはヒットする。

読み返せば
当たり前じゃねえの?
 と驚くほど平凡な結論でしか無かった・・・。

ここまで読んでいただいた方は、
初心者の悩みを見守るベテランさんか、
同じように悩む初心者さんではないでしょうか?

ベテランさんへ
なんかフォローいやがってるぞ、こいつ? という人が居た場合、私のように考えている可能性があります。

同じ悩みの初心者さんへ
我々、3桁程度のフォロー・フォローワーの世界など、
数千・数万のダイアカウントに比べたら全て誤差のはず。
誰も気にしてないでしょう。
とりあえず、
ちょっとでも「この人の次の記事読みたいな」と思えば、ガンガンフォローしちゃいましょう。

フォロワーでもなければ、一瞬すれ違った方の記事、二度と見ることが無いかも。それはもったいないですよね。

情報発信を通して、みんなが笑顔で毎日を過ごせるようにできたらと願っています。 体のケアや、メンタルヘルス、怪我の少ない動き方、などいつでも質問してください。 相手にあわせた情報発信、まず、あなたのために練習させてください。