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10年後に喜びに変わった高校生の頃の涙

「あなた、進路に悩んでいるでしょう」
修学旅行中に出会った、占い師の言葉に私は涙した。

2011年秋、高校2年生だった私は、修学旅行で関西地方を訪れていた。

確か、自由行動時間に神戸北野異人館街を歩いている時だったと思う。

別グループの友達とすれ違うと、その友達に「あそこにめっちゃ当たる占い師がいるから話してみ!」と占い師を紹介された。

その友達の話を聞けば、その子が犬を飼っている事や、その子と一緒にいた子が医師を目指している事を、何も話す前から当てられたとの事で、占いを信じていた訳でもない私の心も少し揺らいでいた。

私はずっと仲良しだった女子4人で行動していたのだが、4人で顔を見合わせ、その占い師の元へ向かった。

話を聞けば、神戸の街で商売をしている訳ではなく、占い師の方もたまたま旅行に来ていたオフのタイミングだったそうだが、金銭の授受もなく立ち話感覚で占いを始めてくれた。

その占い師は、占い師から向かって左側にいる子から順々に「あなたは○○でしょ」と話し始め、どんどん当てていった。

ずっと共に過ごしていた私たちでさえ「合ってる…」と頷くしかないほどに友達の性格や情報を言い当てられ、私たちは困惑しながらもドキドキして話を聞いた。

1人目、2人目、と話が終わって、ようやく私の番、となったタイミングで占い師は何故か私をスキップし、私の左隣の子に話しかけ始めた。

なんの放置プレーよ…と思いつつも、3人目の事もどんどんと言い当てていく占い師の凄さに私は期待を募らせた。

そして、3人目との話が終わると占い師は私の方を向き、「こっちにおいで」と呼んで他の3人と少し離れたところへ誘導した。

3人に声が届かないくらいのところまで来ると占い師は私の目を覗き込み、「あなた進路に悩んでいるでしょう」と、質問ではなく断言する形で告げた。

私は不意をつかれ、その場で泣き出してしまった。

すごく、悩んでいた。
誰にも言えなくて、苦しくて苦しくて苦しかった。

私の学校は中高一貫校で高校受験がなかったため、進路という壁に初めてぶつかっていた。(中学は「文化祭が楽しそう」という、何とも純粋無垢で単純な志望動機だったため)

また、周りに医師や看護師、弁護士や教師、何かになりたいと将来を決めている子がたくさんいた事もあり、周りと比較して私だけが夢を見つけられず、進路に悩んでいる事にも劣等感を抱いていた。

親も自分の好きな事を仕事にしたタイプの人たちで、私にも「あんたの好きな道に進めば良い」と言ってくれていた。

好きな事はいっぱいあったけど、将来の夢になり得ない事ばかりだったし、個性と言えるほどに秀でた才能や得意科目もなかった私には「あんたの好きな道」が分からないでいた。

誰もが夢や希望を抱く中、自分だけ取り残され、誰にも何も言えずに抱えていた悩みを、見ず知らずの占い師のおばちゃんは言い当てたのだ。

急に泣き出した私を心配して3人が駆け寄ってきてくれ、事の次第を聞いて、背中を摩ったりしてそばにいてくれた。

泣き止んだ私に占い師のおばちゃんは「大丈夫だよ」と告げた。

何が大丈夫よ…と目を向ける私におばちゃんは「12月には決まるから」と告げた。

進路に悩む学生なんてたくさんいる。
だから言い当てるのなんて当たり前だ。

でも、何で私だけ友達から離れて話した?
何で私にだけ一言目で進路の話をしたの?

それに私だけじゃなくて、他の友達の事だって正確に言い当てていた。

根拠はそれだけだった。

けど、先が見えなくて不安でいっぱいだった私が信じるには十分すぎる根拠だった。

私は占い師の告げた12月頃、という言葉に安堵したんだ。

そして、12月。
占いなんか忘れていた頃に夢を見つけるようになる。

たまたま見ていた恋愛ドラマの脇役が務める仕事の1つだった「イベント会社」の仕事に惹かれ、私はイベントを企画する仕事に憧れを抱くようになった。

調べたところ、大学や学部学科問わずだったため、当時一番好きだった地理を学ぶために地理学科を目指すようになった。

それは意図していなかったが、12月の出来事だった。

そして、大学でまた考え方を変えてくれる大人と出会い(これは綴ると長くなるのでいずれ…)、私は紆余曲折あってIT企業に務める事になった。

頭の片隅にもなかった選択肢。
でも、それは時が過ぎるにつれ天職だと感じるようになる。

電子機器は叩けば直る説を過信しているIT音痴の私にとって、IT企業なんて選択肢は微塵もなく、就活時代に声をかけてくれた女性がかっこよくてその女性みたいになりたくて入社を決意した。

もちろん、その女性だけではなく会社の掲げる企業理念やその浸透度、社員から伝わってくる柔軟な社風を見て、「ここなら!」と思えた事も大きい。

が、入社1年は修行の1年で笑、泣きそうになる事も辞めたくなる事も正直あった。

慣れるまでには、仕事が好きになるまでには3年がかかった。

でも、3年間は耐えるだけの日々ではなく、難しさの中に楽しさもあり、それを積み重ねていった結果、3年経ったくらいで気づいたら苦手より楽しさが上回って好きになったというイメージだ。

お客さんの声に耳を傾けてお客さんの状況や要望を正確に把握する事、訳の分からないマニュアルを読みながら製品の仕組みを理解してお客さんの要望を叶える仕組みを探し出す事、実際に製品を操作しながら想定通りに動くことを確認する事、どれもカチッとはまる瞬間は最高に気持ちが良い。

分かる事の喜び、というのが私自身の楽しみであり、誰かにに届けたい事だと確信した。

そう言えば、亡き母も「あんたは馬鹿だから、人にものを教えるのは向いていると思う」って言ってたもんなー笑。(なんちゅう母親やねん、というつっこみは置いておいて)

IT知識以外にも伝えたい事はたくさんある。
それは、悩んでぶつかった私だからできる事。

この度、色ーーーーーんな事があり、母校の生徒向けにOB・OG講話の企画を提案したところ、学校側が承諾してくださり、中学3年生向けに実施する事が決定した。

(*’ω’ノノ゙☆パチパチ

嬉しすぎる。

自分が学生時代にぶつかって悩んでいた事、乗り越えたからこそできる話を、今を悩む学生たちにたくさん伝えてあげたい。

私が学生時代に聞きたかった話を、届けたい。

悩むのはあなただけじゃないよ。
探し求めれば必ず出会えるよ。
あなたたちはまだ何にでもなれるんだよ。

そう、伝えてあげたいと思う。

今じゃなくてもいつかでも、誰か一人でも、その心を救う言葉を残せるよう、私の精一杯でぶつかっていきたい。

また、今年だけで終わりにせず、来年も再来年もずっと開催する定番企画となるよう、未来の悩める学生たちのためにも奔走できたらと思う。

だからこそ、貴重な1回目、張り切って臨んでいきたい!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
もし読んでくださった方で、母校にそういうのがないな〜という方、ぜひあなたが第一人者になってあげてほしいです。
今はオンラインでもできるでしょうし、学生さんは絶対必要としています。(過去の私が保証します笑)
学生たちに将来を考える時間と、悩む心を救う時間を、乗り越えたからこそ語れる大人が届けていくのが当たり前になる事を願って、生意気にもお願いさせていただきました。