バベルの塔から考えるコミュニケーション
おはようございます!
オンラインコーヒーショップ、オンライン日本語教師、学校ボランティアをしているATSUSHIです!
今日は、"バベルの塔"を調べて感じたことについてnoteします!
言語を勉強しているところですが、そもそも、なぜ世界にこんなに違う言語があるのか気になり、調べてみました。
バベルの塔にたどり着いたので、今回はそれについて書きます。
世界の言語
まずは世界の言語について。
世界では現在7,139種類の言語が使用されています。
1位 英語 13.48億人
2位 北京語(中国語) 11.2億人
3位 ヒンディー語(インド系) 6億人
4位 スペイン語 5.42億人
5位 アラビア語 2.74億人
だそうです。日本語は13位。人口は1.36億人、とありましたので、ほぼ日本人ですね。
他国の人の使用はとても少ない言語ですが、オンラインで日本語のレッスンを受けていただく方は、本当に日本語や日本の文化に親しみを持たれているので、それだけで嬉しくなります。
では、ここからバベルの塔について。
バベルの塔とは
ピーテル・ブリューゲル (Pieter Bruegel) The Tower of Babel (1563)
『旧約聖書』「創世記」に記されたれんが造りの高い塔。物語によれば、人類はノアの大洪水ののち、シナル(バビロニア)の地にれんがをもって町と塔を建て、その頂を天にまで届かせようとした。神はこれをみて、それまで一つであった人類の言語を乱し、人間が互いに意志疎通できないようにしたという。ーコトバンクより
聖書の中に出てきます。
傲慢な人間、文明への批判として描かれた
バベルの塔のストーリー。
神の指示を聞かなくなった人間たちが力を合わせて1つの塔を作り、神を越えようとします。
それを知った神は1つだった言語をいろんな種類に分け、人どうしがわかり合えなくしました。
その結果、塔は完成せず、人々は各地に散り、それぞれの地域で暮らした。
そのようなストーリーです。
言語に支配され、理解しあえない人間
その後、人間はあらゆる場所で違う言語を使い、生活するようになります。
そして、言葉が違うことで、さまざまな弊害や誤解がうまれ、戦争や事件につながっていることも多いと思います。
それは今の時代も続いていますね。悲しいことですが、まだ、そう簡単にはなくならないように感じます。
映画"BABEL"も言語にまつわる悲しいストーリー
この映画もまさにそれを表現していると思います。
ぜひ1度観てみてください。
言語が同じでも理解できない人間
一方で、言語が同じなら分かり合えるのか。
そうではなく、同じでも分かり合えないことも多いと思います。
私たち日本人はこちらの方が身近に感じるでしょうか。同じ日本人であっても、分かり合えない経験もありますよね。
むしろ、同じ言語だからこそ、わかりあえないことにストレスを感じることも多いと思います。なんでこれが理解できないの?とか、思ったことありませんか?私はあります。
でも、もともと言語が違えば、わからないことが前提になるので、状況が変わります。
反対に理解しよう!とかどうやって伝えよう?とか、伝えること、伝わること、理解することに集中していませんか?
コミュニケーションの本質は、理解しようとする姿勢
結局、極端に言うと、言葉は関係なく、理解しようとすることが大切、必要なのではないかと思います。
コミュニケーション(communication)の語源は、
ラテン語のコミュニス(communis)ー共通したもの
コモン(common )ー共有物
と言われます。
感情や思い、考えを、反発させるのではなく、共有することで、コミュニケーションが成立するんだなと思いました。
コミュニケーションを考える機会になるもの
みなさんはどう思われたでしょうか。
はい、というわけで、今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
ではまた!
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