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科学に絶望した日

子どもの頃って 今は当たり前に感じる概念を理解していなかったなと思います。
今日は3つ、歴史 世界 原子の順で話します。


小2まで歴史という概念が理解できなかった。
昔話は沢山読み聞かしてもらって、過去や昔、昨日という概念はあった。けど、今と同じように人間が生活している文化があったことを理解していなかった。だから、平安時代とか鎌倉時代にも文化や政治があることを想像できなかった。織田信長という人物が、過去の人間だとは分かっていたものの、過去の概念は途中で途切れていて、どの次元の出生か分からなかった。自分の中では二十世紀とそれ以前の時代が連続していると考えられなかったみたい。ほんとに不思議だった。昨日の存在は分かっても、それがいくつも積み重なった1000年前とかは全く理解できなかったみたいだし。多分 化石とか遺跡もただワクワクするだけで時間の積み重ねを意識していたわけではなかったのだと思う。

もう一つ理解出来なかったのは、世界っていう概念。日本という国があるのは知ってたけど、他の国と境目があることを知らなかった。日本人が黄色っぽい肌の人しかいないことも知ってたけど、それがそのまま国の隔たりと関係してることを知らなかった。地球が全て日本だと思ってたらしい。これを意識した一瞬を何故か覚えてる。音楽の教科書で日本の国歌がある3ページ後ろくらいに、瓦礫で苦しそうにしてるアフリカかどっかの子供の写真が載ってたのを見たときのことです。そういう大変な人がこの世にいるんだよ!っていう内容だったはずなのに、こういう大変な状況な人がいる場所が日本にあって、どうにかしなきゃいけないんだと曲解したらしい。そういう一瞬の勘違いで、それまで正常だったかもしれない概念が覆される危険性はあると後々思ったし、そんな程度で覆るくらい曖昧な認識しか持ち合わせていなかったようです。中東の内紛を自国の出来事だと勘違いしたのは、世界と日本の境界とか概念が無さすぎるなーと。アメリカとか中国っていう名前は知ってたのに勘違いしたってことは、今思えば大阪とか北海道と同じノリで海外の街の名前を認識してたのかな。

あとこのタイトルにもした科学に絶望したっていうのも最後に書いときます。
これはこの世の物質が全て原子でできていると知ったときのことです。おそらく小6とかそれより後だったかもしれない。空気や車とか椅子とか色んなモノが、水素だとか酸素、鉄の原子によって作られた超細かい粒の集合体だということはなんとなく理解していた。これは生命を持たないものが、そういう粒の集合体でできてると思ってた。しかし 学んでいくうちに、人体も粒の集合体ってことに気付いて絶望した。これまで机とか椅子とかの物体は、所詮 粒の集合体だから、自ら動けないんだな〜と思ってたのに、自分自身も水素と炭素とかの集合体に過ぎないってことに気付いた。ほんとに絶望した。この人体も顕微鏡を通せば、ただの原子の集合体に過ぎなくて、考えたり文章を書いたりする心の動きは、一体どこからやってきているのか、粒が集まっただけの人体で何故 意志を持てるのか、本当に不思議だった。それに加えて、今まで2H2+O2=2H2Oみたいな化学式で実験してたのが、自分の身体でもできてしまうっていうのも怖かった。実験で扱う物質と自分自身に差異がないし。神経、ホルモン、細胞も超極小の有機体として捉えてるけど、結局は原子の塊にすぎないのも怖かったなーと。そのうち植物も原子の塊って知って、構成要素では人間も植物も大差ないのかとか考えて、今まで人体を特別視しすぎていたと思い知らされた。ハガレンの序盤に、人間の錬成に必要な物質を集めてるけど、ほんとに物質的には差異がないのに何故人間は意思があるのか、全く同じ疑問を抱いてたなーという話でした。

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