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同じ道でも

とある懇親会で意気投合しちゃった方から
朝ランニングの会のお誘いがあった。

学生の頃
陸上部だったわたしは(ってゆうても短距離)
久しぶりに走ってみようかな〜
楽しそうやな〜
体動かしたいし
汗かきたいし
ってゆう好奇心だけで
参加させてもらってきた。
ありがとうございます^^


すっごく
ツラっとも感じたけど
気持ちいいとも感じた。


今回の距離は5キロ!
走るなんてもう何年ぶりかな?って
ゆうぐらいぶり。


短距離だったわたしは
5キロがどんなものなのかわからず
だけど、一緒に参加してた方々が
無理はせず!と声をかけて下さったので
やってみようと、みんなと一緒に走りはじめた。


結果わたしは
途中で
今日はもうこれ以上前に進むのが無理だ!
と自分で判断して
途中でUターンして戻っていったのね。

走ってる中で
気づいたことがある。

自分のペースとリズムを
大切にしてあげれるようになったんだなぁって。


わたしはものすごく負けず嫌いだった
(そんな自分もまる)
そして、自分の声より他人の声を聴いて
目の前の選択をすることが多かった。
だけど
今回このランニングに参加させてもらうことで
自分がものすごく変わったんだと
気づかせてもらった^^

私よりすごい人なんて
あたりまえやけどいっぱいいる。
自分が目立つことより
みんなひとりひとりが
輝いて活躍してくれる姿を尊重できるようになったこと。
あんなに負けず嫌いだった自分は
どこへ行ったのだろう?ってぐらい
人と比べることがなくなった。

負けず嫌いとゆうものを
自分がもってることで
それが、原動力になったりするのなら
いいと思う。
だけど
私は凄くその負けず嫌いとゆうものを
自分がもってることで
なんだかいつも苦しくて
生きにくかったから
気づいて
少しずつ少しずつ手放してきた^^

だから
誰かより私とかそんな感情になることが減って
すごいなぁ。
もっと活躍していってほしいなぁ。
応援したいなぁ。
って純粋に思えるようになったことが
生きやすくなったことのひとつ。

あとは
ランニングしてて感じたんだけど
前の人達について行かなきゃ
根性ないって思われたくない
(誰もそんなこと思ってないし言われてもないのに。笑)
って自分の内側から発する声よりも
外側の声や目線、反応を気にして
生きがちだったけど


自分のペースでいこう。
一歩一歩進んでいこう。
誰かではなく自分と対話しながらいこう。
たまに
歩いて空見上げたり
風を感じたり
道端に咲いてる
紫陽花やマーガレットと会話したり
すれ違う人たちと挨拶しあったり。

心地よいものを心地よいままに。
時にその心地よさを越えたくなる日は
越えてみたり越えなかったり。
進んだり
止まったり
走ったり
歩いたり
自分のリズムとペースを
大切に生きていきたいんだって
改めて感じた。


同じ道でも
進み方はあたりまえだけど
人それぞれであり
自分のなかでもいろいろあるし
毎日変わったっていい。
(大切にしたい核の部分はもちつつもの話しだけどね♡)


Uターンして
戻っていったんだけど
みんなの方が先にゴールしてて
『ナイスラン!』
って拍手で迎えてくれた。



自分のペースを大切にしたら
人からどう思われるのか
人一倍気にして生きてた私だけど
むしろ
自分のペースを大切にさせてもらった方が
人からも大切に扱われるのかもしれない。
そして
ある意味それは
自分とゆうアートを
表現させてもらってることでもあって
そのアートを見て
相手がどう思うのか
こちらはコントロールできないし
そんな自分と繋がりあっていたいと思う人達だけ
自分の周りに残っていく。


それでいいし
それでよかった😌


ずいぶんと
長いプロセスをかけて
ここに辿り着いたのかもしれないけれど
やっとやっと
自分とのパートナーシップが
ずいぶんと上手になってきたのかもしれないな
なんて感じてるよ🫶


ありがとう。
体を動かすっていいね!


おはようって
ハロがこっち向いて
今日ってゆう日を祝福してたよ🌈



ハロとおはよう🌈



私も生きてる
大切な人達も生きてる
それって
めちゃくちゃワンダフルなことやんって
今朝思ったのね。
あとは、全部おまけで
おまけついてきたら
ラッキーぐらいの感覚で生きてる
今日この頃です☺️

ありがとうございます🥰