誰かひとりのために、好きなことをする

「失恋ショコラティエ」というドラマを再放送で見ています。
一言で言うと”妄想系片想い恋愛ドラマ”なんですが、
ひとつテーマがあるなと思いました。

それは、
「誰かひとりのために、好きなことをする尊さ」

主人公のショコラティエ(まつじゅん)は、長年恋心を寄せている、チョコレート好きな彼女(石原さとみ)に喜んでほしくて、彼女が笑顔になりそうな、おいしい、美しいチョコレートを切磋琢磨して作り続けています。

彼女は、結婚しているし、強引に奪うことも難しい。
でも、彼女は、頻繁に彼の作るチョコレートを買ってくれて、
「オリジナルのケーキを作ってほしい」と言ってくれる。
彼は、彼女のことを想いながら、彼女にぴったりのケーキを創作する。

何かを創造するというのは、こういうことなのかなと思います。

多くの人のために、多くの人に認められるために、
多くの人に理解してもらうために、、、たぶん、そういうことじゃない。

ただ単純に、大好きなあの人に喜んでほしい

もしかしたら、その大好きな人は、見てくれないかもしれない、認めてくれないかもしれない、
いらないって言われるかもしれない、ばっかじゃねえの、、と思われるかもしれない。
それでも、その人に届けたくて、届いてほしくて、その人を想って作り続ける何か、、、。

それはとても崇高なものだと思います。
全く誰の目にも触れられず、評価されず、終わってしまうものだとしても
とてつもなく尊くて、愛しい、、、何かを包含している。

大好きな誰かのため、、ではなくても、
自分のために、自分の魂を喜ばせるために創作するものは、本当にすばらしい。


きっと、偉大な創作というものは、多くの人のためじゃない、本人も含めた誰かのために、ピンポイント的に創られたものなのでしょう。

<余談>

主人公のショコラティエに片想いする女の子(水川あさみ)は
自分の想いに素直になれなくて、ついつい、まつじゅんにきつく当たってしまいます。
さとみちゃんやセフレ(水原希子)をディスって、まつじゅんに怒られる場面もあります。

これだけ読むと、自分の気持ちに素直になれないあさみちゃんが悪いんじゃん、と思われるでしょうけど、
実はあさみちゃんとまつじゅんは合わせ鏡なんでしょうね。
つまり、あさみちゃんは素直になれない=まつじゅんも素直になれていない。

好きな人に素直に想いを伝えられるということは、自分の気持ちに向き合うこと。
向き合わなければ、好きなのか、そうでないのか、相手とどうなりたいのかがわからない。

もし、自分の心に向き合うことができれば、他人の気持ちも、なんとなくわかると思います。

”あー、あさみちゃんが僕にきつく当たるのは、僕のことが好きだからかもしれないなあ”って。

鈍感なやつは、自分の気持ちにも鈍感





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