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“マイストーリー1”〜幼少期から管理栄養士時代のお話〜

前回の自己紹介記事をお読みいただきありがとうございます。

ギュギュっとまとめましたが、今の私になるまでは本当にいろんな事があったのです。

マイストーリー物語を少し書いてみようと思います。

『超人見知りっ子が子育てをして自分自身を見つけていく物語』


[幼少期]

私は生まれも育ちも北海道。

家族は祖父母・両親・3姉妹の長女として生まれました。

小さな時から人見知りが激しく、母から離れられなくて、いつもめそめそ泣いている女の子。

漁師町で田舎だったので、保育園から学校に行く友達はみんな一緒だったのに1日入学は泣いて泣いて大変のような子でした(^^;

小学校は複式学級(知っているかな?)同級生はずっと同じ。

中学校も一緒。

田舎のほのぼの子ども時代を想像する人も多いかもしれませんが、小さな集団だからこそ、孤独の時代を過ごしたのでした・・・。

自分の意見は言えない子。

もともと人見知りだったからなのか、環境のせいか。

でもね、このままではいられない。

誰も知らない人の中で楽しく行きたいんだーと言う意思を両親は尊重してくれて、高校は地元を離れ下宿生活をする選択をしました。

幸せな家庭に育ったけれど、心にはいつも暗い影がある15年でした。

[第2ステージ高校、短大]

高校生活は40人学級8クラスでスタートです。誰も知らない中に飛び込んだので、ドキドキ。それでも、友達もでき、吹奏楽部に入ったので毎日充実した日々を過ごしたのでした。

その後、札幌の栄養士を目指す短大に入学。

なぜ栄養士になる学校を選んだのか??

進路を決めるときに私が真っ先に考えたのは、妹が2人いるから、私立の4年生大学には行けない。そして母から小さい時から聞いていた、資格をとった方がいいよ、小学生の時に亡くなった祖母が看護師は大変だからやめた方がいいよと言う洗脳が(笑)

お金がないから4大行けないと言うのも相談もしないで自分の中で思ったこと。これだからなりたいではなく、資格が取れて、女の子らしく、私が行けるところで良さそうな学校を選んだのでした。

そして、取れる資格は取りたかったから、2年で栄養士の免許と中学校の家庭・保健の先生の免許同時取得コース。

実習実習の2年間でした。

親戚宅に居候していたので、自分の意見を言えない私はこれも辛かった時代。

真面目に勉強、実習記録などはこなして行ったので、順調に就職は決まったのでした。

[管理栄養士①透析クリニック]

最初の就職先は、札幌にある透析専門のクリニック。

短大にも透析食の授業の時に講師に来ていた60代の超ベテラン管理栄養士さんから、1から修行の日々。

料理が苦手な栄養士が、献立を作って、シフトで調理員とともに料理を作って、洗い物もしたり忙しい日々を過ごしました。仕事は主に給食管理。

ここは、素材にこだわっていたし、薄味でも美味しい料理にこだわっていたから、今でも役立っている貴重な学びをさせてもらいました。厳しくも愛ある指導。20歳の何もわからない子を育ててくれようと言う思いは十分感じていました。

もう定年だし、ここを受け継いでいくのかなと内心思っていましたが、そろそろ次のステージに行ってもいいよと言う言葉をもらったのです。

[管理栄養士②糖尿病クリニック]

そして、次に糖尿病専門クリニックで栄養指導のみのお仕事へ。

ここにも、ベテラン管理栄養士さんがいて、2人体制。

バリバリの栄養指導で、資料作りも、中身も尊敬できる方の下で栄養指導法を学ばせてもらいました。

毎日いつ来るかわからない栄養指導にビクビクしながら、栄養指導を治療の一部として大事にしてくれるドクターの期待に応えるべく、緊張感のある仕事をしていたのでした。

だいぶ慣れた頃、母から地元近くの保健センターで管理栄養士を募集しているとの話が来ました。

透析食からスタートして、透析を予防できる糖尿病へ進み、さらに糖尿病になる前から予防できる保健センターで働きたい!!って本気で思いました。

まだ働いて半年しか経っていないし、申し訳ないって気持ちも強かったけれど、

幸か不幸か、このクリニック、試用期間6ヶ月と長くて。

まだ試用期間中だ、えいっと受験したのでした。

[管理栄養士③保健センター]

そして、保健センターの管理栄養士として働き始めました。

妊婦さんの栄養の話から、離乳食講座、赤ちゃん健診、1歳半、3歳児健診の栄養指導、保育園の給食献立、家庭教育学級の講師、大人向け栄養講座、特定健診保健指導、町内会や企業からの依頼栄養講座、高齢者の食事のお話などなど、赤ちゃんから高齢者まで、そして、マンツーマン指導から50人以上の前で喋る講座も体験したのでした。

人前で話すのが苦手な私が大勢の人の前で話すのは、とっても勇気がいたけれど、そこに行くまでは大変だけれど話始めて仕舞えば、楽しく話せるのでした。

そして場数をこなして、慣れて行ったのでした。

仕事は忙しいけれど、充実していたし、実家も近いし、ここに定年まで働くと思って、

そして、30歳になる少し前に、ここに定住しますと言う獣医さんと結婚したのでした。

ここでめでたしめでたしとはまだまだ行かず。

マイストーリー1はここまで。

次回は、こんなはずでは・・・結婚生活から子育てマイストーリー2を書きます。




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