「旅に何の意味があるの?」と問われた時
この旅の中で、印象的だった質問がある。
カンクンの地元の人がよく利用するような屋台で、タコスを食べていた時だ。
宿でたまたま一緒だった日本人の男の人に質問された。
「僕は色んな旅人に会ったことがあるけど、あまり理解できない。
ただフラフラしているだけで、意味のないように思う。
観光地とかも今はyoutubeやインターネットで行った気にもなれる。
旅に何の意味があるの?」
少し違ったかもしれないが、大体こんな感じの内容だった。
私はこの質問をされた時、結構衝撃的だった。
こんな考え方の人もいるのか〜!
私の周りでは旅人仲間がうようよいたため、自分に近い感覚の人が多かったんだなと改めて思った。だからこそ、かなり新鮮な質問だったのだ。
ちなみに、私は真面目に答えた。
「やっぱり自分の目で実際に見て、体験して、全身で感じたいからかな。
自分でその国に足を運ぶことで、奥行きだったり、言葉だったり、香りだったり、感触だったりを感じることができる。
時には予想外のトラブルもあるけど、その時の恐怖の気持ちや対処する力は、映像の中では体験できない。その国の友達ができたり、様々な国の人と交流できる楽しさを知ったりすることも写真では味わうことができない。」
すると
「ふむふむ。そうなのか。」
という反応だった。
男の人が本音でどう思ったのかを知ることはかなわなかったが、その時はそれで話が終了した。
今、同じ質問をされたら私はこう答えるだろう。
「旅には確実に意味がある。
けれど、その意味を言葉で説明することは難しい。
色々な体験や感じたことを表面的な言葉でいくらでも伝えることはできるが、本当の意味を伝えることはできないのだ。
だからこそ自分で足を運ぶしかない。
その答えは誰かに尋ねるものではなくて、自分で感じるしかないのだ。」
意味というのを考えた時、今の社会のシステムが浮かぶ。
確かに会社で働いていると、最小限のコストで、最大限の利益を出す必要があり、自分の行動ひとつひとつに意味を求められる。
それは組織の仕組みであり、理解はできる。
けれど、人間の人生という視点に変わった時、その意味合いは少し変化するように思う。
意味のないことしか選ばない人生には、それこそ意味がない気がするのだ。
というよりも単純に意味ばかり求める人生は、色褪せてしまうように思う。
無意味に思えるような道草から、気づけたり学べることってたくさんあるのだから。
もちろんどっちが正解、不正解とか、いい、悪いではなくてね。
色々な考え方の人がいていいのだ。
それが世界だから。
私は子どもたちに
自分がやりたいと思ったことはトライしてみなよ。
意味なんて考えずに!
と伝えられる大人でいたいと思う。
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