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『ハウ・トゥ アート・シンキング』を読んだら、アート作品が分からない自分が肯定された。

2019年、一番読むのを楽しみにしていた本がありました。それが ↓

友人のアート研究家・起業家、若宮和男氏の新刊です。

僕は前から自分の記事でも「周りがアートアート言い出したけど、全く分からない」ということを言っていたのですが、絵画や彫刻などの、いわゆる芸術作品を見ても、やっぱり何がいいとか悪いとかよく分からないし、さらに、それをビジネスに活かすためにアート・シンキングをしよう、みたいに世の中で言われ始めたのが本当によく理解できませんでした。

だから、出身地も同じ東北で、大学(学部も)が一緒の和男氏がこの本を書いていると知ったときからすごく楽しみにしていて、しかも発売日に、ご本人にお会いしてこの本についておしゃべりさせて頂くことができました。

で、ここから感想文を書こうと思うのですが、内容の説明はしません。本自体がアート体験として仕立てられている紙の本を各自、手に取って読んで頂くとして。。

僕は本の発売日である12/20に、その日予定していた仕事を翌週にぶん投げて、本を一周半くらい読んで、和男氏に会いに行ったわけです。

その時点で、この本によって、アート・シンキングなるものに対する考え方はだいぶ整理されていました。自分は、ときどき耳にする「アート・シンキングをビジネスに活かそう」という言い方にすごく違和感があったのだと気付くことができました。

和男氏に会って、本の感想を半ば興奮して一方的に伝えると、彼はアート・シンキングについて、「肩こりが取れるようなもの」と言いました。その表現によって視界がパッと開けたような感覚になりました。

この本の2番目に、
13.アートは身体的? 異質性を活かす「身体」の思考
という章が出てきます。個人的にはここの話が一番よかったので皆に読んでもらいたいです。

僕も含めて、考えすぎな人は、気づけばなんでも理屈で説明しようと頭で考えて、身体のほとんどの部分を無視して、そうやって活動している自分を外から見ることもできないから、頭が重くなり、それを細い首で一生懸命ささえて、緊張しながら手を動かして資料を作り、その偏りで肩が凝っていきます。それが、何かによって自然と心がウキウキして体はピョンピョンした、という感情に従って生きていくことができると、肩こりが取れていくのではないかと。(心と体、というものも、分かれていない一つのものなのではないだろうか。)

僕が大好きなガチャガチャ(カプセルトイ)の商品で、「サメフライ」というものがありまして、

6年前くらいに買った時から大切に持っています。ジンベエザメなどの巨大魚を揚げたという世界観のストラップなのですが、実際に売れ行きも良かった商品です。これがなぜ売れたのか、説明しろと言われると、後付けでは何だって言えるのですが、これはアートの一つだよな、と気づきました。(というか、自分が仕事にしているガチャガチャには、アート的なものが多かったということも初めて気が付きました。)

買い物がそんなに好きじゃなく、断捨離が好きで、モノをあまり持たない僕が、6年も捨てられずに愛で続けている「サメフライ」。

これを欲しているのは、「思考」ではない気がします。

これは売れた商品の話とは言え、たかだかガチャガチャの1商品、この一点が大きな商売になっているわけではありません。でもこの商品は、確かに、僕に喜びの気持ちを与えてくれました。

美意識や審美眼というものは、あった方がいいと思うけど、「美」というものを誰かの物差しだけで測るのではなくて、いろいろなものに触れながら、一人一人の美(美学)ができていくのが良い。そのためには、自分一人で自分の内面を見つめようとするよりも、外のものに触れながら、自分を彫って形どっていくのがいい。

この本を読んだ今では、アート・シンキングという言葉自体が、不自然な気すらしていて、「アートを、シンキングするなよ」という気持ちかなあ。だけど、すごく便利な言葉で、アート・シンキングという言葉を指針に生きていると、肩こりが取れていくのかもしれません。

先日、とある美術大学に講師として呼んで頂いた際に、教授の先生に、「アート・シンキングって、何なんですか?」と聞いたら、「流行り、です。」と仰っていました。なるほど、この言葉に頼りたくなる時代なのかもしれないですね、という話をしました。

アート・シンキングという言葉が存在し認められるのなら、それは商売文脈でとらえるものではなく、自分が楽しく幸せに生きるために活用するものなんだな、と思います。この本は、それを教えてくれる本でした。自分を分かって、自分が幸せになる生き方を分かっていくための考え方を教えてくれる本です。そういう意味では、アート・シンキングは仕事に役立つと言えるのかもしれません。自分が、不幸せだと感じながら、人に幸せを与える仕事を作るのには、無理があるからです。売れるものをスマートに生み出すテクニックの話ではありません。

一人一人が自分起点で作ったものごとが、他の人にも大きな価値を与えていく時代であることは間違いありません。でも、アート・シンキングと並べて、デザイン・シンキングや、ロジカル・シンキングも当然必要で、アート・シンキングはバランスをとるためのものだと捉えるのがいいでしょう。物事はみな表裏一体であるということを分かることは、これからの時代の「幸せ」のキーワードなのではないでしょうか。

自著『企画のメモ技』でも伝えたかった、「アイデアとは、仕事の資料を頭よさげにまとめるためのものじゃなくて、俺得・私得なものごとを生み出すためのもの」ということと、同じですよと言ってもらえたような気がして、アートをよく分からない自分が肯定されたと思えました。

僕はこれからも、絵や彫刻などの「ザ・アート作品」のことはなかなか分からないでしょう。たぶん一生そうなんだろうという気がします。でも、この世の全ては、誰かが生み出し、自分が意味合いを見出したアート。そんな世界の中で、自分が好きなものから喜びや楽しみをもらいながら、自分を見失わないようにバランスをとって人生を幸せに送っていけたらいいなと思います。

過去にはこんな記事を書いていました・・ ↓


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