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25年間関係がこじれていた両親と完全に仲直りした。その、たった一つのきっかけの話。

人生でたった一つの大きなコンプレックスがありました。
大学の頃以来、父母と仲良くできませんでした。

以前、以下のようなnote記事を書いたことがあります。遠隔でスマホを鳴かせて、「今そっちのこと考えるよ。最近どう?」ってのを伝える鳩時計玩具です。今読み飛ばしてもいいので、よかったら後ででも読んでみて下さい。

親とこじれた原因は、小さい頃から大人になるまで、やることなすこと全部否定され、怒られてきたと、僕が感じていたことです。
それは子育ての中での心配からだったと思うし、たくさんの恩があることも考えればわかるのですが、怒りと悲しみの感情が消えず、どうしても歩み寄ることができませんでした。仕事で成功したり結婚して新しい家族ができたりと、幸せなことがたくさん起こっても、親と仲良くできない自分をずっと否定して生きてきました。外面 そとづらよく生きていても、陰では何百回も怒ったり泣いたりしてきた25年間でした。

それが、たった一つの出来事をきっかけに完全に仲直りしました。今、僕の中には両親への愛おしさしかありません。なぜあれほど長い年月、怒って悲しんで、苦しんできたのかが分からないくらいです。
もちろん幸せな気持ちではあるものの、あまりの驚きに拍子抜けしたような気持ちが入り混じっています。

これは、僕の人生の中でとても大きな出来事だったので、何が起きたかを書いておきたいと思います。

少し前、あるテレビ番組の取材を受けていました。頑張っている仕事人を紹介するような感じの番組です。

最近のことだけでなく、おもちゃ開発者になってから約18年で作ってきた商品について、一つ一つ詳しく聞かれたりしていました。前に勤めていた会社に相談したり、いろいろな人に協力をお願いしたりしながら撮影を進めていました。

その中で、前述のスマホ鳩時計OQTAの話になり、必然的に親との関係の話をしていたところ、番組制作の担当の方から、「親御さんにインタビューしたいから、Zoomで話させてもらえないか」と言われました。ものすごく戸惑いましたが、ありがたいテレビ番組の話だし、なんとか親に頼んで調整をすることになりました。

まず、電話して経緯を話すと、だいぶ緊張して嫌がっているようでした。でも今回は完全に僕からのお願いなので、丁寧に話していき、協力してもらえることになりました。

秋田に住んでいる70歳前後の両親には、コロナ禍で実家に帰れなくなったことをきっかけに、孫(僕の娘たち)と話せるように設定したSkypeを入れたノートPCを送っており、Wi-Fiも鳩時計を設置するときにつないであったので、Skype通話はできました。

しかし、テレビ番組のスタッフの方からはZoomを指定されており、Zoomを使える状態にすることが必要でした。親はZoomなど聞いたこともありません。

ミッションとしては、まず父親に電話でGmailのことを教え、Gmailを登録させ、そこにZoomのリンクを送ってクリックしてもらう、ということになります。これが想像以上に大変でした。ほぼ何も分からない状態で、Gmailを使えるようにし、Zoomが立ち上がるようにする。その一部始終はすれ違いコントのようなものでした。

ようやく、僕が立ち上げて待っていたZoomに父親が入ってきて、顔が映ったときには感動すら覚えました。僕は「おお~!」と声を出してしまいました。父親も笑っていました。

そうしてZoomがつながった後、父が母に「おめえもしゃべれ!」と言いました。PCから離れたところにいた母は「なんもねえ!」などと叫んでいましたが、促されて画面の前に現れました。その顔がものすごく元気がないように見えました。

「何か、雪すごいみたいだけど、大丈夫?」と、自然に言葉が出ました。

すると母が、「コロナで死ぬかもしんねえ」と言い出しました。聞くと、ここ数か月の感染拡大で秋田県も感染者数が多くなり、いつ自分がかかって死んでしまうかが心配で、外出もできない状態であるとのことでした。

僕はその姿を見て、なんとか「そこまで心配しなくても大丈夫だ」ということを伝えたいと思い、いろいろなことを話しました。マスクをしていれば大丈夫だ、とか、そんなに心配しなくてもいいらしい、とか、本当か分からないけど思いついたことを一生懸命言いました。

そのうちに話は変わり、「今使っているauのガラケーが3月で使えなくなるらしいんだけど、どうしていいかわからないし、とにかくコロナで外出できないんだからケータイが使えなくなる。」と言い出しました。とても悲しそうでした。

そこで僕は、「ちょっと調べて連絡する」と言って、その日は通話を切り、翌日auショップに行って、「親がこういう状況らしいんですが、どういうプランだったら安くて高齢者でも使いやすいですか?」という話を聞いてきました。そして再度母親とビデオ通話をして、「とにかく大丈夫だから、父親と秋田のauショップに行ってこう伝えろ」と言うことを教えました。

母親は話しているうちに少しずつ元気になってきたようで、父や妹夫婦や親戚の話をし始めました。相変わらず毒舌でした。いろいろな人への辛口をまくしたてるうちに母親の表情はどんどん明るくなっていきました。

そうこうしているうちにテレビの取材が打ち切られました。

僕を取材しているうちにまあ何というか「取材するほどのやつじゃない」みたいなことになって企画中止になったようでした。

驚くほどあっさり連絡が来なくなり、当然、親へのインタビューもなくなりました。

で、その報告を親に連絡し、気を遣わせて申し訳なかったという話をしたら、「そんなことより、スマホの機種は何にすればいいんだ。私は、らくらくスマホみたいなやつは格好悪くて嫌だ。」という話や、「auにはUQモバイルという安い奴もあるらしいけどどうしたらいいんだ」という話を聞かれ、引き続き親のスマホ相談に乗ることになりました。父親は、「誕生日にクラシックのCDが欲しい」などと言い出しました。

それから数日後、僕のスマホに父親からの着信がありました。かけ直すとちょっとした用事でした。着信があったことを妻に話すと、「あ、私の方にかけてきて、出なかったからそっちにかけたのかも」と言い、見てみると妻の方に着信はありませんでした。直接僕にかけたようでした。

僕が結婚してから10年、親から連絡があるときはずっと妻の番号に電話がかかってきていました。それが、僕の番号にかかってきたということは、明らかに向こうも、思うところがあったはずで。妻は「やったじゃん!」と言いました。僕も素直に「うん!」と声を上げました。


この話は、以上の出来事を書いたところで終わりにしようと思います。
この話について「なぜ25年もケンカしていたのに一発で仲直りしたのか」という理由の分析をしようとすれば、いろいろ解説できるかもしれません。でも僕はこの話を、深く考えたり言語化したりしないで、宝物のようにときどき思い出しながら秋田にいる親と仲良くしていきたいと思います。


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