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おもちゃは、Toyであり、問いである。 ~全業種の人がトイクリエーターになる方法~


おもちゃは英語でToy。語源はわかりませんが、Toyと「問い」という言葉が一緒であることに、道路を逆さにしたらRoadになることや、「カレーは辛え」というダジャレが成立することと同じくらいの奇跡を感じます。

その通り、Toyとはユーザーに新しい「問い」を提供するものです。人がおもちゃを求めるときは、無意識に「知りたい」「わかりたい」「できるようになりたい」というような感情によって動き、問いを解いて遊んでいます。

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赤ちゃんが生まれて最初に与えられるおもちゃは、ぬいぐるみだったり、ガラガラだったり、口に入れるものだったりします。生まれたばかりで何もわからない赤ちゃんは、それらに触れて、「この感触は何だろう」「この音は何だろう」「この味は何だろう」という問いを与えられます。

少し大きくなると、積み木やブロックで遊びます。「どうすればくずれるんだろう」「どうすればくっつくんだろう」「この形は何に似てるんだろう」という問いと無意識に向き合い、楽しさを感じて遊び続けます。

さらに大きくなると、けん玉をやって「どうすれば技を決められるだろう」と考え練習したり、オセロをやって「どうすれば勝てるんだろう」と考え試行錯誤したりします。

たまごっちなら「どんな子に育つのかな」、ガンプラなら「もしこのモビルスーツがいたらどう戦うかな」、ミニ4駆なら「どう改造したらレースで勝てるかな」などという想像力を働かせます。これらはすべて、子供が知らず知らずのうちにToyから投げかけられている問いです。

子供も大人も、遊んでいるときに楽しいと思っているときはすべて、頭の中で問いをこねくり回しています。問いを解こうとしていることもあれば、ただ問いに翻弄されていることが気持ちいい場合もあります。

遊びたくなるおもちゃやゲームとは、自分にとってちょうどいい問いを発信してくれているもののことです。

おもちゃや遊び事業を開発するときも、「この商品は使ってくれる人にどんな問いを発信するか」を考えます。必需品は答えを提供しますが、不必需品、つまりおもちゃは問いを提供しています。


自分が開発に携わった商品で言うと、
「∞プチプチ」は「一体どんな感触なんだろう」という問い。
「simpei」は「どんなルールでどうやったら勝てるんだろう」という問い。
「Human Player」は「自分や知人はどんな性格なんだろう」という問い。

「OQTA」は「実家の鳩時計を遠隔で鳴らしたら親はいつどんなふうに喜ぶんだろう」という問い。
「アンガーマネジメントゲーム」は「自分や友人は何にイライラするんだろう」という問い。
「気泡わり専用アラビックヤマト」は「気泡を真っ二つに割るってどういう体験なんだろう」という問い。
「MouMa」は、「あったら嬉しいと思う妄想商品って何だろう」という問い。

おもちゃなどの不必需品を購入する人は、そのモノ自体を欲するのと同時に、無意識にその問いを欲して、お金を払っています。


仕事でもライフワークでも、おもちゃや遊びを作りたい人は、問いを作らなければなりません。とはいえ急に問いを考えろと言われても、難しいですよね。

僕が普段やっている問い(Toy)のつくり方は、自分が人生で取り組みたい問いに気がついて、その問いを他の人々と共有する媒体(おもちゃ)を作ることです。ちょっと説明が難しいでしょうか。つまり、まずは自分と無関係な問いではなく、解いたら自分の人生が幸せになるであろう個人的問いに気づいて、その問いをメッセージとして発信するモノを作ります。よけい難しいですかね…

一個人が興味を持てる問いはそんなに多くありませんが、自分のこれまでの人生を振り返ってみると、自分がどんな問いを楽しんでいる時間が多かったのかに気が付くかもしれません。興味とか、悩みとか、何を考えている時間が多かったのか。

僕はなぜか幼少期から感触フェチで、手触りが気に入ったものを、勉強中も、一人で寂しいときも、ずっと何年も触り続けていました。右手親指のタコは32年間触り続けています。今でも僕の中には、「指で触ったら世界一気持ちいいものは何か」という問いがあります。だから、何年もしつこくいろいろなFidget(∞プチプチ、ハンドスピナー、スクイーズマスコットなど、感触を楽しむ玩具)を作りづづけています。自分が「どんな感触なんだろう」と考えた問いを、そのまま、まだ触れたことのない人たちに届けているのです。これが基本的なおもちゃのつくり方です。

アナログゲーム開発でも、「どうすればイライラが減るんだろう」「仮想通貨の売買って何だろう」「自分の適職って何だろう」「小学生が起業するとしたらどうするだろう」など、自分が興味を持った問いを、そのまま体験ゲームにして、お客さんに届けています。Toyは、開発者とユーザーの「問いの共有」です。

最近は上の2つの人生の問いが結びついて、「手で動かすときに快感のあるカードの動かし方って何だろう」という問いをいつも考えながらカードゲームを作るようにしています。例えば紙を動かしているだけなのに、疑似感触で、魔法を放っているように感じる動作って何だろう、とか。

普段の生活の中でよく考えて遊んでいる問いは、「不幸せって何だろう」です。不幸せとはどういう状態かを考えるほど、今がいかに幸せかが分かって心がラクになります。この問いに向き合って遊んでもらえるように、「不幸せ」を可視化し向き合うような音声ぬいぐるみやデジタルゲーム、オブジェ的なフィギュアなどをいつも考えています。不幸せとは何か、というメッセージが、癒しになると実感しているからです。この話は多くの人にとって分かりづらいかもしれませんが、Toyに落とし込む問いとしては面白いなあと思いながらニヤニヤしています。(こうしてまた人に「わかりにくいもの、好きだね~」と言われるToyを生み出してしまうのでした…)

おもちゃ開発者は、個人の人生観から自分自身が興味を持つことのできる問いをToyにすることしかできないのかもしれません。逆に言えば、人生の問いを発見できれば、おもちゃや遊びをいくらでも作ることができます。

僕はおもちゃクリエーターと名乗っていながら、作っているものの7割くらいは、「感触で遊ぶToy」と「何かに気づくゲームToy」です。興味のない問いもたくさんあって、興味のないToyは作れません。

また、自分は企画アイデアを作る講座をよく実施させて頂いていますが、アイデアの考え方よりも、問いのつくり方に重点をおきます。僕の人生で言えば「どんな感触?」「何に気づくゲーム?」という、自分が解いていたい問いを発見するだけで、アイデアは勝手に見つかり続けるからです。

数学の世界で「フェルマーの最終定理」という超難問がありました。これが数百年を超えて証明されました。これが解かれたことは歴史上ものすごいことのはずです。問いを出したフェルマーという名前をうっすら聞いたことがある人は多いのに、証明されたことや、誰が証明したかなどは記憶に薄い人が多いと思います。問いは、多くの人の人生を楽しませ(あるいはボロボロにさせ…)、人類をアップデートします。これが、Toy、おもちゃに与えられた役割だと思います。だからおもちゃはこの世から無くならないのです。

「魚を与えるより魚の釣り方を教える方が親切」という言葉がありますが、もしかしたら現代では、魚が必需品であり、誰かがサービスしてくれる魚の釣り方はやっぱり不必需品で、新規事業やイノベーションというものは面倒ごとを解決する必需品の開発だ、と捉えられることが多いかもしれません。でも魚釣りは人を成長させます。そして、どうすれば魚が釣れるか試行錯誤する魚釣りは「遊び」、つまりToyであり問いなのです。この世に必需品しかなくなると人類は滅びるでしょう。遊びは、必需品と相互補完し合い、世界を成立させている重要なものです。そして、必需品の中にも遊びの要素を入れられたらいい。全業種の仕事人が、答えであるプロダクトだけでなく、「問いプロダクト」を作れるような社会にしたいです。

なんかぐるぐるした話になってしまいましたが、一緒に仕事したり遊んだりしながら、人の世をちょっと面白くできる「トイクリエーター」の仲間が、全業種から集まって増えたらいいなあと願ってます!

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