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息の長い親孝行の道を探る

 昨日で録画しておいたNHKドラマの「お別れホスピタル」全4回を視聴し終えました。

 原作は漫画のようですが、ドラマとしては非常に重いテーマを取り扱いながら、名優揃いで個性豊かな患者を演じ、医師を演じた松山ケンイチも、不器用で偏食の役柄は彼にピッタリだと思いました。

 こういう作品をつくれるのは、NHKならではでしょうか。ドラマの中で、元気だった人が決まって落ちていくように衰え、最後は死を迎える。この療養病棟に入った時点で、周囲の患者の死にゆく姿を目の当たりにして、自分の運命もひしひしと感じるようになり、死の恐怖におびえながら、それに最初は抗い、人それぞれのかたちで受容していく、自分が死の岩頭に立ったとき、どういった心境になるのだろうと考えさせられました。

 お金も健康も生き甲斐も人間関係も、生きていく上では大事で、できれば恵まれた環境の中で過ごしていきたい、そう願い、ある程度、満たされた中で生活していても、死は理不尽に人生の幕引きを図ってくる。

 人生で手に入れたものは、最後はすべて手放して去らなければならない、究極の喪失感が待っていても、そこまでにきれいさっぱりと使い尽くして全うするということは難しいし、そもそも、いつまでも生きていたいという執着はなくならないのですから、人生ののりしろを残しつつ、最後は旅立つことになるのでしょう。

 昨日は母のところにも行ってきました。

 母はこのところ、決まって春の嵐の様相で、電話をかければいきなり切られてしまい、決まってこなくていいという返事、でも行かないと状況は悪化するのは分かっているので、とにかくいろいろ買い込んで向かう。

 最初は荒れているけど、話をするうちに落ち着いてきて、昔ばなしなどすると、楽しそうにそのころの思い出を語る、2時間あれば、とりあえず落ち着くので、そこで帰る、そんな感じです。

 気持ちは孤独感で荒みがちで、そういう時は仮想敵をいろいろ考えて、恨み憎しみの思いが煮えたぎってますが、日常生活は送ることができているようであり、青い鳥が手に入らないことで、現状の生活の全否定から入り、否定することで自分の心の安定を保っている。
 
 エネルギーの向けどころがないのが母の精神的なコンディションを悪くしているのはわかりますが、どこかにそれを向ける気もないので、ぐるぐる回っていて、訪れるとそれを吐き出せて、少し楽にしてあげるぐらいしかありません。

 とはいえ、親がこうして曲がりなりにも元気であり、少しぐらい手間がかかるぐらいの方が、結果的に親孝行にもつながります。

 親孝行というのは、贅沢な消費財のようなもので、賞味期限が限られていて、いろんな条件が揃っていないと、絵にかいた親孝行というのはなかなかできないものです。

 でも、親孝行なんて、人に見せるわけでもないし、今は、子どもである自分が、できる範囲で寄り添う、そこには小道具とかも必要ない、そんな局面にあるように思います。
 いつまでも続くと思うと、少し重荷に感じることもありますが、適度な距離感に慣れてしまえば、むしろ少し甘えるぐらいで、疎でも密でもない関係を維持する、晩年の親子の形というのは、いろんな虚飾がそぎ落とされた中に、真の味わいはあり、今はなるべく、母が穏やかな時間を多く持てるよう、無理ない範囲で、母との時間の共有をしていく中で、自分の落ち着きどころも見出していき、息の長い親孝行ができればと思っています。

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