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ゆるボッチ感を追体験

 昨日は下の子どもの小学校の卒業式でした。

 中学校に比べると、小学校の方が規模も小さく、来賓の祝辞も短く、クラスルームでの担任の先生の話を長く聞くことができました。

 この先生も教職現場に立ち続けることに対し熱い思いがあり、先生なりにいろいろ工夫して、学びに興味を持ってもらいたい、という思いは、日ごろの学習指導からも、保護者として感じ取ることができて、子どもも、先生のことは信頼していたようなので、よかったと思います。

 卒業式後のクラスルームでの、自分の子どもの動きを見ていましたが、何となく特定の仲良しというのはおらず、あちこちの集まりに後ろからついていく感じで、言ってみれば、ゆるボッチなんですよね。

 最後に友だちとの写真も一緒に映しましたが、その友達にとっては、多くの友達の一人に過ぎず、撮影が終わるとすぐに別な友達と話をしていました。

 このへんのゆるボッチ感は、あまり親にも触れてほしくなかったようで、帰りは不機嫌でした。うちの妻は、あまりその辺を感じなかったようですが、僕は小学生とか中学の前半ぐらいまでは、ゆるボッチだったので、すごくよくわかりました。

 僕の場合は、小学生のうちは、途中転校したこともあって、卒業時はカーストの下位におり、中学に入り、カーストの下位の集まりが大きかったことから、ある程度の勢力の中に一緒にいましたが、何となく人の顔色を窺いながら、仲間外れにされないように気を使っており、そのへんをある友達に見透かされ、ショックを受けたことがありました。

 結局、自分のクラスにおける立ち位置が、明確でなかったんですよね。だから、常に居心地の悪さを感じつつ、あちこち動いていて、友人関係がうまくできない感じ。当時は見た目のコンプレックスもあり(今から振り返るとどうでもいいことでしたが)、内向的で、灰色の学生生活でした。

 立ち位置が安定したのは、中学2年になり次第に成績が上位に移行していったからで、クラスの中で勉強が得意となれば、上位カーストも相応な対応をするようになり、3年になって学年でも上位に入れば、そのクラスの友人ができて、あとは生徒会活動とかも担うことで、何となく居場所を確立した感じです。

 ただ、灰色の学生生活は、高校まで続きましたね。コンプレックスみたいなものがなくなったのは、大学の後半、完全脱却は、社会人になって数年が経ってからでしょうか。

 最終的に、自分に自信をつけるのは、他者による承認、使える、できると思われ、評価されるようになってからであり、少なくとも大学に入るまでの自分には、少し勉強ができるということ以外、自分の肯定感を高めるだけの手持ちの材料がなく、高校に入るとリセットされたりして、そこを拠り所に自分を肯定的に評価するのは、難しかったように思います。
 
 下の子どもは、僕よりはうまくやっているようですが、一面、不器用な面や繊細な面があり、今度は、小学校卒業とともに、隣の学区の中学校に入り、新しい環境のもとでゼロから友人関係をつくるわけなので、大変かもしれません。

 ただ、人間関係がリセットされることは、好機でもあり、何か絵を書いたりものづくりは得意なので、美術系の部活に入るとか、あとは生徒会に書記として入ると、人間関係の幅が広がるでしょうね。
 僕自身、生徒会のヒラ書記として中学生時代ははたらきましたが、何となく夜7時ぐらいまで帰れないブラックな環境ながら、得られたものが多かったように思います。

 あとは、結局、勉強のできる、できないは重要な要素なので、そこは、今は成績がイマイチなので、勉強のレベルを上げてもらうことでしょうか。
 社会に出れば、別な尺度でも評価されるでしょうが、それでも、学歴の下駄ばき効果は侮れないし、そこで足を引っ張られると、余計なエネルギーを使ってしまう。

 身もふたもない言い方ですが、人にとってのわかりやすい評価軸である、世間的に評価の高い大学に入ること、その重要性は認識し、努力は重ねてもらいたいと思います。

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