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【連載6回目】ポストコロナ・現代演劇を巡る新潮流vol.1 HANA’S MELANCHOLY(一川華・大舘実佐子)インタビュー(6)

次世代の演劇作家を取り上げ、紹介する連載「ポストコロナ・現代演劇を巡る新潮流」は作品への評論(劇評)と作家のインタビューの2本立てでスタートし第1弾としてHANA’S MELANCHOLY(ハナズメランコリー、一川華・大舘実佐子)を取り上げた。第6回で最後となる今回は今後どうしていくのかと自作解説の続きを取り上げました。(インタビュアー/文責:中西理)

中西 最後にHANA’S MELANCHOLYとしての今後の予定についてお聞きしたいのですが。

一川 今年は私も大舘も別の現場の予定で埋まっていてHANA’S MELANCHOLYとしての公演予定はありません。もし新作を作るとなったらおそらく来年以降ということになります。

中西 別の現場の仕事というのは?

一川 私の方は日本国際演劇センターのワールド・シアター・ラボという企画で、海外の戯曲を日本でリーディングするという企画で、今年だと小川絵梨子さんも関わっていました。その企画の翻訳を担当する予定で、今年の夏にオーディションがあり、来年2月リーディングの上演が控えています。

大舘 私は7月にミュージカルの団体で新作のミュージカルの演出をやります。

中西 東のボルゾイでしょうか?

大舘 そうです。そしてその後が東宝が「ジャージー・ボーイズ」というミュージカルをやるのですが、それに演出部みたいな形で入る予定がありまして、それが全国公演なのでちょっとどこまで一緒に加わるのかは分からないのですが、全国を回るということになれば12月までそれにかかわることになります。

中西 それは演出は誰なんですか?

大舘 演出は藤田俊太郎さんです。

中西 ミュージカルとかだと徒弟制度などといったら言葉は悪いですけれどもそういう経験も積んでいかないと一人前と見なされないし、なかなか上にはいけませんよね。でも大きい現場はどうしてもそういう現場の経験が必要。

大舘 いずれ大きい劇場でできるようになりたいので、そして大きい劇場の演出というのは全然違うと思うので、「見て学べればな」とも思っています。

中西 そういう演劇になるとマネージメントの能力も必要になってくる。単純な演出力や作家としての力以上に必要になってくる。劇団主宰者でもそういうのが得意な人とそうでない人はどうしてもいますよね。でも、それもやってみないと分からない。

中西 今後の予定にかかわって少し気になっているのは「ジーンを殺さないで」=写真=は前にリーディング公演をやったときに第一部という風に銘打っていてまだ続きがあるように思えたのだけれど、具体的に構想とかはあるんですか?

一川 本当は第二部もすでに脚本はあります。でもこれはまだ大舘にも読ませていないで手元にだけあるんです(笑)。

中西 最近よくある長編SF小説の上中下で完結する話の上だけを読まされている感じがしていたんです。もちろん、これだけでも面白くはあったんですが、この話ここからどうなっていくのかなというのが気になる内容だった。

一川 そうなんです。「ジーン」もずっとブラッシュアップしているというか、まだ完璧にこれは上演に行けるなという段階にはなくて、でもやっぱりリーディングをしたからには本公演をしたいなという気持ちで個人的にはいるんですけれど。

中西 あくまでも僕の受けた印象ですが、舞台としては俳優次第なんだけれど本の感じとしてはちょっとナイロン100℃とかそういう感じの本だなと思いました。

一川 確かにちょっと近いかもしれません。

中西 もちろん、この間出演していた人がどうこうというわけではないけれど出てきているのが大倉とかそういう連中だとすればもう数段化けるだろうなというポテンシャルを感じました。そういう意味でもぜひ続きを上演してほしいと思いました。逆にいうと人魚姫の話は良くも悪くも完成度が高かった。だけどあれは今後大きく化けるとかいう感じというよりは例え再演したとしてもそれは演出的にというか、もう少し違う美術を作りこむとかお金をもうちょっとかけられたらとは思いますが、作品としてはあれで完成はしていた感じを受けました。

大舘 おっしゃる通りですごく伝わってるんだなというのを嬉しく思います。やっぱり「人魚」はひとつ完成したなという感じは私も個人的にはあった。そして、それで言うと「春のめざめ」も「人魚」ほどではないけれども完成に割と近いところまで行ったかなと思っています。

中西 「春のめざめ」はそれでいうと舞台を見ながら、あれは最低でも本多劇場ぐらいの広さの劇場でやるべき作品だなとは思いました。

大舘 やりたいです。

中西 今の状況で出来ないのも分かるので、ないものねだりにはなってしまいますし、そこでやるための条件が整うまでにはまだいろいろステップを踏んでいかないととは思いますが、俳優をそろえたら本多劇場やさらに大きな劇場でもできる作品だと思いますよ。

大舘 ありがとうございます。一川が代表作の3本目に挙げたのですが、個人的には演出的には「風」が正直全然納得がいってなくて、来ていただいたのにそんなことを言うのもなんなんですが、「ジーン」の方が見せ方はうまくいっていたなと思っています。

中西 それは分かるような気がしますが「風」は演出的に難しかったなとは思います。

大舘 そうですね。でも本を選ばずによく演出できるということが実力だと思うので、実力不足が否めないなというところではあるのですが……。個人的には今までやってきた一種パターンみたいなことがうまくいかなかった。一川の本をどうやってつなげるかを考えた時になにかしらの動きとかモチーフでつなげていたのです。「人魚」とかその前の「今夜」も走ったりとか、時が歪んでいることを役者の動きでカバーするというか、走ったり、動いたり、ちょっと踊りのような所作を入れたりして、時間の流れを変えて見せたりもしていた。「春のめざめ」に関しては原作ありきではあったのだけれど、東京版とかは紐を使ってリアリズムに寄りすぎないように舞台に関係ないものをぶち込むようなこともあえてした。「ジーン」もリーディング公演だったのだけど、搬入とかにも時間をかけられないから劇場であるものだけでやろうということが決まってい椅子しかないみたいな状況だった。だけど、照明と椅子しかないという制約があったのが、ひとついい枷になってくれて、見せ方的にはすごくうまくいってくれたなと思っている。

大舘 今回の「風」は突然(アフリカの少女への)電話がつながるところからファンタジーの世界に向かうじゃないですか。そこまではファンタジーかどうか分からないのが、ある時点から「異国とつながった。ファンタジーだ」という風になり、(大量に宙をまう)紙飛行機が来た瞬間に絶対ありえないことだけれどあのシーンが一川が一番書きたかったことだというのが分かるので、そこに観客の気持ちをピークに持っていくというのが全然うまくいってなかったなというのを感じていた。そして、それが最後までうまいこと噛み合わなかった、しっくりいかなかったというのがあるので個人的には胸を張って代表作ですとは言いにくいんでよね。だから「ジーン」の方が演出はうまくいっていて、だけど本的には一川は「風」の方がうまく書けているんだろうなと思います。

中西 私が思うに「風」はああいう感じの構成はあれが小説だったら何ら問題はないと思うんですよ。ただ、演劇の場合にはファンタジーであればあるほど細かい嘘でディティールを積み重ねていかないとなかなか虚構性のリアルというのが生まれにくい。そういうのがすごくうまいのはナイロン100℃のケラさんとかなんだけれど……。ケラさんはよく架空世界の出来事とかを描くのだけれど架空だからこそそこに真実味を与えるために相当に緻密に作りこんでいる。そして、そういう世界観を提示すること自体が目的のような作品もある。

中西 確かに脳内の映像的なイメージとしては紙飛行機は想像できるのだけれど、あれは演劇でやると難しいなとは思いました。何か約束事みたいな形でしか成立しにくいよなと思って見ていました。前半と後半の落差を考えると前半があれほど緻密かつリアルに構築されていなければそこまでの違和感はなかったとは理屈で言うと思うのですが、だからダメだったのかと考えるとその違和感というのは印象的だったという部分もあるので、だからいい悪いじゃなくて引っかかりとして残っているんです。「なんでああいう風にしたのか」というのがひとつ、「なんでああいう風になるのか」というのがもうひとつ。それには動機として強いものを感じるので、そこにすごいこだわりがあるんだろうなというのは伝わってきました。








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