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【劇団あはひ連載4回目】ポストコロナ・現代演劇を巡る新潮流vol.2 劇団あはひ(大塚健太郎・松尾敢太郎)インタビュー(4)

次世代の演劇作家を取り上げ、紹介する連載「ポストコロナ・現代演劇を巡る新潮流」の第2弾として劇団あはひ(大塚健太郎・松尾敢太郎)を取り上げる。劇団あはひは劇作家・演出家の大塚健太郎と俳優の松尾敢太郎が共同主宰を務める劇団。2018年に旗揚げしたきわめて若い劇団だ。落語や能、シェイクスピア劇などを下敷きに古典の持つ構造と日常的な口語を用いた会話劇を重ね合わせることで観客を非日常の世界へと誘い込むという作風で早稲田大学在学中の2020年2月には下北沢本多劇場に史上最年少で進出。2021年にはKAAT、今年(2022年)は東京芸術劇場と金沢21世紀美術館で相次ぎ公演。豊岡演劇祭2022(9月23~25日)に参加しての公演もおこなった。私もこのところ連続して演劇ベストアクトに選んでおり、現在もっとも注目している若手劇団と言っていいだろう。
(インタビュアー/文責:中西理)

大塚健太郎(左)・松尾敢太郎

舞台美術と劇団あはひの作品制作

中西理(以下中西) 演劇は総合芸術なので音楽以外の製作者とも共同制作していると思うんです。ただ、劇団あはひの場合そんなに舞踊のシーンはないので振付家とかは参加してないと思われますが、舞台を見せていただいた印象としては舞台美術家の杉山至さんが参加なさっていて、すでに舞台美術のイメージのすり合わせというのはアウトプットにかなり大きな役割を果たしているように思われます。舞台美術は本多劇場の「流れる」=写真上=から杉山さんがやってらっしゃるんですね。

大塚健太郎(以下大塚)そうです。

中西 もともとはどういうきっかけで杉山さんにお願いするようになったのでしょうか。

松尾敢太郎(以下松尾)杉山さんをお呼びしたのは僕で、高校時代にそれこそ広島に杉山さんがワークショップで来られていて、僕が初めて高校一年生の時に演劇のワークショップを受けたのが杉山さんで、すごいそれが楽しかった記憶がずっとあって、それで本多劇場という一気に舞台規模が拡大する劇場に進出するとなった時にそれまでは舞台美術といっても机が一個だけだったりしたのをちょっと大変だからという時に何とかそれまでのつてを辿って連絡したのがきっかけです。 

中西 杉山さんも作品の世界をよく理解してくれて他の劇団とはまた違うアプローチとかも使ったりしていたのではないかと思います。杉山さんの場合出自から言って青年団の人なので青年団は完全に抽象ではない美術が多い。ただその後ロロであるとかいくつかの劇団で青年団とは毛色の違う美術を手掛けている。だけどあくまで印象ですがあはひの美術というのは完全に新しいというのではないかもしれないけれど、そんなに杉山さんがメインフィールドでは出してなかったような色合いが出ているのではないかと面白く思っているのです。

大塚 私も薄々そうなんじゃないかなと思ってました。

中西 かなり話し合いはするという感じですか?

大塚 しますねえ。結構定期的にすると思います。それこそ先ほどの音楽の話ではないですけれど戯曲がないような段階から話してとかもあります。

中西 けっこう今までの形で言うとこういう風にスタッフ陣が固まってきているというのが近作の中では大きいという感じがするんですが。

大塚 大きいですねえ。特に杉山さんに関して何かの時に杉山さんに言われたのは「大塚くんのやろうとしていることは三島由紀夫の逆なんだね」という風なこと

中西 どういうことなんだろう。

大塚 能を使うとしても三島由紀夫がやったのは「西洋の枠組みの中に日本のものを入れるということをしたのだけれど、君がやっているのは逆なんだ」という。「日本の枠組みの中に西洋のものを入れる」ということだということなんです。だから、それは当時はやっていないし、それが面白い」と言っていただいた。もちろん、時代的なこと。それができる時代になったということはあります。

中西 最近けっこう能的な構造を援用する作家というのは増えている。増えているというと少し語弊があるのだけど目立つようになっている気はします。ただ、その中でも劇団あはひはその中でも特別なアプローチかなと思いました。ひとりだけ近しいものを感じるのは岡田利規が最近始めたNOーTHETERなんですが。前に岡田さんの影響を受けたとおっしゃっていましたが、それは「三月の5日間」のリメイク再演版だったんですよね。だから超口語演劇というか、現在の岡田さんとは違う。それで岡田さんが最近能的な要素を取り入れた演劇をされているということはどのように考えていますか?特に内橋和人さんと一緒にやっている今のシリーズというのはある意味あはひとは全然違う経路でそこに至ったんだと思うんですが。

大塚 ひとつは自分には「三月の5日間」自体が能に近いなと思って自分の演劇をやっていたので、岡田さんにとってもそんなに不自然なことではなかったという気もします。後思うのは吉田健一との出会いが自分にとっては大きかった。岡田利規も池澤夏樹の「日本文学全集」で能をやって知ったというのががっちり能というものに取り組んだ最初で、池澤夏樹自体が吉田健一の熱狂的なファンといってもいい。だから、吉田健一的な何かが、三島とか小林秀雄とかそういうちょっと前の時代だったら主流だった文学的価値観とかじゃないところにいる価値観みたいなのがようやく演劇の方にも流れ込んできているということなのかもしれないと思っているんです。

中西 吉田健一はいろいろなことを論じている人なのですが、作品の中に出てくる吉田健一の言葉としては「素材と形式」の話を「ソネット」では何回も繰り返していました。それともうひとつありました。「芸術とは批評である」でしたっけ?

大塚 吉田健一自身がたぶんオスカー・ワイルドから影響を受けて論じているのだと思いますが。ワイルドの「芸術論」という本があって、そこで「芸術は批評である」と言っている。それを吉田健一も翻訳しているんですが。そこでワイルドが言っていたことを受けて、彼自身が「翻訳もまた批評である」と言っている。

中西 あ、翻訳か。作品の中での引用は。 

大塚 そうです。あの作品自体がシェイクスピアの詩を吉田健一が翻訳したというのを踏まえた作品だったので、詩を演劇に翻訳するということが可能なのかということをその時探ったことがそれ以降にも生きていると思います。

中西 僕も吉田健一はもちろん昔かなり読んだけれどそれほど詳しくはないのだけれど、先ほど挙げられていたオスカー・ワイルドがもともともの凄く好きで、「ソネット」に関連して言うと「W・H氏の肖像」という短編小説があるじゃないですか。大学のサークルがミステリ研究会とサークルだったので、オスカー・ワイルドの「W・H氏の肖像」はアークチェアデテクティブ(安楽椅子探偵)ものの傑作だと当時から言い張っていて、劇団あはひのやっていることがその遠い子孫のように感じたということが劇団あはひに惹かれた要因としてあるのかもしれません。



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https://note.com/simokitazawa1/n/n5088dca3e031

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https://note.com/simokitazawa1/n/n4be2acd735f2

(4)に続く→



劇団あはひ 過去の舞台の劇評

https://note.com/simokitazawa1/n/n0e56c8434e27

 劇団あはひ「どさくさ」(本多劇場)は現役学生劇団(早稲田大学)が本多劇場で公演、古典(落語)をベースにした作劇、学生劇団とは思えぬ緻密な空間構成で会場に負けないような成果を残したという意味でコロナがなければ年間を通してももっとインパクトを残すような出来事になっていたかもしれない。いずれにせよ、この作品でこの劇団は次世代を担う有力な存在へと名乗りを上げたといっていいだろう。(2020年演劇ベストアクト)

https://note.com/simokitazawa1/n/nc99fcc08db92

若い世代にも日常と非日常のあわひを描く演劇が台頭している。文字通りに集団名を劇団あはひとして、古典作品を題材に作劇において能楽的な構造を援用しているのが劇団あはひである。早稲田大学の学生劇団として活動してきているが、すでに本多劇場にも進出。エドガー・アラン・ポーの短編小説「盗まれた手紙」を下敷きにした「Letters」(大塚健太郎作演出)ではKAATで死者が演劇的に立ち現れる能楽的な構造を生かしながら、生と死のあいまいな境界線を浮かび上がらせた。(2021年演劇ベストアクト)

https://note.com/simokitazawa1/n/n7becce205042

https://note.com/simokitazawa1/n/n471aa2d32667

劇団あはひ(Gekidan Awai)
2018年に東京で結成された劇団。
ヒップホップ的感性に基づき、能や落語といった古典芸能を取り扱いながら、常に前衛的な表現としてそれらを提示し直す挑戦的な作品を次々と発表。
メンバーに大塚健太郎(劇作家・演出家)、松尾敢太郎、古瀬リナオ、東岳澄(以上俳優)、小名洋脩(ドラマトゥルク)、髙本彩恵(制作)。


https://maps.google.com/

落語「粗忽長屋」

https://www.youtube.com/watch?v=ltUmlXN1XlU


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