見出し画像

【連載5回目】ポストコロナ・現代演劇を巡る新潮流vol.1 HANA’S MELANCHOLY(一川華・大舘実佐子)インタビュー(5)

次世代の演劇作家を取り上げ、紹介する連載「ポストコロナ・現代演劇を巡る新潮流」は作品への評論(劇評)と作家のインタビューの2本立てでスタートした。第1弾としてHANA’S MELANCHOLY(ハナズメランコリー、一川華・大舘実佐子)を取り上げ、第5回となる今回はHANA’S MELANCHOLYが上演してきた過去の代表的な作品について自作解説をしてもらった。(インタビュアー/文責:中西理)

大舘実佐子
一川華

中西 ここからはHANA’S MELANCHOLYがこれまで上演してきた作品について具体的にお聞きしたいのですが、これまで結局何本ぐらいの作品を上演されたのでしょうか。その中で自分たちで代表作だと考えている作品3本について解説をお願いしたいのですが。

一川 リーディングとかを含めて、今回で6作品目です。本公演としてはまだ4公演目です。

大舘 前段階も入れていいのであれば「今夜、あなたが眠れるように。」は一つ目に入るかもしれないと思いますが、どうですか一川さん?

一川 前段階も入れるのであれば「今夜、あなたが眠れるように。」と見に来ていただいた「春のめざめ」と今回の「風-the Wind-」の3本だと思います。もし、HANA’S MELANCHOLYのみということであれば旗揚げだった「人魚の瞳、海の青 Eyes of the Mermaids, Blue of the Sea」=写真上=も入るかもしれない。

「春のめざめ」で原作と脚色 2作品連続上演

中西 「春のめざめ」はオリジナルの脚本も書いて上演したけれど、フランク・ヴェデキントの原作も新翻訳で同時上演しましたよね。

一川 もともと「春のめざめ」という戯曲が高校生の時からすごく好きで、それこそ私と大舘が初めて組んでやった作品も「春のめざめ」がベースだった。HANA'Sを組んで、もう一度「春のめざめ」に取り組んでみたいということになったんです。ただ、新訳というのはひとつのチャレンジにはなるけれど、古典をやるのであればもうひとつ大きなチャレンジをしたいという話に大舘となって、そこで「東京版」という自分たちで新しく作った物語を同時に上演するということに挑みたいという気持ちでの企画だったのかなと思います。

大舘 そんな感じですね。

中西 どこまで作り手の方で意識しているのかは分からないんですが、「春のめざめ」には見た時にすごい少女漫画っぽい感じがあったんです。原作はドイツの古典だからもうちょっと現代から距離感を感じてもおかしくないはずなのが、舞台はそうじゃなかった。もっとも、少女漫画といってもあまり最近の作家は詳しくないから、私が連想したのは吉田秋生とかです。萩尾望都でも良いんだけど、萩尾望都はもうちょっと現実離れしていて耽美的かなあ……。萩尾望都の作品に出てくる男の子よりちょっとリアルですよね。エドガーじゃないから(笑)。でも、そういう印象を受けたんですよ。それは別に意識はしていなかったですかね?

一川 「春のめざめ」では客観的に大舘の演出を見ていて、私の作品を演出してくれる時にビジュアルの美しさを意識しているのかなと思うところがありました。もともと大舘のことは自分で言うのも手前みそですが、色彩感覚とかに優れている演出家だと思っていて、ビジュアル面では俳優の選択もそうですし、衣装や美術とかの美しさへのこだわりというのが大舘演出の良さだと思っています。「春のめざめ」はそういうところがより顕著だったかもしれません。

オーディションで選ぶ 俳優へのこだわり

中西 キャスティングは一本釣りだったんですか、それともオーデションですか?

一川 毎回オーデションです。「春のめざめ」もオーデションをしたのですが、古典作品をベースということもあって普段よりもオーディションに来てくれた人がすごく多かったです。

中西 キャストにはいろんな人がいたとは思うんですが、あまり小劇場的な感じがしなかった。というのは実際に大きな舞台に出たことがあるかどうかは別にして、2・5次元的な演劇とかあるいは商業演劇とか、そういうのを目指して頑張っている若い俳優が多かったのかなという印象を受けました。

一川 「春のめざめ」は若い役が多かったので、現役の学生が多かったんです。その中でもやっぱりミュージカルの俳優になりたいという人が大舘の芸大の声楽科のコネクションとかも相まって、非常に多くて、それで皆小劇場でやりたいというよりは日生劇場に立ちたいとか帝劇に立ちたいとか、そういう目標を持っている人があの座組みにはいましたね。だから、もしかしたらそういう雰囲気があったのかもしれないと振り返って思いました。

中西 面白いなと思っているのは女優の人たちもバレエをやっている人もけっこう多いのかな。これは小劇場というと語弊があるのだけれど、いわゆる会話劇だけをやってきた人とは違う身体性を感じる人が多い。ちょっと違う立ち姿だったり、佇まいだったりを感じる時がある。こういうのは意図的に選んでいるのか、それとも大舘さんがバレエ経験者だったことでの人脈とかが何かあるんでしょうか?

大舘 正直キャスティングというのはものすごく好みだなと私は思っているんです。一川と話し合って最終決定はするんですが、自分の中では生々しすぎないということがけっこう大事なのかなと思います。ちょっと語弊があるかもしれないんですが、界隈によりますけれど小劇場慣れしている人たちって、けっこう生々しい人が多いイメージがある。

中西 特に最近は微細な演技が要求される会話劇が主流だから、どうしてもそこから離れて飛躍するとかそういうことは苦手かもしれない。

大舘 何を見てどう決めているかはひとことでは説明しにくいんですが、別にバレエをやっている子たちばかりが受けに来ているわけではないんです。書類を送って頂いている時点では割とありとあらゆるタイプの人がいる中でやっぱりどこか似たような空気感の人たちを選んでいるんだなという感じはしている。

中西 台詞回しの上手い下手よりは立ち姿がきれいとか、目線がいいとか……。

大舘 メインの人たちに関してはその場にいるだけである程度場が持つような人、それは美しいというようなことだけではなくて、例えば見た目的な魅力、「何かちょっと個性的な顔をしている」とか、「いるだけでどこか見てしまうようないい顔をしているな」という人とか。きれいとか、かわいいとか、カッコいいとかじゃなくても全然いいのですが、そういう人に魅力を感じる部分ももちろんあります。後、役者としては当たり前ですが第一声を発した時の声がいいなとかもある。だから「春のめざめ」では東京班の主役の男の子たちふたりは初舞台だったんです。初舞台の子をあえて選んで出てもらい見てもらおうとした。
 逆にドイツ班の主役の人はもう30歳ぐらい。数多く舞台にも出ている人だったんだけれど、あまり経験では選んでない、そこよりもこの人が演技しているのを見たいかどうかで、選んでいるあるかもしれません。

中西 最初に俳優の選択ということに関心を抱いたのは「人魚の瞳、海の青」に出ていた女優さんたちで、「え、いったいこれどういう人たちなの?」という感覚があったんです。普通の劇団とちょっと違うという印象。あの時もオーディションだったのでしょうか。

大舘 オーディションです。あの作品は聞いていてちょっと生々しいセリフがあったりした。こういうのは苦手な人もいるだろうなという中でそれをあまりリアルに表現してしまうことで、プラスに働かないこともあるんじゃないかなと思った。だからどこかいい意味で嘘っぱさのある役者さんたちを選んでいるところがどこかであるのかもしれないです。嘘っぽいというのは……。

中西 「リアルからちょっと意図的に距離をとれる」ということですかね。

大舘 そうです。リアルさを遠ざけようとした気持ちがあるかもしれません。

中西 自由にその距離を操れる人ってそんなにいないので、特に女優の場合は自分の中に役が入り込んでいい演技をするタイプのいい女優はいるのだけれど、そのタイプの人は完全に入り込んでしまっているから、役からの距離がまったく取れないことが多いかもしれない。

中西 代表作としてもう1本挙げていた最新作の「風-the Wind-」ですが、この作品はアフリカにおける女性器切除と日本の入れ墨の問題を結び付けていますがテーマ的なことにすごく思い入れが強い作品でしょうか。

一川 そうですね。もともと私の話になってしまいますが、東京とタンザニアで過ごした経験をへて、「何かこの二つを橋でつなぐということがしたい。自分のバックグラウンドを生かした戯曲が書けないか」とずっと思っていた。それに挑戦した作品だったかなと思います。例えば女性器切除とかいった題材にもすごく興味があり、日本で普通に暮らしていると知らない問題で私も戯曲を書き始めた時ぐらいに初めて知った問題でした。でも、すごく身近に感じられた。おそらく自分が同じ女性であることもあいまったのかもしれないのですが、現実に女性蔑視とか、女性に限らず人間の身体の価値を何かで判断されてしまうということは日本みたいな先進国でもある。日本の女性差別の問題とアフリカの問題は地続きなんだという思いで書いた作品でした。

中西 そういうつもりはまったくないということは分かったうえであえて聞くのですが、「風-the Wind-」では性風俗店の話を取り上げているし、下手に受け取ったらスキャンダリズムにもなりかねないような内容であることも確かだと思います。それゆえにまかり間違えばそういうことにだけ飛びつかれそうな際どいモチーフだとも思う。そういうことで売る気もないということはよく分かるのですが、それだけにそういうリスクを勘案したうえで、舞台をやっているという印象はある。例えば風俗店の描写にしても実際に取材にも出かけたんだろうなというディティールの細かさも感じる。演劇の中で性風俗自体を取り上げている例はポツドールの三浦大輔さんとかこれまでもあるにはあった。でも、それとは視線がまったく違うのは見た瞬間から分かる。この辺りも見せ方とかどこまで踏み込むべきなのかというのはけっこう考えざるをえない感じだったと思う。

中西 テーマとしてアフリカの話が先にあったのか、それとも入れ墨(タトゥー)の話や風俗の話のが先なのか、それともその3つのモチーフが同じ話の中で一緒になった話が成立すると思った時に初めてこの作品が生まれたのか。どちらだったのでしょう。

一川 それでいうなら後者ですね。何か風俗の話を書こうと思って後付けでタトゥーや性器切除の話を持ってきたというのではなくて、当時自分のプライベートで起きたこととか、自分が見た夢とか、全部重なってこの3つでやろうと同時で思いついた作品で、第一稿は3日ぐらいで勢いで書いた作品でした。今おっしゃっていたようにテーマ性が強いというのはおっしゃった通りですごくそれは自分の中でも課題というか悩みで、派手なものを扱って集客したいとかそういう気持ちはまったくなくて、気づいたらこういう作品になっていました。

中西 良くも悪くもコロナ禍でこの規模の劇場でやったのでそういう話題にはならなかったですが、この内容の舞台を例えば本多劇場規模の劇場でやっていたとすれば女性の作家がこういう作品を書いたということ自体が記事に取り上げられるような可能性がありうるような作品だったとも思いました。

一川 目立ちたいからこのテーマを選んだというのではないことは強調しておきたい。でもアンダーグラウンドな文化に触れるような部分もあり本当に難しいテーマだったと思う。だから、そこは実際に取材にも行きましたし、出来る限り調べられることは調べてという自分なりの誠意はみせたつもりです。

中西 この作品が面白かったのはそれが完全に成功しているかどうかは別問題なのですが、そういうすごいリアルを追求したような場面を積み上げて構築している戯曲の部分といきなり後半になってくると待合室みたいなところの電話に突然アフリカ人の少女からの電話がかかってきたりする。普通に考えたらああいう風ではなくて、アフリカの現実としてパソコンとかスマホ経由のメールが来るというのは考えにくいとしても、完全にありえないような設定が突然ボコッとそれまでのリアルの中に現れるのがけっこう衝撃的だったんです。

一川 本当にそうですね。もともとあの戯曲を書き始めた時に自分のやりたかったことが、国とか文化とかがまったく違うけれども境遇は似ている。抱えている問題はもちろん違う、全部が同じではないのだけれどという2人が会話をするとしたら、何を話すんだろうかというところがひとつ書いてみたかったんです。

(6)に続く→





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?