【交響する氷見 007】 「くめアートデイ2024」で管弦楽を楽しんだ、あの夏の思い出
2024年8月18日(日)に、富山県氷見市の中山間地域・久目地区にて、廃校を利用してアートイベントが開催されていた。随分と暑い日だった。
小生は農民で、日日、季節に追われながら野良仕事をしている。だから、こういった思い出を出来るだけ時間を置かずに振り返っておきたいなと思いながらも、どうしても時節外れのレポートとなってしまうことが多い。
これを書いているのは、9月の初旬だ。まだ、残暑も厳しく、セミも鳴いている。大丈夫、そこまで季節から取り残されてはいない。
さて、アートイベントの話だ。「くめアートデイ2024」。
その賑やかなイベント中のひとつのコンテンツとして、「交響する氷見祝祭管弦楽団」が、ミニコンサートを実施させてもらった。ささやかながら、とはいえ、実に賑々しく、笑いに溢れた、夢のような時間だった。
この祝祭感、伝えられるかしら。アートが響き合う真夏の日のよろこびを、みなさんにもシェアできたらよいな。
Photo by DAISUKE MIWA(「藝術農民」映像作家・三輪大輔)
「くめアートデイ」って、なんだろう?
「くめアートデイ」というのは、氷見の長閑な田舎・久目地区に佇む、廃校となった小学校の校舎を舞台に、さまざまなジャンルのアートが繚乱する、真夏の熱すぎる(暑すぎる、とも)イベントのこと。
会場の外観は、普通の小学校。でも、エントランスをくぐると…。
早速、アート作品が。
と云いたいところだが、これは、情報共有という散文的な目的を持った、(ただの)案内板なのだ。描かれているものの質が高すぎるから、これもアート作品として展示してしまいたくなるけれど。
ちなみに、描かれている人物は、地域の世話役のような存在で、小生ら「藝術農民」も、いつも面倒を見ていただいている方だ。この案内板を目にするたびに、小生は、姿勢を正し、深々と一礼することにしている(と云うのは、もちろん過言)。
来場者が投票によって、自分の気に入った黒板アート作品を推すといったシステム。
受付でパンフレットや投票シールなどをもらって、いざアートが描かれた各教室の黒板のもとへ。
そして、こういった素敵な作品とご対面、といった流れだ。
製作陣は、どんな想いで黒板アート作品を描いたか、プレゼンテーションを行う。小生は、コンサートの準備でその場に居合わすことができなかったのだけれど、製作者の意図を聴けるというのは、鑑賞者の立場からすると、なかなかに良い機会なんじゃないかと想像する。
今年のテーマは「未来へ」ということで、なるほど、上の作品は、人類の進化の、その先の「未来」を描こうとしたのかしらね。
作品を介してコミュニケーションが生み出されていくというのも、こうしたリアルイベントの醍醐味だろう。
「未来へ」というテーマで、清少納言の有名なエッセーの絵(上写真)。ここに託した想いも聴いてみたかったなあ(繰り返しになるけれど、小生は残念ながら、この場に居なかった)。
プレゼンテーションの後には、審査が行われる。
そうして、授賞式。
実に和気藹々としたものだ。受賞したみなさん、おめでとう。
その他にも、催しあり
この「くめアートディ」は、久目地区地域づくり協議会のメンバーで作り上げたイベントなのだが(何を隠そう、小生も協議会の一員なのでした)、黒板アートだけでなく、フード・ドリンクの提供も豊富だし、手前味噌だけれど、結構、手の込んだイベントだったと思う。
飲食ブースも、大変におしゃれなのだ。
使われなくなった学校のプールをあたらしいかたちで再生させようと、ビオトープにして水草や魚を飼育し釣り体験を楽しもうという試みも、今年度から始まった。
初めてのトライアルなので、魚の飼育面でまだまだ課題が残されているようだけれど、ともかくとして、廃校のプールでこうして釣竿を下げる風景が見られただけでも、素敵なことだったんじゃないかと思う(小生は、コンサート張り付きで、この光景を直接拝することはできなかったのだけれど。くどいね)。
さらに、校舎2階では、鉛筆画教室もあったようだ。小生もお絵描きは好きなので、体験してみたかったが、やむなし。
みんな熱心に描いていて、やはり、「集中できる時間」というのは、現代に求められるひとつの価値なのだと思った。
何の話だったか。そう、アートのある時間というものはやはり素敵で、この「アートデイ」というイベントも、苦労を乗り越え実施できて幸いだったな、という話だ。
くめのアートの彩りを、管弦楽でより豊かに
さて、いよいよ、そんなアートの一日を締めくくる管弦楽コンサートについて。
2023年から24年にかけて、本格始動した「交響する氷見祝祭管弦楽団」。その有志メンバーで、今回、ミニコンサートを開かせてもらった。
廃校の廊下脇のフリースペースに畳を敷き、座布団を置いて、コンサート会場を設えた。指揮台は、三枚重ねの畳だ。
指揮者の朝倉崇先生(北欧音楽研究家でもある)は、こういった手作りの演奏会でも、いつも上機嫌で取り組んでくれる。
集まったメンバー編成で演奏可能な曲は何かなあ、というところから、一緒に演奏会を組み立てていったのだけれど、今回も、とても良いプログラムになったと思う。
演奏メンバーは、もはや家族のような存在だ。
この人が居てくれるから、この人のソロを聴かせたいから、この曲をやろう。
「交響する氷見祝祭管弦楽団」では、そんなアプローチでプログラムを組み立てていく。人があってのことなのだ。
ちなみに、今回のプログラムは、以下のようなものだった。
エルガー「愛の挨拶」
ムソルグスキー「展覧会の絵」抜粋
ビゼー「アルルの女 第2組曲 メヌエット」
モーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」
ビゼー「カルメン組曲版」抜粋
ヨハン・シュトラウス1世「ラデツキー行進曲」(アンコール)
アートの日だから、「展覧会の絵」を入れるなど、ちゃんと工夫も凝らしているのだ。えへん。
地域のみなさんに、クラシック音楽というものに親しんでもらうために、簡単な楽器紹介も行った。
オーケストラでは珍しいサックスも。となると、ビゼー「アルルの女 第2組曲 メヌエット」を入れたくなる。
写真では涼しげな雰囲気に映るかもしれないけれど、結構暑い。その暑さにこそ、カルメンはよく似合う。汗を流しながらカルメンに興じる、それは幸せなことなのだ。
二階への階段を生かして、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の歌声は天上から。小生は、うっとり、陶然。
この真夏の日を、小生にとって、さらに特別なものにしてくれたことがあった。大学時代を共に過ごした友人たちが、遠方各地より遊びにきてくれたのだ。
実に長いこと会っていなかったものだが、顔を合わせれば、すぐにかつての時間を取り戻せる。
そんな仲間たちと、急遽、三人でチェロアンサンブルを演らせてもらった。友人二人と比べ技術の及ばない小生は、足を引っ張らないように内心必死だったわけだけれど、それでも、大いに幸せだった。
演奏する雰囲気も、音も、彼らのまんまだ(もちろん、時の蓄積によって、技術的な進化、変化はありながらも)。
こういった機会を得られたこと。周りに在ってくれる様々な人、事柄に、「ありがとう」を連呼したい。
ありがとう、ありがとう、ありがとう!
持続可能な運営を
「交響する氷見祝祭管弦楽団」は、かっちりと組織された団体ではないから(むしろ、フレキシブルな輪郭線をもった音楽的共同体と云った方が、しっくりする)、参加費(団費)として幾ら調達しますよ、みたいにことは、一切、明文化していない。
運営の動力は、みなさんの想いとドネーション(寄付)だ。
そこで、小生は、お客さんに向けて、厚かましくもドネーションのお願いをする。すると、すぐさま、地域の先輩が浄財を寄付してくれる。恵まれているな、と心から思った。
みなさん、本当にありがとうございます。返し切れるものではないだろうけれど、それでも、このご恩、しっかりと巡らせていきます。
さらに、「藝術農民」という農家として、会場では野菜も販売させてもらった。そして、ありがたいことに、完売!
未熟な農民としては、こうして、みなさんに手に取ってもらえるだけで、大いに幸せだ。
音楽、藝術と農。
「交響する氷見」、「藝術農民」では、これからも、そういった世界観に立って、愛するみんなと、上機嫌に生きていきたい。そして、その上機嫌を、みんなで持続的なものにしていきたい。
夏の日の幸せを思い出しながら、感謝に変えて、願い、新たに。拝。
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