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第6話 修行には出さない。

オーストラリアから帰国し、いよいよすしの修行先をどこにしようか?と考え始めました。修行先は自分で決められたので、
やはり江戸前鮨の本場、東京で修行をしようかな?
オーストラリアに留学に行く時も「これからの職人は英語もできないと。」と言ってくれていたし。東京だと海外の方も多く訪れこれまでの経験も活かせそうだ。だとしたらお店はどこがいいだろう?
そんなことを検討していたのですが、父から衝撃的な言葉を言われました。

「お前は修行には出さない。」

驚いて「え?どういうこと?」と聞き返しました。
先述したように私は東京のお店に修行に行く気満々でしたし、むしろ修行に行かないと立派な職人にはなれないと思っていたのです。

父は続けて言いました。

「お前はこの味、このやり方を引き継いでいかないといけないから、
東京みたいな小さなお店での修行じゃなくて、たくさんのお客様、たくさんの魚に触れることができるここが一番良い。」

その言葉を聞いたとき、私は本当に驚きました。

当時の私は「立派な職人となって父を超えていきたい。」という考えしかなく、そのためには「実家を出て修行に行かないと上手くなれない。」と信じて疑わなかったのです。
なぜなら、私の周りには他店で修行に取り組む人ばかりだったからです。
当時の一心鮨は、結婚をした人以外は寮に住み込み、そこから店に出勤するという形でした。もちろん修行に来ている方たちも同じです。幼少の頃からそのような環境で育ったこともあり、私も赤の他人というか、家族の元を離れ修行を積み、見聞を広めないと立派な職人にはなれない。ましてや自分が継ぐと決めた、一心鮨のために働いてくれる人たちのリーダーにはなれないと思っていました。だからこそ、「自分の家で修行なんてできない。」と思い込んでいました。

それに周りの目もあります。
小学生の頃から「お前は父親を超えることはできない。」と言われ続けてきた私には、「また比べられるんだ。」「またあの時のような言葉を耳にし続けるんだ。」という過去の経験からの想いも湧いていたのだと思います。

父から「なぜ実家での修行がふさわしいのか」という理由を説明されてもなお、到底受け入れることはできませんでした。

最後には泣いて「頼むから修行に行かせてほしい。」と訴えるほどでしたが、父は断固として「絶対によそには行かせない。」と言い切りました。

なかなか心の折り合いをつけられなかった私ですが、オーストラリアに行かせてもらった恩もあり、最終的には父の意見を受け入れることにしました。そして、家で修行をするのなら「甘えないためにも目標を立てよう」と、こう決めたのです。

-25歳までに一心鮨のカウンターに立ってすしを握る。

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